今朝の国立・大学通り

国立市にある大学通りです。

今朝,次の地点にある歩道橋から撮りました。

赤い三角屋根の駅舎が写っています。えっ?

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10年前にこのブログを書いていれば,確かに今朝の国立・大学通りでした。

以上,去年と同じネタでした。手抜きですみません。

バレンタインデーと春一番

東京(というか,関東甲信地方)でバレンタインデーに春一番が吹いたことは,過去に1965年,2004年,2007年の3回あります。(気象庁天気相談所の資料による)

1965年

まず1965年から。

1965年2月14日の朝日新聞夕刊に「ポカポカと“春一番”」とあります。しかし,記事の中に“バレンタインデー”ということばはひとことも登場していません。

“バレンタイン”が新聞の見出しに初登場したのは,検索しやすい朝日新聞で見てみると,1963年2月15日の次の記事です。

「恵まれない子どもたちのために愛の募金を」――と十四日中央区銀座四丁目の三愛ドリームセンター前などに「愛の募金箱」が置かれ,町をいく人の足を止めた。

 この日はカトリックの聖人バレンタインの日で,一般に“愛の日”とされるのがならわし。その愛を気の毒な子どもたちへも,と同店の店員さんがタスキをかけて立ち,小さなスミレの造花を道行く人に配りながら募金を呼びかけた。当方スター藤山陽子さんらも応援にかけつけたが,募金に応じたのはやはり若い人たちが圧倒的に多かったという。

このように,当時はまだ「バレンタインの日」でした。“バレンタインデー”の初登場は,1973年まで下ります。

ちなみに,1965年のバレンタインの日,南からの暖かい風によって山中湖の氷上スケート場で氷にヒビがはいり,幅1km,長さ2kmの氷が200人を乗せたまま沖に流れ出るというハプニングが起こりました。

2004年

お次は2004年。

バレンタインデーもすっかり定着していたはずですが,バレンタインデーと春一番を絡めた記事は比較的少なく,σ(^^;)が集めた限りでは次の神奈川新聞くらい。

 関東では十四日、昨年より十八日早く春一番を観測。横浜では瞬間最大風速二十四・三メートルの強い南西風が吹いた。

 午後二時半に最高気温十五・四度を記録(横浜地方気象台調べ)、平年より五度高い陽気となった。山下公園では、風にコートをはためかせ散策する人でにぎわった。夕方になっても、多くの人がベンチに座り、眼前の豪華客船のまばゆいライトアップを楽しんでいた。
 同日はバレンタインデーとあって、薄暮に浮かぶ客船を前に彼女からチョコを贈られていた会社員男性(29)は「春ももうすぐですね」と話していた。

せっかく育んだ愛が風によって吹き飛ばされてしまわないように,くれぐれもお気をつけください。

もっとも,今回乗り切ったとしても,5月13日にはもっとこわいメイストームデーが待ちかまえています(笑) メイストームデーについて詳しくはメイストーム・デーとメイストーム | Notenki Express 2014をご覧ください。

2007年

2007年2月14日のasahi.comより:

 バレンタインデーの14日、関東地方で「春一番」が吹いた。気象庁天気相談所によると、昨年の3月6日よりも20日早かった。

 同相談所によると、日本海にある低気圧が発達しながら東北東に進み、関東地方では南部を中心に南よりの風が強まり、気温が高くなった。

 午後6時半までに、東京で秒速18.2メートル、千葉で同30.2メートル、横浜で同27.3メートルの最大瞬間風速をそれぞれ記録した。

 大阪管区気象台も14日、近畿地方に春一番が吹いたと発表した。昨年は観測せず、一昨年より9日早かった。

 和歌山市や潮岬などで最大瞬間風速が20メートルを超えた。南よりの風の影響で、大阪市の気温は午前11時までに17度を超え、4月上旬並みの暖かさになった。

ちなみにこのシーズン,東京ではバレンタインデーまでに初雪が観測されていませんでした。2007年2月13日の毎日新聞より:

低気圧:初雪ないまま「春一番」吹き荒れる?

