今年は赤穂浪士の討ち入りからちょうど300年目ということで,関係のあるところを巡ってきました。しかし,直前の時期に行ったのが大失敗……。討ち入り後の赤穂浪士の足跡をたどって泉岳寺まで歩く気が失せてしまいました。(訪問日:2002/12/12)
狭いとは聞いていましたが,聞きしにまさる狭さです。なんでも,実際の吉良邸の76分の1程度の面積しかないとか。
ちょうど義士祭の準備中で,まともな写真は撮れませんでした。
本懐を遂げた赤穂浪士が休息しようとして断わられたお寺です。
今は亡き三波春夫さんの名調子でおなじみの俵星玄蕃が,赤穂浪士の邪魔するヤツは何人たりとも通さぬぞと仁王立ちした橋です。赤穂浪士が泉岳寺に向かうときには渡りませんでした。
当時の両国橋はここよりも100mほど下流側にあったそうです。見当はついたのですが,ちょっと行きにくいところだったりしましたので,そちらのほうはパスしました。
私のデジカメライブラリ?!からかき集めてきました。とくに姫ちゃんのリボンのために撮影したものではありません。まあ,その気になればいつでも撮れますし,ぼちぼち追加していきます。
なお,実はアニメは一度も見たことがないので,細かいことはよくわからなかったりします。
稲見クンが“雨宿り”をしていたところです。
稲見クンの勤める気象会社ウェザーアイ社があるビルです。
駅前のショッピングモールです。
連れて逃げてよ〜♪の矢切の渡しです。船らしきものが見えるくらいでよくわからないと思いますが,確かにこれが矢切の渡しです。あいを流れるのはミシシッピー……ではなく(こんなセリフをわかるのはいまどき何人いるんだろう……(^^;)),江戸川です。
ここはものすごく交通の不便なところです。だからこそ渡し舟が残っているともいえるのでしょうけれど。
ということはちょっと考えると,この歌の歌詞は不自然であることがわかります。手に手を取って矢切の渡しを渡っても,それからは走って逃げるしかなく,追っ手に捕まることは必定です。あらかじめ自転車でも用意しておいたのなら話は別ですが(笑) もっともそうだとしたらそもそも自転車を用意しにきたときにそのまま逃げればいいわけで,話そのものが成立しません(爆)
とくに浪曲ファンではありませんが,機会があったので天保水滸伝のふるさとを訪ねてみました。(訪問日:2004/12/04)
東京駅から1850円也の旅です。たぶん直通はありません。σ(^^;)は千葉駅から成田線経由の銚子行きに乗りました。ちなみにsuikaカードは使えません。
本数が少ないので,日の短いこの時期,時間を間違うと明るいうちに着けないかも知れません。
天保十三年(1842)に笹川繁蔵が勧進相撲を開催した(らしい)土俵。
中にははいりませんでした。
こんなところに……。看板がなければ見逃すところでした。看板があってもヘタをすると見逃したかも……。地図を持って行かなかったんです。
親分らしく真ん中にデンと鎮座しているのが笹川繁蔵の碑,右手の背の高いのが平手造酒の墓,左手にあるのが勢力富五郎の碑です。天保水滸傳發祥之地の碑も見えます。
おみやげにどうぞ。σ(^^;)は買いませんでしたが。
かなりわびしいです。
天保水滸伝では飯岡助五郎は悪玉として扱われていますが,助五郎の地元飯岡町を尋ねると……
太陽光線の関係で見にくくてすみません。
はいるのが面倒そうだったのでやめました。
などとたいそう立派な人物として扱われています。
まあ,実際は
定慶寺の堂の前で,おもしろい初老の女性に出会った。よもやま話をしているうちに身内の話になった。なんでも夫の兄というのは飯岡の興行師で,芝居や相撲,見せ物,映画などを一手にとりしきっていたが,これがまたたいへんな博奕と女好き。よく喧嘩をし,飲んだくれでもあったので,一族の鼻つまみ者であった。晩年は心筋こうそくを患って,六十五,六歳で世を去ったという。身内にそういうヤクザ者がいただけに,彼女は飯岡の助五郎の善行などは頭から否定。
「いかに美化しようと,ヤクザは所詮ヤクザですよ」
と言い放った。(山本鉱太郎『新・利根川図志』(下))
といったところが真相でしょう。
飯岡町は九十九里浜東端の町を自称していましたが,残念ながら(?)2005年7月1日に旭市に合併したそうです。
この看板も全部飯岡町を旭市に書き換えるんでしょうか? だとするとムダな出費だ(笑)
分福茶釜の茂林寺はタヌキ一色……。
平日の午前9時ごろに行ったので,人っ子ひとりいませんでした。タヌキに化かされたのかと……(笑) (訪問日:2003/09/16)
ふつうは『南総里見八犬伝』の舞台とかするんでしょうが……(笑)
例によって全部をまわったわけではありません。
伏姫の籠穴の最寄り駅。
『名犬ルパンと里見八犬伝』の面々は車で行ったので,名前しか登場しません。
戌井ばあさんの家……ではないでしょう(笑)
健が指さしたのは,見上げると首の筋を傷めるくらい急勾配の砂利道だ。てきめんに美々子が悲鳴をあげた。
「えーっ,うそオ」
「うそじゃない,本当だ」
朝日が大まともに返答した。
「地図にちゃんと当たっておいた。この坂を登った先に,伏姫の籠穴がある」
洞穴とも洞窟ともいわれるが,伏姫と八房がこもった穴は現地では籠穴と通称しているようだ。
となっていますが,階段になって登りやすくなっていました。
八犬伝が作り話とはわかっていても,なんか本物に見えてくるから不思議です。
中はこうなっています。
「あ,あの舞台みたいなのは,八角形になっているんですね!」
門の前で待っているさとみをふりむいた健が,あたらしい発見をした。高台は休憩所のつもりで作られたようだが,あいにく雨で濡れた跡がまだ湿っているので,ベンチに座るわけにゆかない。八角形の床には,例によって仁・義・礼……と彫られた石が嵌めこまれていた。
角のところには八犬士の名が刻まれています。
作品とはまったく関係ありませんが,たまたま見かけたので載せておきます。
公園内に建てられた館山市立博物館の別館は事実上“里見八犬伝博物館”になっています。
『名犬ルパンと里見八犬伝』には出てきませんが,まあ,いいでしょう。
天守閣の形をしています。事実上の里見八犬伝博物館です。
なかなか素晴らしいです。
八犬士のモデルともいわれる八遺臣のお墓です。