魔裟斗とかいうのが出ていますね。格闘家としては強いのか弱いのか興味がないので知りませんが,役者としてはまったく使いモノになりませんね。
今日の月曜ゴールデン,その他の配役もおかしい。高橋ナントカというヘタクソ歌手の署長とか,妙ちくりんなしゃべりかたのオバさん検事とか。
魔裟斗とかいうのが出ていますね。格闘家としては強いのか弱いのか興味がないので知りませんが,役者としてはまったく使いモノになりませんね。
今日の月曜ゴールデン,その他の配役もおかしい。高橋ナントカというヘタクソ歌手の署長とか,妙ちくりんなしゃべりかたのオバさん検事とか。
2004年6月21日09時半ごろ,台風6号Dianmuが強い勢力のまま高知県室戸市付近に上陸しました。その後,「21日13時過ぎに兵庫県明石市付近に再上陸し,21日午後には京都府舞鶴市付近を通って日本海へ進み,能登半島の沿岸,佐渡沖を通って22日3時に津軽海峡の西で温帯低気圧に変わった」(気象庁「平成16年台風第6号による6月18日から22日にかけての大雨と暴風」)。
この台風は,加太海岸防波堤でのバカ3人組の“度胸試し”や静岡市高松の海岸での静岡大学モダンダンス部御一行様の“バーベキューパーティー”に加えて,やはり次の“事件”を抜きには語れません。
二十一日午後一時十分ごろ,近江八幡市西生来町で,ホテルの屋根が台風6号の強風に吹き飛ばされ,すぐ前の国道8号を越えて,約三十メートル離れた東海道新幹線の架線上に落下,電線四本を切断した。当時,新幹線は岐阜羽島-京都間で運行を見合わせていたため,惨事にはならなかった。
JR東海がクレーン車で屋根の撤去作業を続け,午後八時十分,約七時間ぶりに運転を再開したが,列車は運休が相次ぎダイヤは混乱した。
滋賀県警などによると,屋根は幅十メートル,長さ約四十メートルのトタン板製。ホテルは今年四月に改装オープンしたばかりで,トタン屋根は今年一月,雨漏り防止と断熱目的で従来の屋根を補強するため設置したという。
屋根は,高さ約二十メートルの位置にあり,強風にあおられ約四十メートルまで舞い上がった。架線に落下した際,トタン板の中央部分が折れ曲がって「く」の字型になり,架線全体をまたいだ状態になった。
ホテルの店長(五四)は「こんなことになるなんて,信じられない」と肩を落としていた。
(22日付京都新聞朝刊)
記事にはホテルとしかありませんが,いわゆるラブホテルです。屋根が飛んだときに客がいたかどうかはわかりません。
前の日記の続編のような雑文です。
いつだったか,どっかのQ&Aサイトに
天気予報師になりたいんですけどどうすればいいですか?
というような質問が書かれていました。私はすぐに「そんな資格は存在しないので,その気になれば今からでも天気予報師です」という答えを書きはしませんでしたが,自分の取りたい資格の名前くらい正確に書けよ,と思ったものです。その後どのような回答が書き込まれたかは知りません。
さすがに天気予報師という語句はその後見ませんが,天気予報士ということばは前の日記のようにときどき見ますし,気象予報師という間違いもたまに見かけます。どうやればこのように変換して書き込まれるのか不思議です。チューゴク製のMS-IMEでは標準規格なんでしょうか。四国製を使っているのでよくわかりません。
私的には,天気予報士よりも気象予報師のほうが目障りです。イカサマ師や詐欺師と同類に見えてしまいます。まあ,当たりもしない予報を発表して儲けているので似たようなものではないか……と世間一般では見られているかも知れませんが,当たらない予報というのはともかくとして,儲かってはいないので,同類ではありません(笑)
気象予報師に限らず,士を師に置き換えると,アヤシげな稼業に見えるようになるものです。弁護士→弁護師,介護士→介護師,社労士→社労師などなど。行政書師,司法書師だとなまぐさ坊主みたいです。
おそらく師がつく稼業にはイカサマ師,詐欺師だけでなく,詐欺師とほぼ同類の予言師や占い師,性犯罪者とほぼ同義語の教師などがあるからでしょう。
ちなみに,“かんごし”は今は看護師みたいですね。あんまりお世話になりたくないです。前みたいに看護婦と看護士でいいのに。っつうか看護婦さんだけでいいんじゃない?(笑)

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ケータイ天気予報、外出先で気軽にチェック:日経ネットナビより一部引用:
お天気キャスターによる天気予報の解説動画を毎日2回配信している。e-天気ネットでキャスターを務め、自身も天気予報士の国家資格を持つ美濃岡洋子さんは「梅雨の天気予報は1年でもっとも難しい」とデータ分析などに余念がない。
天気予報士なんて国家資格,いつできたの?