 日本海で急速に発達する低気圧の影響で、14日は関東甲信・北陸から九州地方にかけて「春一番」が吹き荒れそうだ。観測統計上、東京で初雪の前に春一番が吹いたことはなく、記録的な暖冬を象徴する天候になりそう。15日にかけては全国的に暴風や高波が見込まれ、気象庁は厳重な警戒を呼びかけている。

 14日夕までに予想される最大風速は、海上20~28メートル、陸上15~22メートルで、突風を伴う見込み。海上は猛烈なしけが予想される。さらに広範囲で雨や雪となり、太平洋側では雷を伴う激しい雨となる所もありそう。土砂災害や河川の増水、なだれの恐れもある。

このシーズンの東京の初雪は,なんと3月16日でした。

※この記事はバレンタインデーの春一番 | Notenki Express 2014に若干書き加えただけの手抜き記事です。
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冬将軍に経歴詐称疑惑?!

明日から冬将軍がやってくるとかいって,お天気キャスターたちが冬将軍,冬将軍と連呼しています。

冬将軍って以前はそれほど使用頻度の高いことばではなかったと思いますが,ここ2,3年でやたら耳にする,あるいは目にするようになったような気がします。あくまで気がするだけです。

もし実際にそうだとすると,NHKの天気コーナーの影響かもしれません。今では次のようなTwitterアカウントも登場しています。

そんな冬将軍,由来はいったい何なんでしょう?

一般には次のようにナポレオンを撃退したロシアの厳冬に由来するとされています。冬将軍はなぜ”将軍”? - トクする日本語 - NHK アナウンスルームより一部引用:

この季節になると気象情報で聞きはじめるのが、寒さを擬人化した「冬将軍」ということば。これについて「どうして”将軍”なのか」というお便りをいただきました。これはフランス皇帝ナポレオンに由来しています。1812年にナポレオンは、ロシア遠征で厳しい寒さのため敗退をよぎなくされました。その際、イギリスの新聞が「ナポレオンがgeneral frost(=厳寒将軍)に負けた」と報じたと言われています。これが、日本で「冬将軍」と訳されたのです。ナポレオンに打ち勝つぐらいですから、「大名」や「殿様」よりは「将軍」がしっくりくるかもしれません。

日本語版のWikipediaにもこの説が載っていたりします。

ところが,原典となったといわれる新聞についてなんという新聞の何月何日付の第何面の記事か,調べてもよくわかりません。それに英語版のWikipediaにはgeneral frostの項目がありませんし,私が調べた範囲では次の記載があるだけで,イギリスの新聞が云々という話は載っていません。

Napoleon’s Grande Armée of 610,000 men invaded Russia, heading towards Moscow, in the beginning of summer on 23 June 1812. The Russian army retreated before the French and again burnt their crops and villages, denying the enemy their use. Napoleon’s army was ultimately reduced to 100,000. His army suffered further, even more disastrous losses on the retreat from Moscow started in October.
Russian Winter – Wikipedia, the free encyclopedia

どういうことなんでしょうね?

これについては継続調査中です――といいたいところですが(数年前から(笑)),あんまり興味はないので数年前のままです。

話変わって,それでは冬将軍はいつごろ日本で使われるようになったんでしょう? これについての説明は見たことがありません。

以前国会図書館に行ったついでに新聞を調べた範囲では,初出は意外と新しく,1941年9月16日付の朝日新聞。

冬季作戰の對策(上)/獨逸/計算濟みの「冬將軍」
ナポレオンの轍は踏まず 獨ソ会戰

讀賣新聞にもほぼ同じ時期に使用例があるので,軍部の発表に“冬将軍”が使われていたのかもしれません。

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今年のイブの天気は?

