刑事7人

昨日最終回だった刑事7人,実は毎回見ていました(笑)

第1,第2シリーズともまったく見ていなかったのですが,ふとしたきっかけで見ることになりました。

そのきっかけとは,これです。

Image from Gyazo

ある日,拙宅の近くで撮影が行なわれていました。

スタッフの人に何の撮影なのか聞いたところ,「刑事7人」という7月からはじまるドラマです,見てね,といわれたので,見ることにしました。

帰ってから調べみて臨海地区を舞台にしたドラマということを知り,どうしてこんな臨海地区とはまったく無縁のはるかかなたな田舎で? と思いました。他にふさわしいところならいくらでもあるでしょうに。ドラマの撮影は実世界を利用してバーチャルな世界をつくり上げるようなもの――にしてもです。

ちなみに,ロケ地さがしの楽しみを奪わないために,上の写真は場所の特定可能な文字の部分を塗りつぶしてあります(笑)

それにしても,古くは七人の刑事とか,現在も月曜名作劇場で放送される警視庁南平班~七人の刑事~とか,刑事モノは7人が好きですね。たった3つだけですけどね(笑)

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*[2019/06/02] 画像を再表示しました。

招き猫の日と豪徳寺とひこにゃん

今日は招き猫の日だそうです。

一般社団法人 日本記念日協会のサイトには

招き猫は福を招くといわれているところから、9と29を「来る福」(くるふく)と読む語呂合わせで、招き猫の愛好家の団体である日本招猫倶楽部が制定。日本ならではの縁起物として知られる招き猫は右手を上げていると金運を招き、左手を上げていると客を招くなどといわれ、広く庶民に愛されてきた。招き猫の魅力をアピールし、多くの人に福を招いてもらうのが目的。

とあります。招き猫といえば井伊直孝公と豪徳寺,そしてひこにゃんがピンと来る私としては拍子抜けするような由来です。

ひこにゃんと井伊直孝公と豪徳寺,とりもったのは雷でした。

ひこにゃん プロフィール | ひこにゃん公式サイト – 彦根市には次のようにあります。

彦根藩二代藩主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる”招き猫”と、井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を合体させて生まれたキャラクター。

“雷雨から救った”だけではよくわかりません。σ(^^;)的にいちばん納得できるのは次の伝説です。

「この寺(豪徳寺=σ(^^;)注)はもと弘徳院といい、吉良上野介の祖先の一族である吉良氏の菩提寺だったが、戦国時代には寺運が傾いていた。世田谷城主だったパトロンの吉良氏が没落したからである。江戸時代に入ったばかりのことである。この破れ寺の和尚は一匹のネコを飼っており、タマと名づけて可愛がっていた。和尚は日ごろタマを相手に、『お前を可愛がってやっているのに、この貧乏寺ひとつなんとかできないのか』と愚痴をこぼしていたらしい。(中略)ある夏の日、三代藩主井伊直孝が家来をつれて世田谷村へ遠乗りにやってきた。ちょうど弘徳院の門前にさしかかったころ、黒雲が空を覆ったかと思うと、はげしい夕立となった。直孝主従が雨宿りをしていると、山門に出てきた一匹のネコが、しきりに手招きしているように見えた。これにつられて直孝ら一行が寺に入ったとたん、大木に落雷して直孝はあやうく一命を救われることになった」
 このことがきっかけで弘徳院は井伊家の菩提寺となり、豪徳寺と名を改めて栄える。
「そのきっかけをつくったタマは観音様の化身だとしてたいせつにされ、招福観音堂にまつられて現代にいたっている」
http://homepage1.nifty.com/manekinekoclub/kenkyu/keizu/keizu_engi.html=リンク切れ

たんに猫に招かれて寺にはいっていったら雷雨になったのでいい雨宿りができたというレベルではなく(それだけだったらひとこと「世話になった」で終わりかも),まさに猫によって間一髪で命が救われたわけですから感謝感激雨あられだったことでしょう。

でも殿さま,雷雨のときに大木の下で雨宿りをするなんてもってのほかです!!

この伝説を使って,ひこにゃんが登場する雷の防ぎかた講座なんて動画やパンフレット,できないのかなあ。まあ,今までやってないということは版権かなんかの問題でできないんでしょうね。

それにしても,ネコを相手に「お前を可愛がってやっているのに、この貧乏寺ひとつなんとかできないのか」とグチをこぼすなんて,修行の足りない坊さんだなあ……(笑)

お散歩

この伝説の舞台の豪徳寺。場所はここ↓

その昔『Let’s豪徳寺』というマンガがありましたね。

以下,豪徳寺をざっと紹介。あんまりいい写真はないです。なお,撮ったのは2009年です。

山門

招き猫

グッズ販売も確かここ。私はミニチュアの招き猫を買いました。

みかん!?

