富士見高校vs寺堂院高校

先週から日テレG+で伝説のスポ根アニメアタックNo.1の放送がはじまっています。

アタックNo.1にはさまざまなライバルとの対決がありますが,海外ではソ連のシェレーニナボルチンスカヤ,国内では寺堂院高校八木沢三姉妹でしょう。

こずえの富士見高校と八木沢三姉妹の寺堂院高校は,3人バレーでの対戦もありましたが,公式戦では2回対戦しています。

1回目の対戦は,こずえが1年のときのインターハイ決勝です。

香,静,桂の八木沢三姉妹の三位一体の攻撃と,富士見のダブルアタック,消えるアタック,変化球スパイクという技の応酬となり手に汗握る好ゲームになりました。こずえは最後になって三位一体の攻撃を破るヒントをつかみますが,ときすでに遅く,富士見は敗れ去りました。

寺堂院高校の監督だった三姉妹の母親は,病気のため(白血病? 骨肉腫?)もともとあまり長くない命でしたが,この試合の夜,息を引き取ります。

この大会直後の韓国との親善試合をめぐってもドラマがあるのですが(こずえが腱鞘炎になったり,のちに強力なライバルとなる青葉高校にそのきっかけを与えることになったり……),ここでは触れません。

2回目の対戦は,その年度の,いまでいう春の高校バレーの準決勝です。

長女の香は監督かコーチとなり,三位一体の攻撃は威力がイマイチになりましたが,川地というヤンキーっぽい新戦力を加えて,三位一体の攻撃に空中回転で煙幕をはったり,さらにはダブルアタックの空中回転版(名前はなかったがここでは空中回転アタックとよぶ)を編み出したりと,強力な攻撃を繰り出してきます。

一方,富士見もキャプテンの大沼みゆきの後がまに真木村京子がセッターとして加わっています。三位一体の攻撃と人間煙幕は破ったものの,空中回転アタックには有効な手が見つかりませんでした。

そこでこずえは,八木沢三姉妹の三女の桂が度重なる攻撃参加でかなり衰弱しているようすを見て,桂に攻撃を集中するという“非情”手段に訴えます。

ちなみにこの手段はこのときが最初というわけではなく,中学時代,不良チーム対バレー部の試合ではキャプテン桂木由美に,世界ジュニアバレーボール選手権では韓国のサイに攻撃を集中しています。ちょっと違いますが,やはり中学時代,知らなかったとはいえもともと心臓に疾患のある工藤ケイコを,許されざる特訓で病院送りにしています。

集中攻撃を受けた桂は再起不能となるほどの重傷を負い,試合終了とともに担架で運ばれます(サブタイトル「担架に送る手拍子」全編をとおしての名シーンだと思う)。

試合終了後,寺堂院のキャプテンで八木沢三姉妹の次女の静は,「そんなことまでして試合に勝ちたいんか」とこずえをなじります。

こずえは桂に重傷を負わせたという罪悪感から,翌日の東南学園との決勝戦を控えて,バレーボールができなくなってしまいます。

さて,富士見高校と鮎原こずえの運命やいかに。それは次回の講釈にて(笑)

隅田川花火殺人事件が見たい

毎年どこかで取り上げていますが(笑),隅田川花火大会が近づくと思い出すのが隅田川花火殺人事件。内田康夫センセの作品……ではなく,1990年8月6日にTBS系「月曜ドラマスペシャル」で放送されたドラマです。サブタイトルは「15年目に甦る女の過去・母と娘を引き裂く恐ろしい秘密!」。

次のようなあらすじです。

15年前の夏,中田真知子(丘みつ子)は,突然襲いかかってきた義兄の今井孝夫(ルー大柴)を鈍器で殴って殺してしまった。 目撃者はなくその夜の集中豪雨で家もろとも孝夫は流された。遺体確認をした真知子は確信はもてなかったが孝夫と認め,義兄は死亡と処理された。 その直後,病に伏していた姉・由紀子(田村亜耶)が死亡,遺児となった姪の由利(佐野量子)を引き取る。
15年目の夏,6歳だった由利も社会人。友達以上恋人未満の高野伸悟(宮川一朗太)がいる。真知子は3か月前に知り合った会社社長の島崎(有川博)からプロポーズを受ける。真知子は10日後の花火大会のときに返事をすると約束。その日は15年前の“殺人”の時効が成立する日。
ある夜,興信所の神内(名川貞郎)が由利の目の前で殺される。神内は数か月前から由利をつけ回し,「父親の今井孝夫は生きている」といいつづけていた。
神内のことばに郷里の新潟に舞い戻った由利の目の前でまたも殺人が。その直後,父親と名乗る男から由利に電話がかかってきた……。

本放送とその数年後に1回だけ再放送を見たことがあるので,全体のストーリーは大枠おぼえています。気になっているのは15年前の集中豪雨。“新聞”とかが写っているといいんですけどね。

ちなみに,今ではキャストに名前があるだけで犯人ネタバレになってしまう感のある宮川一朗太ですが,このドラマでは犯人ではありません。

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

気象台記念公園

関東甲信地方に梅雨明けしたと見られます発表のあった日,我孫子市にある気象台記念公園に行ってきました。

そこそこ広い公園です。

気象台記念公園 – 我孫子市ホームページには

公園の大部分は広大な芝地になっており、キャッチボールやかけっこなど、のびのびと遊ぶことができます。平地と斜面地間には、ヒバの列植やアカマツが点在し、東側には、サクラも植栽されています。

と紹介されていますが,公園名の由来とかは説明されていません。

気象台記念公園の整備に関する提言(我孫子市気象台記念公園整備計画検討懇談会)という文書によると,

昭和14年から平成11年までの 60 年間、中央気象台布佐出張所(気象送信所)が設置されていました。昭和9年の室戸台風をきっかけに、気象通信網整備の必要は認められながらも用地取得に困難を極める中、当時の布佐町出身で中央気象台長であった岡田武松氏が布佐町と交渉し、布佐町が土地を寄付したことで実現しました。気象送信所は無線通信業務を主に、日本の気象観測に大きな役割を果たしました。

とのことです。

今は気象送信所の建物はすべて撤去されてまっさらになっていますが,そのかわり我孫子アメダスがここにあります。

アメダスの中では比較的交通が便利なところにあるので,アメダス巡礼を趣味にしているような人は比較的早い時期に訪れていることと思います。観測装置のすぐ前に設置してあるベンチでひと休みした人も多いことでしょう。

ところで,測ってガイガー!を見てみると,この気象台記念公園の放射線量の投稿はないようです。アメダス巡礼に来た人もほとんど測定はしていないと思います。お天気屋のほとんどは放射能には興味のない人たちですからね。日ごろ防災防災とバカのひとつおぼえ念仏のように唱えながら私の知る限り肝腎の3.15や3.22には何の役にも立ちませんでした。

話がズレましたが,ベンチでひと休みするついでに測ってみました。座りながら測定したので地表からの高さ50cmでの値です。写真の向こう側のベンチ前は0.14μSv/h,手前側のベンチ前は0.17μSv/hでした。いずれ測ってガイガーにも投稿するつもりです。

公園の奥の芝生の上をシンチレーションカウンター(といってもDC-100ですが)を持って歩くと,ほとんどで0.2μSv/hを超えていました。

我孫子市のホームページによると,モニタリング結果が0.23μSv/h未満だったため除染は行なわれていないようです。

気象台記念公園はここです↓

大きな地図で見る

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