バレンタインデーの春一番

東京でバレンタインデーに春一番が吹いたことは,過去に1965年と2004年の2回あります。

まず1965年から。

1965年2月14日の朝日新聞夕刊に「ポカポカと“春一番”」とあります。しかし,記事の中に“バレンタインデー”ということばはひとことも登場していません。

“バレンタイン”が新聞の見出しに初登場したのは,検索しやすい朝日新聞で見てみると,1963年2月15日の次の記事です。

  「恵まれない子どもたちのために愛の募金を」――と十四日中央区銀座四丁目の三愛ドリームセンター前などに「愛の募金箱」が置かれ,町をいく人の足を止めた。

   この日はカトリックの聖人バレンタインの日で,一般に“愛の日”とされるのがならわし。その愛を気の毒な子どもたちへも,と同店の店員さんがタスキをかけて立ち,小さなスミレの造花を道行く人に配りながら募金を呼びかけた。当方スター藤山陽子さんらも応援にかけつけたが,募金に応じたのはやはり若い人たちが圧倒的に多かったという。

このように,当時はまだ「バレンタインの日」でした。“バレンタインデー”の初登場は,1973年まで下ります。

ちなみに,1965年のバレンタインの日,南からの暖かい風によって山中湖の氷上スケート場で氷にヒビがはいり,幅1km,長さ2kmの氷が200人を乗せたまま沖に流れ出るというハプニングが起こりました。

お次は2004年。

バレンタインデーもすっかり定着していたはずですが,バレンタインデーと春一番を絡めた記事は比較的少なく,σ(^^;)が集めた限りでは次の神奈川新聞くらい。

   関東では十四日、昨年より十八日早く春一番を観測。横浜では瞬間最大風速二十四・三メートルの強い南西風が吹いた。

   午後二時半に最高気温十五・四度を記録(横浜地方気象台調べ)、平年より五度高い陽気となった。山下公園では、風にコートをはためかせ散策する人でにぎわった。夕方になっても、多くの人がベンチに座り、眼前の豪華客船のまばゆいライトアップを楽しんでいた。
   同日はバレンタインデーとあって、薄暮に浮かぶ客船を前に彼女からチョコを贈られていた会社員男性(29)は「春ももうすぐですね」と話していた。

せっかく育んだ愛が風によって吹き飛ばされてしまわないように,くれぐれもお気をつけください。

もっとも,今回乗り切ったとしても,5月13日にはもっとこわいメイストームデーが待ちかまえています(笑) メイストームデーについて詳しくは↓
http://blog.notenki.net/2006/05/post_6f31.html

 

春一番の塔

安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,
全員が帰らぬ人となりました。

この惨事以来,年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には
「春一番の塔」がつくられ,さらには,壱岐市のホームページには「この言葉の発祥の地は壱岐である」などと書かれていたりします。


http://www.city.iki.nagasaki.jp/sightseeing/history/history_02.html

別にケチをつけるつもりはありませんが,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。

これでは,“春一番”または“春一”ということばがこの遭難事件の前から漁師はもとより一部の文人も使っていたことが説明できません。
一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに「夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る」
とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

吉野家でバカが暴れる

 

 吉野家で牛丼を食べられなかったことに腹を立てて暴れ、客に暴行した暴行容疑で、茨城県神栖町のトラック運転手(35)
が11日、鹿嶋署に現行犯逮捕された。

 調べでは、運転手は同日午前9時10分ごろ、神栖町大野原1の「吉野家124号線神栖店」で牛丼を注文。店員が販売中止を伝えると
「牛丼屋なのに、なんで牛丼がないんだ」とテーブルをたたいて騒いだ。隣に座っていた男性会社員(24)が注意すると、男性の顔を殴り、
止めに入った別の男性会社員(21)の頭髪をつかむなどした疑い。

 運転手は来店前にビール大瓶2本を飲んだといい「販売中止は知らなかった。(牛丼が)ないので頭にきた」などと供述している。
同店では11日午前2時に牛丼が売り切れていた。
(2004/02/11毎日)

松阪牛のステーキとかではなくてたかが吉野家狂牛丼というところが,
バカ度を高めています(笑)

 

東京の2月の雪 (part 2)

前回に引き続き,東京での大雪によるドタバタです。ただし今回はランク順ではありません。

●1951年2月15日

この日,東京で歴代4位となる積雪33cmを観測しました。

朝日新聞によると,状況は次のとおりです。

中央気象台十五日午前二時発表=八丈島付近にある九七六ミリバールの強い低気圧はますます発達しながら毎時五十キロの速さで北東に進んでいる。このため東京地方は風速二十五メートルを越(ママ)える暴風雪となり,瞬間風速は三十メートルを越(ママ)えるところもあり,積雪量は三十センチを越(ママ)え,各所に深い雪だまりを作っている。

ここまで中心気圧の低い低気圧が関東南岸を通過することはあまりなく,中央気象台でも“東京地方では前代未聞”として注意を呼びかけていました。

この暴風雪のため,東海道線はストップ,4年ぶりに都電にラッセル車が出動しましたが,一部ラッセル車もきかない箇所もありました。

時間は前後しますが,夕方7時ごろ,上野公園のスロープにスキーヤーが数人現われ,“汽車節約のゲレンデ”とシャレこんでいたものの,間もなく猛吹雪で退散したそうで(朝日新聞より),見かけによらず根性なしの連中でした(笑)