昨日12ZイニシャルのGSMによるイブの21時の地上,850hPa,500hPa予想:

本日00Zイニシャルの週間アンサンブル予報(クラスター平均)によるイブの21時の地上,850hPa,500hPa予想:

なんというか,これといった印象がないですね。リア充にとってもぼっちにとってもとくに変わり映えのしない天気なのではないでしょうか。

まあ,まだ先の話なのでどうなるかはわかりません。

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秩父夜祭殺人事件

12月2日と3日,埼玉県秩父市で秩父夜祭が行なわれます。

しばらく中止されていたネット中継も,有志の方々がボランティアで復活させるようです。

秩父にはときどき行っていますが,夜祭期間中には行ったことがありません。人混みがきらいということもありますが,そもそもホテルの部屋が簡単には取れません。夜祭期間中の部屋の予約は通常とは別扱いになっているところが多いようです。料金ももちろん特別料金(笑)

ところで,私の知る限り,秩父夜祭の夜に2件の殺人事件!?が起きています。

ひとつは,

2000/12/04 秩父夜祭が終わったこの日の朝,秩父市内の羊山公園で,ホームレス風の初老の男性の絞殺死体が発見される(内田康夫『鯨の哭く海』)

『鯨の哭く海』のロケ地探訪はhttp://www.notenki.net/location/uchida.html#id0003にあります。ただし,訪問したのは秩父のみで,しかも最重要箇所が抜けています(笑) 10年以上も前のものなので更新したいと思っていることはいます。

この作品は2006年10月13日に「金曜プレステージ」でドラマが放送されましたが,ハッキリいって駄作でした。

殺人事件のもうひとつは,2002年1月12日に土曜ワイド劇場で放送された「お祭り弁護士・澤田吾朗2 秩父夜祭りに消えた女~恋人に殺人容疑が!巨大笠鉾引き踊り,打ち上げ花火が暴いた真犯人」。あらすじを公式サイトから。

 澤田吾朗(高嶋政伸)は、お祭と聞けば全国どこにでも駆けつけてしまうほどの祭り好きの弁護士。現在、妻・恵(芳本美代子)の母である弁護士・神崎雅子(野際陽子)の事務所に籍を置いている。
 ある日吾朗は、足を捻挫した雅子の代わりに、仕事で秩父へと出かけて行く。折りしもその日は、日本三大曳山祭りの一つ、秩父夜祭りの当日、祭りの血が騒ぐ吾朗は早速参加してしまう。
 ところがそんな中、吾朗は若い女性が男の車に引きずり込まれようとしているのを目撃、女性を助けようとしたことから、周囲を巻き込んでの大乱闘になってしまう。
 所轄署に連行された吾朗は、仕事の依頼人で秩父織りの名人といわれる職人・佐久間大三郎(梅津栄)が保証人となって、ようやく釈放される。
 吾朗は、その直後に大三郎から、自分の孫だというやはり秩父織りの職人・佐久間雄一(西岡竜一朗)を紹介される。雄一は、神谷桐子(細川直美)という恋人を連れていたのだが、桐子こそ、吾朗が助けようとした女性だった。桐子を車に連れ込もうとしたのは、工藤(藤原習作)というチンピラだという。吾朗と桐子からこの一件を聞いた雄一は、「こうなったらあいつと決着をつけてやる」と叫ぶと、その場から駆け去っていき、あわてて桐子もあとを追っていったのだった。

ドラマの中で,今夜はどうぞうちにお泊まりくださいと勧められた澤田吾朗がホテルの部屋を取りましたからといって断わるシーンがあるのですが,当日ポッと部屋が取れるなんてあり得ないです。かりにホテルの部屋を取ったのが事実なら,かなり以前に予約していたものと思われます。

2時間サスペンスでは,「サントリーミステリー大賞スペシャル」で放送されたその名も「秩父夜祭殺人事件」もあるのですが,ストーリーが不明で(たぶん見たはずですが),そもそも秩父夜祭の夜に殺人事件があったかどうかわからないので,ここではスルーしておきます。

最後に,秩父夜祭は“り”を送らないのが正しいようですが,タイトルやサブタイトルや引用に関しては《ママ》にしています。

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11月3日は晴れの特異日?