またまた20年以上も前の作品を……。しかも,火曜サスペンス劇場で一度ドラマ化されていますし。
事件の根っこが太平洋戦争中にある作品だから,年数に矛盾が生じるのは確実。すでに疎開がどうのという話が出てきているし……と思ったら,思いもしないウルトラC。
なんと,舞台は1980年。1945年+35年=1980年というわけです。舞台設定がデタラメなことの多い月曜ゴールデンの“沢村光彦”と違って少しは考えています。そういえば,ケータイが出てきませんでした。公衆電話が使われています。もっとも,原作では光彦はケータイ禁止ですけど。
ただ,1980年にあのソアラはあったのでしょうか?
それはそれとして,浅見光彦シリーズ,金曜も月曜も,ここのところヒロインの劣化が激しい。誰がヒロイン(浅見ガール)をやるのかも浅見光彦シリーズのドラマの重要な楽しみのひとつなのだから,もっとマシな女優を使ってよ,ったく……。
ついでに,CMに出てきた毛利衛,いまだにセリフの棒読み。進歩のない人。

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1956年の日本ダービーは6月3日に行なわれました。
この年は5月下旬から早くも前線が日本の南海上に貼りつき,九州南部では5月1日,九州北部では5月21日,中国では5月29日,近畿では5月24日に梅雨にはいりました。
ダービー前日の2日は雨。この雨のため東京六大学野球の早慶戦が順延になりました。
ダービー当日,東京の天気予報は「くもり一時晴」。しかし予報は大ハズレ,朝から雨が降りはじめました。昼ごろからは降ったりやんだりになりましたが,早慶戦は2日続けての順延になりました。
ちなみに,6月1日に中華人民共和国(中共)が気象管制を解き,暗号を使わずに平文で気象放送を送りはじめました。天気予報がもっと当たるようになる……という期待をもったニュースの直後の大ハズレでした。
ついでですが,日本もアメリカも太平洋戦争中は気象電報を暗号を使って送信していました。しかし末期になると,アメリカは航空機による観測データを暗号化しないで送るようになりました。完全に制空権を掌握していたため,航空機の位置を知られてもまったく危険がなかったからです。
ブリンカーをつけていないため話がズレましたが,こうして東京競馬場は2日続けて雨に見舞われ,ダービーは重馬場で迎えることになりました。人気を見てみると,NHK盃を勝ったキタノオーが1番人気,皐月賞馬ヘキラクが2番人気,ハクチカラが3番人気,オークスからの連闘で臨んだフエアマンナが4番人気でした。本来ならキタノオーが人気をかぶってもおかしくはなかったのですが,外ワクと道悪がきらわれたようです。
スタート直後,内からハクチカラ,タメトモ,ミナトリユウが飛び出し,外からはヘキラク,キタノオーが先団にとりつこうと内側に切れ込んできました。そしてこの2頭に押圧される形となったエンメイが転倒,これに躓いたトサタケヒロも転倒しました。トサタケヒロは人馬とも無事でしたが,エンメイは左肩胛骨を骨折して予後不良,鞍上の阿部正太郎騎手も再起不能の重傷を負いました。
これがダービー史上最大といわれる事故です。ちなみに,阿部正太郎騎手は騎手としては再起できませんでしたが,のちに調教師となり,加賀武見騎手を育てることになります。
これだけの事故にもかかわらず,スンナリと通過順どおりに確定,しかしキタノオーの勝尾騎手,ヘキラクの蛯名騎手には過怠金が課せられるという不可解な決定に納得しなかった人も多かったようです。また,馬主が吉川英治氏ということもあってか,当時の競馬にしては大きく伝えられました。このため,競馬史上はじめて事故調査のための審議会が開かれました。しかし,事故のようすがハッキリ写っているはずの新聞社のニュースフィルムが証拠として検討されないなど,はじめから結論は決まっていたようなもので,予想どおり「原因不明の事故」というウヤムヤ決着でした。吉川英治氏は事故そのもののショックというよりはこの不透明さにイヤ気がさして,馬主をやめたのでしょう。
その後,事故防止対策のひとつとして,ダービーの開催日を梅雨がはじまる前の5月末にという提案があり,これによってダービーの5月下旬開催が定着したといわれています。
しかし,この年の関東甲信地方の梅雨入りは6月9日で,エンメイの事故は梅雨にはいる前に起こっていたんですけどねえ……。
それはともかく,ダービーが5月下旬に行なわれる理由としてはこの説明が定着しています。
しかし,これは話の半分に過ぎません。
東京優駿(大)競走の施行日を見てみると,第1回の1932年から1937年までは4月に行なわれていて,従来の目黒競馬は4月に行なわれていたのでこれは当然の流れでしょう。しかし1938年に5月29日に行なわれてからはほぼ5月下旬~6月上旬に定着しています。なぜこの時期が選ばれたのでしょう? 1930~1940年代はいちばん嫌いな時期なので,調べる気になりません。どなたか,かわりにどうぞ。