また,時間帯はよくわかりませんが,銀座でもスキーが楽しめたそうです。

暴風雪は15日朝には過ぎ去り,春の日が射して気温は7.1℃まで上がり,雪の街は一転して泥の街と化しました。丸の内,浅草などの映画館は午後からの営業となりましたが,出勤してもろくに仕事のないサラリーマンや休講の学生などでけっこう賑わったそうです。また,この日デパートでいちばん売れたのはスコップだったとか。

●1967年2月10~12日

10日未明から降りはじめた雪は,南岸に前線が停滞したこともあり,12日まで降り続きました。降雪の深さは10日2cm,11日16cm,12日6cm,最深積雪は10日1cm,11日17cm,12日21cmとなっています。

また,北高型の気圧配置のために北から冷たい空気が下層に流れ込んできて気温が上がらず,11,12日の最高気温はそれぞれ0.0℃,-0.2℃で,これは1956年以降,東京の低い最高気温の2位と1位の記録です(気象庁天気相談所調べ)。また,2日連続で最高気温が0℃以下というのはもちろん新記録で,これ以降もありません。

この雪のため,羽田空港は一時全面閉鎖,“空港雪原”の上を除雪車が雪煙を上げながら走り回っていました。また,例によって東海道新幹線は遅れが相次ぎ,国電も運休が続出しました。

熱海では,交通止めで立往生したドライバーが通常1泊2000円程度の中級旅館に泣く泣く6000~8000円も払って宿泊する姿も見られました。

12日の東京競馬は中止となり,これは中央競馬会発足以来初の雪による東京競馬の中止となりました。ちなみに,東京競馬以外では中京競馬が1965年12月に雪のために中止になっています。

明けて13日は朝から久々の青空が広がりましたが,最低気温は-4.0℃まで下がり,国電各線は冷え込みと積雪のためにポイント故障やドア故障が相次ぎ,連休明けの通勤の足が大混乱しました。

●1994年2月12日

最近ではいちばんの大雪で,最深積雪は1969年以来となる23cmを記録しました。例によって交通は大混乱,佳境にはいっていた大学入試も大きな影響を受けましたが,3連休の最中であったため,雪の量の割には混乱は少なかったようです。

ちなみに,σ(^^;)は食料調達のほかはずうっと家にいて,パラボラアンテナに積もった雪をはらった後,リレハンメル冬季五輪の関連番組をほとんど一日中見ていました。だから,この日の雪は単独ではほとんど印象がなく,リレハンメル五輪とつながって記憶されています。

●1996年2月17~18日

17日から雪が降りはじめ,18日には最深積雪が14cmになりました。横浜では22cmを記録しています。

この雪のため,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。

また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,しかも国内最高峰である日本選手権の決勝が順延になるという珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」とお寒いオヤジギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後にも1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう(笑)

前日の17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

春の歌

「春の歌」で有名な作曲家ヤコブ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig
Felix Mendelssohn Bartholdy)が生まれたのは1809年の今日です。将来「春の歌」
を作曲する運命だったことが誕生日からもわかります(笑)

「春の歌」は思わずフラフラと踊り出したくなるようなメロディーですが,ドリフターズ加藤茶が“ちょっとだけよ”よりもかなり前,
この曲をバックに踊っていたことを知る人は少ないでしょう……(^^;) (ただし,番組は「八時だよ全員集合」ではありません)

「春の歌」の前には,♪チョウチョ,チョウチョと歌ってバッタリ……というパターンもありました。

早すぎた“春一番”

春一番についてはいずれ詳しく書くこともあると思いますが,簡単にどういうものかというと,
現在では次のような基準が決められています。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s 以上)が吹き,
気温が上昇する現象

現在発表しているのは,本庁(東京),鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,新潟の各気象台です。
気象台によって若干基準が違うようですが,立春から春分までというのは共通しています。

“立春から春分まで”というのがポイントです。1日でも違うといくらそれらしくても春一番とは認定されません。

1988年の今日,東京で最大瞬間風速21.8m/s(SW)の風が吹き,最高気温も14.9℃(前日比+6.4℃)まで上がったのですが,
2日ばかり早かったため春一番にはならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),
最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)が観測され,こちらが春一番となりました。まあ,
確かに5日のほうが春一番らしいといえばらしかったのですけどね。

1986年には2月3日に最大瞬間風速15.7m/sの風が吹き最高気温も前日より5.3℃高い14.5℃まで上がりましたが,
たった1日違いで春一番とはなりませんでした。

現在のような基準ができる前はもっとおおらかで,1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」
という見出しがあるように,節分に吹いたこともあります。ただし,この年の春一番の公認記録はなぜか2月10日となっています。
これはおそらく現在の基準で再鑑定されたものでしょう。

もぐらの日

明日2月2日は,北米ではGroundhog Day。あまり正しくはなさそうですが,要するに「もぐらの日」。あまり正しくないというのは,Groundhogはリスの仲間らしいからです。

いい伝えによると,この日,Groundhogがのこのこと巣穴が出てくるそうです。そのとき,晴れていて自分の影を見ることができるとまだ6週間冬が続き,くもっていて自分の影が見えないと春はすぐそこなのだそうです。

ちなみに,2月2日はもともとキリスト教の聖燭節(=キャンドルマス)です。聖燭節は,弱っていた太陽が復活しはじめ春が近づくことを祝うケルトの祭りからキリスト教に取り入れられた祝日だそうです。

2月2日は立春とほぼ2日違い。人間の考えることなんてあまり違わないようです。