晴れの特異日とされる日で最も有名なのはおそらく11月3日でしょう。でもホントに晴れの“特異日”なのでしょうか。

シツコいですが特異日について『気象科学事典』から引用しておきます。

暦の上の特定の日に,ある特定の気象状態が現れる割合が前後の日に比べて高い日

“前後の日に比べて高い”というのがポイントです。これを念頭に11月3日前後数日間の過去の天気を調べます。

ここで問題になるのはこれもまたシツコいですが“x月x日が晴れか否かをどう決めるのか”です。ここでは10月10日は晴れの特異日ではなかった | Notenki Express 2014と同じく次の日を晴れということにしました。

天気概況(昼:06時~18時)で“晴”がある日。ただし“雨”のある日はカウントしない

方法によって比率は変わるでしょうが,傾向は変わらないと思います。ちなみに,東京管区気象台では“日平均雲量8.5未満”かつ“日降水量1.0㎜以上ではない”を“晴”とした日別天気出現率を公開しています。

データを気象庁HPからダウンロードしてきて10月29日~11月8日について1967年~2014年の東京の晴天率を調べると次のようになります。

月/日 晴天率(%)
10/29 50.0%
10/30 56.3%
10/31 68.8%
11/01 54.2%
11/02 66.7%
11/03 64.6%
11/04 64.6%
11/05 52.1%
11/06 39.6%
11/07 47.9%
11/08 72.9%

なんかビミョーな値ですね。しかもとくに“前後の日に比べて高い”わけではありません。10月10日は晴れの特異日ではなかった | Notenki Express 2014と同じように“非雨率”を出してみると次のようになります。

月/日 非雨率(%)
10/29 70.8%
10/30 72.9%
10/31 81.3%
11/01 68.8%
11/02 77.1%
11/03 87.5%
11/04 83.3%
11/05 81.3%
11/06 60.4%
11/07 66.7%
11/08 83.3%

期間を通して雨が降りにくいので程度問題ですが,その中でも“雨が降りにくい日”とはいえるかもしれません。

10年でまとめた晴天率の5年ごとの推移は次のようになります。

期間 晴天率(%)
1970-1979 60
1975-1984 90
1980-1989 80
1985-1994 80
1990-1999 80
1995-2004 60
2000-2009 50
2005-2014 60

1970年代後半から1990年代ごろにピークがあってそれから下がってきたように見えますが,それが傾向なのかどうかはわかりません。

ちなみに,1956年11月2日付毎日新聞によると(ただし方法は不明),1881-1955年の75年間の晴天率は2日が54%,4日が52%なのに対し,3日は67%でした。それでも67%だからとくに高いとはいえませんが,1921-1955年に限定すると晴天率は70%を超えていたとのことです。

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曲がり角

これからの季節恒例のあれ:

お肌のお肌の 曲がり角
三十路だ 三十路だ アラサーだ
頼もうか 頼もうよ
ドモホルンリンクルお試しセット

元歌はもちろん「たきび」(作詞:巽聖歌,作曲:渡辺茂)です。

かきねの かきねの
まがりかど
たきびだ たきびだ
おちばたき
「あたろうか」
「あたろうよ」
きたかぜ ぴいぷう
ふいている

この歌は「ラジオ少国民」1941年12月号に掲載され,同年12月9~11日に「幼児の時間・うたのおけいこ」というラジオ番組で放送される予定でした。

ところが,2日間放送したところで軍から,たき火は敵機のかっこうの目標になるし,落ち葉といえども風呂焚きくらいには使える大事な資源だ!! こんな歌歌わせるんじゃねえ(#`Д´)ノゴルァァァァァ!!,という命令が出て中止になりました。