みかんにも何か由来があるんでしょうか?

井伊家墓所

※この記事は[mixi] 最近有名なひこにゃんをもとにしたものです。

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将門台風 (1884年)

神田祭という神田明神のお祭りがあります。今は5月15日前後に行なわれていますが,かつては旧暦九月十五日前後に行なわれていました。

1874年,明治天皇が神田明神に行幸するにあたり,天皇が参拝する神社に“朝敵”平将門が祀られているのはヤバいということで,平将門は末社に降格されるといういわれなき処分を受けました。

時の神田生まれの江戸っ子たちはこの処分に反発,10年にわたり神田祭をボイコットしました。

しかし,それから10年たった1884年,世は不景気だし,この不景気を吹っ飛ばそうじゃないかということで,今の暦の9月14~16日に復活神田祭が催されることになりました。

ところが,吹っ飛んだのは不景気ではなく祭りのほうでした。もちろん平将門が怒って,なんと台風を召喚したのです。

明治の初年朝敵論の喧しき際ヨセバよいのに神田明神の神體に迄難癖をくツ付け將門様は末社の御牢舎,……我三百年鎮守の奮思を忘れ將門ハ朝敵ゆゑ神殿に上らすべからずなどゝて末社に追い退けたるこそ奇恠な○……將門様は時こそ來たれりと日本八十餘州より數多の雨師風伯を驅り催し大事の大事の十四日の宵宮よりして八百八町を荒れ廻はりて折角のお祭りをメチャメチャに致されたるなり(時事新報9月16日)

この台風は15日10時ごろ東海地方に上陸し,関東地方を通過して夕方には金華山沖に抜けました。15日11時には浜松で最低気圧717粍を観測,また芝・飯倉にあった海軍観象台では同日16時に「南南西八十二里」の風を観測しています。

東京府内では神田祭のほかにもかなりの被害があったようで,例えば深川区では9割以上の家屋が浸水しています。

興味深いところでは,上野不忍池に完成したばかりの共同競馬会社の競馬場が暴風によって壊れました。

不忍の池の馬塲は既に落成し馬見所は上棟式も濟み七八分通りは出來せしが一昨日の暴風雨にて皆を破壞したれば今度は假馬見所を設け来月二十四五六の三日間同所に於て馬塲開の式と合せ競馬會を施行されるといふ(読売9月17日)

なお,この将門台風と同じころ,別の台風が西から近づいてきており,16日に九州に上陸し,瀬戸内,東海と進み,17日に東京の北東から太平洋に抜けたようです。京都の被害が大きかったようですが,詳細は不明です。

お散歩

神田明神

銭形平次の碑

神田明神の境内にあります。

不忍池(競馬場跡)

100年以上も昔,池のまわりを馬が走っていたとは,知らない人は知らない(<当たり前か)。

ここにコースがあったと思われます。

ちなみに,この競馬場は当時国内では珍しい左回りでした。

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首都を水没から守れ!!~1947年カスリーン台風~

かつての「プロジェクトX」風のタイトルになっていますが……(笑) あの番組もはじめのころはおもしろかったんですが,そんなにネタが続くわけないですよね。後半にはヤラセも発覚したようですし……。

さて,敗戦後間もない今から68年前,首都・東京の水没という危機に瀕して一級河川の堤防の爆破という非常措置がとられたことがありました。

1947年9月8日にマリアナ東方の海上で発生した台風はこの年11番目の台風で,Kathleenと名づけられました。Kathleenの読みかたはカスリーン,キャスリーン,カスリン,キャサリン1,キャザリンなどなどありましたが,1949年に中央気象台がカスリーンに統一した(はずな)ので,ここでもカスリーン台風と表わすことにします。

カスリーン台風は14日03時には鳥島の南西400kmの海上にまで進み,中心気圧960mb,最大風速45m/sの最盛期を迎えます。そして15日午後には日本列島に最接近,上陸はしませんでしたが,接近とともに秋雨前線2を刺激し,関東から東北地方を中心に記録的な大雨を降らせました。

とくに14日から15日にかけて利根川・荒川の上流域に降った雨はすさまじく,例えば前橋の357.4mm,秩父の519.7mmは今でも日雨量のダントツの1位となっています。

この雨は各地で土砂災害を引き起こし,やがて利根川や荒川に流入,利根川では15日の夜になって水位が急激に上昇,栗橋付近では過去最高の9.17mに達しました。そして翌16日00時20分ごろ,右岸堤が大音響とともに決壊し,濁流が収穫をひかえた穀倉地帯を南に流れはじめました。一方,荒川の堤防も15日の20時ごろ熊谷付近で決壊し,粕壁町(当時)付近でふたつの川から流れ出た濁流が合流してゆっくりと南に流れ,18日には東京都との境にある桜堤(桜土手)に達し,堰きとめられる形で湛水をはじめます。

