地下鉄が橋の上で脱線・横転

1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのは感覚的にいまだにしっくりきませんが(笑),それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2~2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

雪が降る前の二・ニ六事件

だいたいこの時期に取り上げる話といえば,二・二六事件桜田門外の変になってしまいます。桜田門外で井伊直弼の首が挙げられたときには,定説どおりに雪が降っていたので,面白くもなんともありません。しかも私は幕末史がきらいですし……。もっとも,昭和史も幕末史に劣らずきらいなのですけれどね。

二・二六事件とは,いくつかの歴史書を総合すると,次のような事件です。

1936年2月26日早朝,降りしきる雪の中,皇道派の青年将校率いる第一師団歩兵第一連隊,同第三連隊,近衛歩兵第三連隊の将兵約1500名からなる反乱軍は,陸相官邸,警視庁,内大臣私邸,蔵相私邸,首相官邸などを次々と襲撃,斎藤実内大臣,高橋是清蔵相,渡辺錠太郎教育総監らを殺害し,鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ,永田町一帯を占拠した。(その後についてはここでは関係ないので略)

ここで問題なのは“降りしきる雪の中”という部分です。歴史書から音声を変えて引用すると(もちろん映像にはボカシがはいっています(笑)),

1936年2月26日の早朝,降りしきる雪のなか,皇道派青年将校の一隊は……

25日の夜半から東京は30年ぶりという大雪が降りはじめた。

などとあります。他の本にも似たような記述があるものが何冊かありました。

これらの本の筆者がどこで何を調べて書いたのかは知りませんが,事実に反する記述です。

大手町にあった中央気象台の観測原簿によると,24日から25日にかけては降雪は観測されておらず,雪が降りはじめたのは26日の08時08分でした。

反乱軍が兵営を出たのは04時か04時30分ごろで,陸相官邸襲撃が05時ごろ,内大臣私邸襲撃が05時05分ごろ,首相官邸襲撃が05時10分ごろで,政府要人に対する襲撃は07時までにあらかた終わっています。襲撃場所の大半があった永田町と大手町の中央気象台とは2km程度離れているので,若干の時間の前後はあるでしょうが,それにしても“降りしきる雪の中……”などということはありません。

しかし,当時の写真を見ると,26日の早朝に雪が積もっているのは事実です。実はこの雪は23日に降り積もった雪が残ったものです。23日は04時40分から降りはじめた雪が20時45分まで降り続き(その後,みぞれから雨に変わった),20時に最深積雪35.5cmを記録しています。この積雪は当時としては1883年の46cmに次ぐ第2位の大雪で,現在でも第3位の記録になっています。

23日に積もった雪は24~25日には降雪がなかったにもかかわらず気温の低さも手伝ってなかなか溶けず,観測原簿には26日09時に“旧雪の深さ”として12.0cmが記録されています。この旧雪の上に“新雪”が降り積もったわけですが,26日の観測原簿によると新旧あわせた最深積雪は21.8cmとなっています。(※現在の積雪の記録のしかたとは違います)

ところで,当時の記録を見ると,二・二六事件の直前に“天変”がいくつか目撃されています。

まず,1月5日に仙台で流星が観測されました。そして1月13~14日は浜松で,24日には船津でそれぞれ異常な黄道光が観測されました。また,1月15日には宮崎で,2月20日には木津川尻で,それぞれ日没時に異常な光象が観測されています(木津川尻のは幻日のようですが,宮崎のは記事からだけでは不明)。さらに,1月23日には鳥取県で稲妻のような閃光とともに大音響が轟きました。おそらく火球でしょう。1月26日には箱根山で5層のレンズ雲が目撃され,2月3日には太陽柱が釧路で観測され,2月17日には根室港に蜃気楼が現われました。

天変だけでなく,地異も起こっています。2月21日,奈良県北部を震源とするM6.4の「河内大和地震」が発生,9人死亡,家屋の全半壊148棟などの被害が出ました。新聞によると総選挙の開票中に起こったとのことです。

そして二・二六事件の前々日と前日には東京で彩雲が観測されています。

とまあ,いろいろ並べてきましたが,どれも前兆などといえるものではありません。なんといっても,実際に兵乱が起こった東京で観測されたのが瑞兆とされる彩雲だったのですから。

【付記】この事件の前日,井伏鱒二が見たとされる“日を貫く白虹”については,白虹日を貫く(1936年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

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ジャンプ団体の忘れられた過去!?