なんと,開戦早々制空権や資源の確保も危ういような戦争をおっぱじめたわけですよ。

それはともかくとして,敗戦後しばらくするとこの歌は見直され,小学校の音楽の教科書にも載るようになりました。

ところが今度は消防庁からクレームが。町角でのたき火は危険――という訳です。それ以来,教科書掲載時の挿絵には火消し用のバケツが描かれるようになったそうです。

火消し用のバケツを用意するのも大切かもしれませんが,そもそも北風がぴいぷう吹いているときのたき火はやめたほうがよろしいのではないでしょうか。

参考文献: 池田 小百合, 内田 正泰. 童謡・唱歌 風だより. 春陽堂書店, 2004.

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木枯らし1号

木枯らし1号

その年の秋から冬にかけてはじめて吹く北風を木枯らし1号とよぶことがあります。

“木枯らし1号”を公式に発表しているのは東京(関東)と大阪(近畿)だけですが,基準が微妙に違います。

冬型の気圧配置のときにその年はじめて吹く風速8m/s以上の北~西北西の風

というのは共通なんですが,期間は関東では“10月半ばから11月末まで”,近畿では“おおむね二十四節気の霜降から冬至まで”となっています。今日は10月18日ですから,関東の基準では期間内ですが,近畿の基準では期間にはいっていません。ここ2,3日のうちに大阪でこのような風が吹いたとしても“フライング”となり,“木枯らし1号”にはなりません。

気象庁天気相談所によると,東京の“木枯らし1号”の最早は10月13日(1988年),2番目は10月17日(1957年),3番目は10月18日で1986年と2000年に観測されています。最晩は11月28日(1969年と1981年)です。

“木枯らし1号”の平年日は現在は発表されていません。要するに賞味期限のある現象で発現しない年もあるし,平年日に科学的な根拠がないから,ということらしいです。春一番と同様です。

ただ,科学的な根拠云々を別にして平均をとると,だいたい二十四節気の立冬前後,11月7日前後になるようです。

1号があれば当然2号,3号,……もあると考えるのがふつうの感覚でしょう1。ところが,木枯らしに関するかぎり2号,3号,……は聞いたことがありません2。かなり不自然です。“木枯らし1号”なんてそもそもからしてセンスのかけらもないネーミングですよねえ。

“木枯らし1号”がいつごろから使われたのかわかりませんが,新聞記事の見出しとしての初登場は,当方調べでは1975年11月11日付朝日新聞夕刊です。ただ,1973年11月2日付朝日新聞夕刊掲載の倉嶋厚さんのコラム「お天気衛星」のタイトルが“木枯らし1号”なので,このころにはすでにぼちぼち使われていたのでしょう。

『天気図集成』を調べると,「天気図日記」では意外に早く,1956年10月20日に登場しているように見えます。

木枯らし1号

きのうバイカル湖の東にあった高気圧が南下して本州は快晴になったが,東日本では木枯し第一号が吹いて気温が急降し関東の山々に初雪がふった.

ところが,当時「天気図日記」を掲載していた今はなき月刊誌「天文と気象」を見ると,見出しの“木枯らし1号”はありません。見出しは『天気図集成』に収録するときにつけられたもののようです。

今では死語となっている木枯らし第1号の登場はもっと早いです。

1955年10月9日付朝日新聞に次のようにあります。

……この寒さは全国的なもので,八日は九州で三,四度,北海道で五度,中部山岳地帯で五度,中国近畿地方では六,七度も平年より低かった。西高東低という冬型の気圧配置だそうで,七日晩から全国各地に吹き出した北風は冷たい季節風のはしり。つまりは〝木枯らし第一号〟だったわけで,この吹きはじめも平年より一月近く早いと中央気象台ではいっている。

同じ日の天気について,「天文と気象」の「10月の天気図」には8日の記事に次のようにあります。

北日本に低気圧が発達,大陸高気圧が押し出してきて冬の季節風型があらわれはじめた. 武蔵野にも〝木枯し〟第1号がふき初めたが,これは平年より1ヶ月も早い. 各地に初霜,初雪しきり.

