まだ先ですが,5月13日はメイストーム・デーです。とはいっても,この日にメイストームに関係のある何かが起こったというわけではありません。
聞くところによると,この日は2月14日のバレンタインデーから88日目にあたり,“八十八夜の別れ霜”のごとく,そろそろ別れ話が出てくるころ,裏を返せば別れ話を切り出すには手ごろな時期――というような意味合いのようです。誰が考え出したのか知りませんが,よくできていると思います。
メイストーム・デーの嵐を乗り切ると,6月12日は「恋人の日」,そのあとには7月7日の「ラブスターズデー」(サマーラバーズデー,サマーバレンタインデーともいう)も控えています。ちなみに,メイストーム・デーの翌日の5月14日はグリーン・デーだそうですが,ほとんど広まってはいないようです。ついでに,4月14日のオレンジ・デーもほとんど知られていませんね。
というわけでメイストームです。May Storm なのでしょうが[ついでにドイツ語では Maisturm],もちろん和製英語[和製独語?!]です。モノによって多少意味するところが違うのですが,比較的新しい『気象科学事典』には「4月後半から5月にかけて,日本海や北日本方面で発達する低気圧,またはそれに伴う暴風雨」とあります。
きっかけとなったのは,1954年5月8日09時に黄海に発生した1008mbの低気圧です。この低気圧は9日09時に朝鮮半島の東に進み 988mb。その後,北海道を横断し,10日09時にエトロフ島の北に進んだときは 950mb まで発達しました。北海道を通過した低気圧としては,1934年3月の「函館風」と並んで観測史上もっとも強いもののひとつでした。
この低気圧によって海難事故が相次ぎ,数字は資料によって異なりますが,『理科年表』によると,死者31,不明330,住家全半壊12359,船舶の沈没・流失・破損348などの大惨事となりました。
当時は日本で数値予報の研究がスタートしたばかりのころでした。その研究グループがモデルとして研究したのがこの1954年5月の低気圧で,これに「メイストーム」と名づけたのがメイストームの起源とされています。
メイストームが新聞に初登場したのは,σ(^^;)が調べた限りでは1961年5月29日付朝日新聞夕刊の天気図の解説欄です。これはいわゆる “台風くずれ”(死語)の低気圧が再発達しながら日本海を進んだもので,このとき強風とフェーン現象による乾燥によって「三陸大火」が発生し,1万人以上が被災しました。
ちなみに,この“台風くずれ”(死語)の低気圧が東シナ海にあってまだ台風4号だった5月28日には東京競馬場で第28回日本ダービーが行なわれました。好天に恵まれ,甲州街道は午前中から車の列でマヒ状態。入場者は8万4千人の新記録となりました。
勝ったのはハクシヨウ,2着はハナ差でメジロオー。ダービー史上もっとも僅差の決着といわれています。
一般の記事としては,1970年5月26日付朝日新聞夕刊に「“特急低気圧”が通過 東日本にメイストーム」とあるのが最初だと思います。ただし,朝日以外は調べていません。
1979年5月10日付朝日新聞朝刊には次のような変則?!メイストームも登場します。
記録のメイストーム 王,快気祝いアーチ 一気に3打席連続
なお,メイストームは賞味期限つきの現象なので,毎年発生するとは限りません。どこまでの低気圧をメイストームとするかにもよりますが,発生しない年のほうが多いです。