湛水をこのまま放置すれば水没地域は増える一方,しかも桜堤が決壊すれば東京の下町が水没し,被害がどのくらい増えるか想像もつきません。時の安井誠一郎・東京都知事は西村実・埼玉県知事,川口為之助・千葉県知事,内務省と協議,派閥がらみもあって反対する千葉県知事を説得し,江戸川右岸堤を破壊して濁流を江戸川に流すことを決定,朝霞駐屯の進駐軍第二旅団工兵隊にダイナマイトによる爆破を依頼します。工兵隊はただちに現場に急行,ダイナマイト18本を埋設して爆破を敢行しますが,さすが一級河川の堤防だけあってびくともしません。より強力なダイナマイトを使用するには手続きが必要であり,堤防の爆破作業は一時中断されます。

そうこうするうちに19日02時45分ごろ,桜堤の中を通っていた樋管が水圧にたえ切れず抜け落ち,ついに最後の砦の桜堤が崩れはじめました。桜堤を突き破った濁流は一気に葛飾区内に流れこみ,葛飾区,江戸川区が水に浸かりました。

その一方,夜を徹しての江戸川右岸堤の爆破作業は最後は人力を投入して19日15時15分にようやく幅10mにわたって切り開くことができ,たまった水が江戸川に流れ出し,下町の全面水没の危機は避けられました。

ホッとする暇もなく,20日03時10分ごろ,今度は中川の右岸堤が葛飾区亀有2丁目付近で決壊し,綾瀬川と中川ではさまれた地域は完全に水没,足立区の一部も水没しました。家の軒先の高さまで水に浸かったところもありました。

東京の下町に流れこんだ濁流はさらに南下し,船堀付近から東京湾に注ぎはじめました。

荒川の堤防の開削などにより,水は徐々に退いていきましたが,排水作業はなかなか進まず,水に浸かった地域から水が完全に退いたのは11月になってからでした。

カスリーン台風による東京の被災者は37万人を超え,葛飾区民はほぼ全員が被災し,江戸川区民は67%,足立区民は11%が被災しました。しかし,表現の善し悪しはともかくとして,死者・不明者の数だけでいえば東京は13人に過ぎません。死者が多かったのは群馬県,栃木県,埼玉県です。また,岩手県も一関市を中心に大きな被害を受けています。岩手県は翌年のアイオン台風でも壊滅的な被害を受けることになります。

桜堤の決壊箇所?

このあたりで決壊したようです。とくに目印となるようなものはありません。

堤防爆破が行なわれた場所?

このあたりで爆破作業が行なわれたようです。記念碑のようなものはありません。

周辺

水元公園

広大な公園です。はずれとはいえ,とても23区内にあるとは思えません。
一日中ボケーッとしていられるところです。

残念ながら2011年3月20~21日,東京電力がばらまいた放射性物質により高濃度に汚染されてしまいました。除染は行なわれましたが,どの程度回復しているのでしょうか。

桜満開の桜堤

2010年に撮った写真です。この年までは“平和”でした。

「男はつらいよ」の舞台

水元公園から江戸川の堤防に出て3~4kmほど下流に歩いていくと,あの寅さんの舞台,葛飾柴又に着きます。

ちなみに,柴又帝釈天は映画の感じに比べるとかなり狭いです。

矢切の渡し

葛飾柴又の対岸です。

さらに向こうには野菊の墓文学碑などもあります。一度行ってみたいのですが,交通が不便でね……(^^;)

とはいっても,σ(^^;)は『野菊の墓』にはとくに興味はありません。『「野菊の墓」殺人事件』に登場するので行ってみたいだけです。

水位表示板

周辺というにはかなり遠いですが,埼玉県幸手市で見つけたものです。

この表示板,今はないようです。私のさがしかたが悪いせいかもしれません。

※この記事はその他いろいろなところ2をとりあえず移植してきたものです。10年以上前に書いたものでなので,時代に合わなくなった表現を少し変えています。その他間違い等があれば今後修正していきます。

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  1. 関係ないけれど,故山村美紗の作品を思い出す。 
  2. この用語,当時はまだ存在しません。 

寛保洪水位磨崖標リニューアル!?