ただし10月8日は現在の基準では“フライング”であるため,“木枯らし1号”とは認定されていません。この年の“木枯らし1号”の発現日は10月30日となっています。

木枯らし2号?!

「天気図日記」で木枯らし2号が使われた例が当方調べでひとつだけあります。1966年10月29日の日記:

西日本に木枯らし

きょうは関東にも木枯らし2号が吹くとみられたが,強い北風は西日本のみでおわった. Hが南下してはりだしたためだが,土星のリング消失の観測に表日本は絶好の晴夜.

これは月刊「気象」,『天気図集成』に共通です。

記録によるとこの年の“木枯らし1号”の発現日は11月15日でまだ吹いておらず,意味不明です。“1号”の誤植なのでしょうかねえ。

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  1. ヤッターマンには1号と2号しかいませんが。 
  2. あとに書くように“2号”については1回だけ何かの間違いで使われたと思われる例を見たことがあります。 

山に初雪降るころに

「小さな日記」という歌があります。1968年にフォー・セインツというフォークグループが出した,いかにもフォークのはしりという感じのするきれいな曲です。1970年代にはやり出すいわゆるニューミュージックのわけのわからなさや,同じく1970年代に忽然と現われて消えた四畳半フォークの貧乏くささがありません。どうでもいいですけど,四畳半フォークの代表とされるかぐや姫の「神田川」の舞台は三畳ひと間の小さな下宿で,四畳半の広さすらないのは皮肉でしょうか。

さて,「小さな日記」の3番――:

山に初雪ふる頃に
帰らぬ人となった彼
二度と笑わぬ彼の顔
二度と聞えぬ彼の声

彼はどうして死んだのでしょう?

詞では「山に初雪ふる頃に」つまり季節的には広い意味でちょうど今ごろ,「帰らぬ人となった彼」とあるだけで,山で死んだとは書いてありません。“交通戦争”真っ盛りの当時のこと,そこの交差点で飲酒運転の車に轢かれたのかも知れないし,通り魔に襲われたのかもしれません。

でも,ふつうに考えれば,山に行って帰ってこなかったのでしょう。いわゆる無言の帰宅というやつ。おそらく“雪”で滑って転落死したか,天気の急変を読めずに軽装で行って凍死したかということなのでしょう。いずれにしても無謀登山によるパンパカということになります。だから彼とのことは思い出したくもない過去なのかも知れません。

ちなみに,この曲を歌っていたフォー・セインツはのちにフォー・クローバーズという名前で「冬物語」を歌うことになります。同名のドラマ「冬物語」の主題歌ですが,「冬物語」をパクってつくられたのがあのキムチの悪臭漂う腐ったドラマ「冬のソナタ」です。

そののち,フォー・セインツのメンバーのひとり荒木生徳は仮面ライダーストロンガーに変身して「天が呼ぶ,地が呼ぶ,風が呼ぶ。悪を倒せと俺を呼ぶ!」と叫んで日本の平和を守り,さらには津上明と名乗って特命捜査課の刑事となり,猛毒の炭疽菌のはいった風船を車に載せ,車ごとコンクリート壁に激突して爆発炎上させるという壮絶な殉職を遂げることになります。

ついでに「小さな日記」と双璧をなすパンパカソング:

もともとはエイトマン……というよりホステス殺しで有名な克美しげるが歌った歌ですが,なんかひとりで盛り上がっている感じです。ダークダックス向きだと思います。

実際に起こったパンパカをもとにしたという話を聞いたので以前調べたことがありますが,登山にはもともとなんの興味もないことに加えてパンパカが多すぎるため,ペンディング状態になっています。