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5月に台風が上陸することはあまりないし(以下に述べるようにまったくなかったわけではありません),東京優駿(日本ダービー)は最近では5月の最終日曜日(または6月の第1日曜)に定着していることもあり,ダービーが台風の直撃を受けたことはありません。
直撃ではないにせよ史上最も台風の影響を受けたと思われるのが1965年5月30日のダービーです。
ダービーの直前の5月27日,潮岬の南方海上にある定点観測点付近を通って北東に65~85km/hの速い速度で進んできた台風6号が12時ごろ,東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年5月30日以来51年ぶりのことでした。
この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことが暴露したほか,かなりの被害が出ました。
この日東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。
台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。……
(1965.05.28日刊スポーツ)
レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。
先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の200mに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。
最近では2003年があげられます。5月31日05時ごろ台風4号が愛媛県宇和島市付近に上陸しました。上記の1965年の台風6号以来38年ぶりとなる5月の台風上陸です。翌6月1日にダービーが行なわれましたが,この台風から変わった低気圧と前線の影響による雨のため,馬場状態は重でした。府中のアメダスでは31~1日にかけて83mmの降水量が観測されています。
4角で各馬外をまわる中,エイシンチャンプと逃げたエースインザレースが最内をついたシーンをおぼえている人も多いでしょう。
あえて書くまでもなく,勝ったのはネオユニヴァース,鞍上はミルコ・デムーロでした。
今年のダービーはこのネオユニヴァースの初年度産駒アンライバルドが抜けた1番人気になりそうです。コケると面白いですねえ(笑) 皐月賞で同じネオユニヴァースの産駒のロジユニヴァースがコケたように。

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今日14時25分現在,北は北海道から南は大東島まで,いろんなところに雷注意報が出ています。九州の上空に寒冷渦(上空5700mで-20℃以下)があって大気が不安定になっていますからね。
雷とダービーといえば,有名なのは1967年です。スタート約10分前に電光や雷鳴とともに雨が降りはじめ,どしゃ降りの中でダービーが行なわれました。詳しくは雷雨の中の日本ダービー(1967年) | Notenki Express 2014をご覧ください。
勝ったのはアサデンコウで,雷さまはちゃんとサインを送っていたわけですが,気づいた人がいたかどうか……(笑)
さて,1979年5月のことです。26~27日にかけて日本列島上空に寒気が流れ込み,あちこちで竜巻,降雹,落雷が起こりました。降雹は30府県,竜巻は埼玉・茨城の2県,落雷は13府県で被害がありました。
とくに目立つのが落雷による死傷事故です。9人が死亡し,8人がけがをしました。
26日は郡山でサッカーの試合中の大学生が雷の直撃を受けて死亡,神戸では野球の試合中に二塁を守っていた会社員がやはり直撃を受けて死亡しました。その他岡山,秋田,大阪の各府県で1人ずつ,この日だけで合わせて5人が落雷で死亡しています。
27日も,宮城県のゴルフ場で高さ12mの松の木への落雷の側撃で1人死亡,福島県浪江町では運動会の最中にPTA副会長が直撃を受けて死亡,尾瀬では登山者が死亡しました。
飛行機にも落雷がありました。27日16時半ごろ,大阪行きJALジャンボ機が羽田を離陸して間もなく左翼先端に落雷を受けましたが,支障がないとわかりそのまま大阪へ飛んでいきました。
ダービーは27日,こうした異常な天候の中で行なわれたわけです。しかしとくに天気の影響は見られず,カツラノハイセイコがリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきり,6年前の同じ日に3着に敗れ去った父の無念を晴らしました。
ついでに,ダービーや雷とは直接関係はありませんが,2人の女子大生が阿寒湖で手に手を取り合って心中,スナックのママ(39)が女子高生(16)に「彼との交際をヤメレ,ゴルァ」とナイフで腹を刺された――というような記事も当時の新聞にあります。