秩父鉄道の樋口駅から歩いて5分くらいのところに寛保洪水位磨崖標があります。

寛保洪水位磨崖標については以前このブログで取り上げています→寛保洪水位磨崖標 | Notenki Express 2014。文字どおり寛保二年の洪水位が刻まれている磨崖標ですが,やはり説明板が詳しいです。

また,寛保2年 | 荒川上流河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局にはこの洪水に関する他の記録についても記載されています。

それで昨日,とくに他に行くところもなかったので,久しぶりに行ってみました。そうしたら,なんと,ガラッと変わっていてビックリしました。

2013年11月に行ったときはこんな感じだったんですが,

昨日はこうなっていました。

スッキリしたというか,なんというか。どういう意図でこうなったのかはわかりません。

磨崖標自体は変わっていないとい思います。

ちなみに,“水”と刻まれているのはここです。

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気象神社のポータルキーをGET!!

今日は午前中に運転免許の更新に行って,午後から時間があいたため,気象神社に行ってきました。

場所はここです。

気象神社はこのブログでは意外なことに初登場ですが,ググればいくらでも情報が出てくるので,詳しくは書きません。

過去に何度か行っており,明後日気象予報士試験が行なわれるといっても直接関係あるわけではなく,どうして今日行ってきたかというと,これです。

ポータルキーをゲットしに行ってきたのです。2個取ってきました。それだけの話です。いつまで保つかわかりませんが,レゾネーターも3本挿してきました。

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今日の土曜ワイド劇場は「司法教官・穂高美子3」

今日の土曜ワイド劇場は司法教官・穂高美子3「死亡時刻が二転三転!?遺産30億強奪トリックを“スイーツ姉妹”の空飛ぶバウムクーヘンが解く!!」です。

舞台となる司法研修所や司法修習については公式サイト裁判所|司法研修所を見て下さい。私はまったく知りません。

実は拙宅の近くにホンモノの司法研修所があります(笑) しかしここでロケが行なわれたという話は聞かないので,エンドロールの撮影協力に名前のある別のどこがで名義詐称が行なわれているのでしょう。

そのホンモノの司法研修所ですが,

IMG_6989.JPG

というようなおっかない看板があるのでもちろん中にははいりません。外から撮りました。

IMG_6991.JPG

CIMG1669.JPG

「司法教官・穂高美子3」のあらすじ

テレビ朝日|土曜ワイド劇場より引用:

司法試験に合格した修習生たちが、裁判官や検事、弁護士を目指して共に学ぶ“司法研修所”。その検察教官を務める穂高美子(水野真紀)は、東京地検から異動してきた優秀な検事で、講義の厳しさから修習生たちからは“タカビー”とあだ名をつけられていた。
群馬・前橋地検に派遣された修習生のひとり、白鳥歩美(三倉茉奈)が交通事故に遭ったという知らせが入る。軽トラックの荷台から液体入りのドラム缶が落下し、歩美の乗る車がスリップ、壁に激突したのだ。運転していたのは、歩美の父であり、前橋を拠点に全国展開しているショッピングモール“クイーンズ白鳥”の社長・太一(加納竜)で、会長で祖父の健蔵(野村昇史)も同乗していた。歩美だけは奇跡的に軽傷ですんだが、太一も健蔵も死亡。歩美によれば、祖父は頭部を強く打って即死だったものの、父は事故直後まだ息があり、懸命に心臓マッサージを行ったものの、救うことはできなかったという。軽トラックの運転手・下山信行(松澤一之)は積荷の固定を怠ったことを全面的に認め、おそらく業務上過失致死で送検となると思われた。
美子は民事担当教官の弁護士・小宮譲(筧利夫)と共に見舞いに駆けつけるが、クイーンズ白鳥の顧問弁護士・大林公子(野村真美)が、なんと姉2人、真知子(遊井亮子)とゆり(雛形あきこ)が、妹の歩美を訴えるつもりだと伝えに来た。真知子とゆりは“クイーンズ白鳥”ブランドのスイーツを開発して大ヒットさせ、世間から“スイーツ姉妹”とよばれて注目を集めていたが、かねてから対立していた。社長と会長を失った今、会社の経営権と30億円もの遺産をめぐって早くもいがみ合っているようで、2人は歩美の救命処置がなければ父親は助かったと考えているという。どうやら歩美に遺産が渡るのも気に食わないらしい。
そんな中、美子は歩美の様子をさぐるストーカー・飯島誠(池内万作)を見かける。そして、6年前まで看護師として働いていた歩美が弁護士を目指すきっかけとなった悲しい過去を知るのだが…!? ところがその矢先、下山が新たな供述をはじめ、なんと歩美に殺人容疑がふりかかる事件まで起きて…!?

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大手町川端緑道

大手町川端緑道が22日に開通しました。

錦橋付近から日本橋川に沿って緑道が続いています。

ただし,日比谷通りで分断されています。

この記事はWordPressのテスト用に書いたもので,大手町川端緑道の紹介が目的ではありません。あしからず。