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カッツポーズ列伝 part2

4月11日はカッツポーズの日。いわれについてはガッツポーズの日 | Notenki Express 2014をご覧ください。ちなみに,ガッツポーズという名前が最初につけられたのはガッツ石松の勝利のポーズだという俗説は間違いです。

さて,ガッツボーズ列伝 | Notenki Express 2014のあとのガッツポーズをテキストクリップから拾ってみました。

まず,2011年1月のサッカーアジア杯。李忠成のボレーシュートが今でも目に浮かびますが,もう4年も前なんですね。

アジアカップで優勝、ガッツポーズでピッチに向かうザッケローニ監督 (ASA)

写真を載せられないのが残念です(手もとにはある)。

2011年2月,ガールズケイリンの1期生が誕生しました。

合格が決まりガッツポーズする左から白井美早子、田中麻衣美、渡辺ゆかり (日刊スポーツ)

このころが穏やかな時代の最後だったかもしれません。

3.11の直後,メイダンで奇跡が起こりました。

スタート直後は最後方に控えたが、スローペースを読み切ったデムーロ騎手の好判断によって向正面で追い上げ、逃げるトランセンド(牡5、栗東・安田)をぴったりマーク。最後の最後まで懸命に粘るトランセンドを半馬身かわし、昨年まで日本から延べ18頭が挑戦して成し得なかった悲願を達成した。勝ち時計は2分05秒94。ゴール手前でガッツポーズを繰り出したデムーロは「信じられない! いつもはいいスタートが、今日は良くなかった。バックストレッチでスローペースになったことがラッキー。いいポジションに付けられた。直線がすごく長くて、終わらないかと…。家族のみんな、ありがとう! 日本のみなさん、ありがとう!」と感涙にむせんだ。(日刊スポーツ)

4月,楽天ゴールデンイーグルスは田中の好投で主催開幕戦を白星で飾りました。

完投勝ちし、ガッツポーズで雄たけびを上げる東北楽天・田中 (河北新報)

5月,雨の中,オルフェーヴルが二冠を達成します。

薄暗い府中でも、オルフェーヴルと池添にはビクトリーロードが見えていた。残り300メートル。ごちゃついた馬群を割ると、一瞬前に出られたウインバリアシオンを抜きにかかった。芝の塊が飛び、水しぶきが跳ね返る最悪なコンディションもものともせず、内から鋭く抜け出す。残り1ハロンで完全に先頭に立つと、あとは後続を離すだけ。皐月賞で自粛したガッツポーズが自然と出た。2着に1馬身3/4差、3着はさらに7馬身離れた。「本当によく頑張ってくれた」。愛馬をなでる池添の目には涙が浮かんだ。(日刊スポーツ)

夏,武豊がついにばんえいでも勝利を挙げます。

今年で5回目を迎える「JRAジョッキーDAY」には武豊、藤田、安藤勝や、今年初参戦の吉田豊と隼人兄弟、謎のX騎手こと小林徹らが駆けつけた。例年通り、ばんえいの騎手とコンビを組んで2レースに出場。優勝は1レース目で6着(6ポイント)、2レース目で1着(20ポイント)の武豊騎手だった。昨年に続いて2回目の参戦となった武は念願の初Vにガッツポーズ。トロフィーを受け取り「夢がかないました(笑い)。体が倍以上あってまだ少し怖いけど、楽しいですね」と満面の笑みを見せた。 (日刊スポーツ)

いい加減疲れてきました。この調子で続けてもなんか2011年で終わりそうなので,一気に2012年にタイムワープして終わりたいと思います。

2012年の箱根駅伝往路。“山の神”柏原が区間新で山を登り,東洋大が往路4連覇を達成しました。

最後の角を曲がって、苦しそうだった柏原が笑顔になった。ゴール前、右手で3度ガッツポーズ、両腕を大きく広げてゴールテープを切り、仲間たちの待つ輪に加わった。 (スポーツ報知)

続きはまた来年のガッツポーズの日に(笑)

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