無冠の貴公子に春が訪れます

タイトルは,「無冠の貴公子」タイテエムが無冠を返上したゴール前での杉本アナの実況です。

1973年4月29日。第67回天皇賞。スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。馬場はかなり悪化しましたが, なぜか発表は“良”のまま。ビデオで見ても,重か,少なくとも稍重くらいの状態にはなっています。

レースはナオキとシンザンミサキが先頭を交代しながら引っ張る形でスローの流れ。タイテエムは中団を進みます。 ところが2周目の3コーナーの坂にさしかかったところでズルズル後退。頂上では後方から2頭目まで下がってしまいました。

そのあとタイテエムが一時“行方不明”になります。いや,見失ったのは杉本アナだけだったのかもしれません。 テレビの画面には外を通って上がってくるゼッケン5が鮮やかに映し出されていました。しかし,杉本アナは「タイテエムもこの集団の中」 と実況しています。

タイテエムは4コーナーを回って大外に出たときには先団をとらえていました。しかし, 最内を回って粘り込みをはかるシンザンミサキの白いままの帽子を除いて(日本短波の高木アナ「白い帽子が印象的」の実況があります), どの馬の勝負服も帽子も泥をかぶって真っ黒。杉本アナは突然現われたタイテエムをにわかには信用できず,なかなか「タイテエム先頭!」 とはいえなかったそうです(杉本氏の著書より)。

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1973年 4月29日(祝) 3回京都4日  天候: 雨   馬場状態: 良
9R  第67回天皇賞
5歳以上・オープン  芝 3200m   15頭立
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着 枠 馬 馬名                 性齢 騎手    斤量 タイム 人 廐舎
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 1  3  5 タイテエム           牡5 須貝彦三  58 3.25.0   1 橋田俊三
 2  4  6 カツタイコウ         牡6 加賀武見  58 11/2    7 柄崎義信
 3  1  1 シンザンミサキ       牡5 久保敏文  58 2       8 久保道雄
 4  3  4 ナオキ               牡5 佐々木昭  58 アタマ   9 田中康三
 5  2  3 オンワードガイ       牡6 蓑田早人  58 11/4    2 森末之助
 6  7 12 ミリオンパラ         牡6 戌亥信昭  58 1/2     15 戌亥信義
 7  2  2 アイチアサホマレ     牡6 西谷達男  58 1      12 上田武司
 8  7 13 ハマノパレード       牡5 田島良保  58 3/4      5 坂口正二
 9  6 11 ユーモンド           牡5 福永洋一  58 11/2   11 武田文吾
10  6 10 エリモカップ         牡6 松田幸春  58 1/2      4 大久保正
11  5  8 トーヨーハヤテ       牡5 稲部和久  58 1 1/4  14 諏訪佐市
12  4  7 メトロオーカン       牡6 武邦彦    58 クビ    10 中村好夫
13  8 15 ランドプリンス       牡5 川端義雄  58 11/2    3 高橋直
14  5  9 シングン             牡6 吉岡八郎  58 1      13 坂口正二
--  8 14 スガノホマレ         牡5 野平祐二  58 競走中止 6 秋山史郎
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LAP :13.2-12.5-12.4-12.7-12.7-12.8-13.3-14.2-13.2-12.8-13.2-13.0-
 12.3-12.4-12.1-12.2
通過:38.1-50.8  上り:49.0-36.7
単勝 5 \280    複勝 5 \130 / 8 \390 / 1 \410
枠連   3-4 \1520
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ゴールデンウィークとお天気

今日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが,NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

“ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば安近短,なんてもう死語かも。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)と七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

遭難事故(いわゆるパンパカ)

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難,いわゆるパンパカが目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ1人や2人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

そのパンパカですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。1958年が“空前の登山ブーム”だったそうで,そのあたりから記事がぼちぼち目立ってきます。

そして1965年,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量パンパカが起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量パンパカがあったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,パンパカの可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。自分のフトコロが痛まないからねえ。

この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

ちなみに,現在は民間気象会社にも10日先までの予報が認められていて,それはそれはスバラシイ精度です。信用するとエラい目が見られます。7日先と8日先の間で時空の谷間を通過するんじゃないかと思われるほど全然違うことも多いです。

連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

観測史上もっとも早い台風の上陸(1956年)

1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。

25日付朝日新聞夕刊より:

台風三号 消える

台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。

「気象要覧」(1956年4月)より:

台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島と宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。

今の気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。

気象庁のベストトラックデータは次のようになっています。

56042400 002 9 248 1249  996
56042406 002 9 258 1260  997
56042412 002 9 272 1270  997
56042418 002 9 300 1285  997
56042500 002 2 315 1315  998

ついでに気象庁のサイトにある台風経路図も載せておきます。

このように気象庁では台風のままで大隅半島に“上陸”したように解析しており,これが観測史上つまり1951年以降ではもっとも早い台風の上陸ということになっています。

ところで,JTWCによるこの台風のベストトラックデータは次のようになっています。

WP, 03, 1956042400,   , BEST,   0, 248N, 1248E,  70
WP, 03, 1956042406,   , BEST,   0, 260N, 1261E,  60
WP, 03, 1956042412,   , BEST,   0, 275N, 1278E,  60
WP, 03, 1956042418,   , BEST,   0, 289N, 1290E,  45
WP, 03, 1956042500,   , BEST,   0, 306N, 1304E,  30

非情にも(?!)大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。

大手町川端緑道

大手町川端緑道が22日に開通しました。

錦橋付近から日本橋川に沿って緑道が続いています。

ただし,日比谷通りで分断されています。

この記事はWordPressのテスト用に書いたもので,大手町川端緑道の紹介が目的ではありません。あしからず。