1994年2月22日,リレハンメル冬季五輪のジャンプ団体,「途中で落ちてしまったぁ~!!」(工藤アナ)の原田の失敗ジャンプばかりが有名になっていますが,この中継の最中にNHKが大失態をやらかしたことをおぼえている人は今ではあまりいないでしょう。

かくいうσ(^^;)もすっかり忘れていたのですが,去年,別用でパソコン通信の某ネットの古いログを見ていて思い出しました。

その某ネットでのσ(^^;)の書き込み:


71     DEN186 94/02/22 21:23   171 やいNHKその2
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    BSが止まっているぞ!!

    WOWOWは映っているみたいだが。

    せっかくいいところなのに。

                                                              Kink

なんと,中継の最中,BSの電波が止まってしまったのです。しばらくして別のチャンネルで復帰し,原田のジャンプは電波に乗りましたが,大事なときにやってはいけない大失態でした。

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定着するか?「平成18年豪雪」

去年の明日のニュースから:

◎「平成18年豪雪」命名を検討=今冬の大雪、43年ぶり-気象庁 (時事通信社 -2006年02月22日 12:20)

 気象庁は22日までに、今冬の大雪について「平成18年豪雪」と命名する方向で検討を始めた。死者数が21日現在で134人と戦後2番目に多くなっていることなどを考慮した。命名が決まれば「昭和38年1月豪雪」(三八豪雪)以来、43年ぶりとなる。 

時事通信社

もっとマシな名前はないのかとか,さんざんいわれていました。確かに,だからなんだよ,もっと真面目に“検討”しろよ,といわれてもしかたがないいかにもお役所的な名前です。

今のところ“去年の豪雪”とかいわれているだけですが,将来的には三八豪雪五六豪雪のように通称は一八(イッパチ,イチハチ)豪雪になるのでしょうか。

一部でそうよばれることはあっても,おそらく定着はしないでしょう。三八にしても五六にしても一八にしても枠番連勝複式みたいで,3連単の時代にはそぐいません(笑)

 

雪のフェブラリーステークス

明日,東京競馬場で今年2つめ(JRAでは最初)のG1,フェブラリーステークスが行なわれます。

1996年のこのレースを勝ったのはダート交流競走初期の女王,ホクトベガです。ただし当時はまだG2。G1に昇格したのは次の年からです。

http://www.notenki.net/horse/race/1996february.html

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。
いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃でした。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり,
翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり,
観測史上3位の記録となりました。

この積雪のため,翌日(18日)の東京競馬は順延になりました。また,青梅マラソンは30回目にして初の中止,
どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの日本選手権決勝も「本日スノーサイド
とオヤジギャグのネタになりました。詳しくは↓の下のほうを参照してください。
http://blog.notenki.net/2007/02/2_part_2_d8a0.html

このフェブラリーステークスの出走メンバーには,アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ
ハシノタイユウといった懐かしい名前が見えます。このうち,リバーセキトバはのちに高知に移籍し,
地元唯一の統一グレードレース第1回黒船賞で,驚きと感動の嵐の中,1着でゴールを駆け抜けました。
北野騎手の早すぎたガッツポーズは有名です。また,今はなき北関東のハシノタイユウは,前年の弥生賞で3着にはいり,
皐月賞にも出走しています。

さて,今年のフェブラリーステークスは,なかなか面白そうですね。でも,JRAによるディープなんたらの薬物“もみ消し”以来,
JRAの馬券は買わないことにしています。

さあ原田,因縁の2回目

今日はあの「立て立て立て,立ってくれぇ」の日(笑)

長野冬季五輪ジャンプ・ラージヒル(K=120),原田の2回目です。ご存知,工藤アナの名実況(括弧内は解説の八木さんの声)。

さあ原田,因縁の2回目…………91.5キロ……(よし来た!!)高いぞぉ……立て立て立て,立ってくれぇ……立ったぁ~…………ものすごいジャンプで来ました!!

自動計測不能の136mの大ジャンプでした。