台風3つ

平成20年 台風第17号に関する情報
平成20年9月30日10時30分 気象庁予報部発表
(見出し)
 台風第17号が発生しました。
(本文)
 30日9時、フィリピンの東の
北緯11度00分、東経127度05分において、
熱帯低気圧が台風第17号になりました。
台風は1時間におよそ35キロの速さで北西へ進んでいます。
中心の気圧は1000ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は18メートル、
最大瞬間風速は25メートルで
中心から半径170キロ以内では
風速15メートル以上の強い風が吹いています。
 台風の中心は、24時間後の1日9時には
フィリピンの
北緯13度25分、東経124度05分を中心とする
半径130キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は994ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は20メートル、
最大瞬間風速は30メートルが予想されます。
 48時間後の2日9時には
ルソン島の
北緯15度30分、東経121度00分を中心とする
半径200キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は990ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は23メートル、
最大瞬間風速は35メートルが予想されます。
 72時間後の3日9時には
南シナ海の
北緯18度10分、東経118度20分を中心とする
半径300キロの円内に達する見込みです。
中心の気圧は980ヘクトパスカル
中心付近の最大風速は30メートル、
最大瞬間風速は40メートルが予想されます。
予報円の中心から半径370キロ以内では
風速25メートル以上の暴風域に入るおそれがあります。
 なお、台風の中心が予報円に入る確率は70%です。
この方面の船舶は十分警戒してください。
なお、台風に関する位置等の情報は、海上警報等により発表します。

というわけで,台風17号が発生して台風が3つになりました。

とはいっても,台風が3つというのはとくに珍しくはありません。去年のことはおぼえていませんが,2004~2006年には起こっています。

4つになるとさすがに少なくなり,1951年以降では4回しかないと思います。

5つあらわれたのは1960年8月の五輪台風の1回だけです。

このときの参加メンバーは14号から18号まででした。有名なお天気キャスターM氏の本に7号,14号,15号,16号,18号と書いてあったりするのですが,もちろん間違いです。番号の不自然さに気づかないのでしょうかねえ……。

ついでに,五輪台風の説明に1960年8月23日09時の天気図を使った放送局があったようですが,最後のメンバー18号が台風に昇格したのは23日の15時なので,09時の時点では五輪台風は勢ぞろいしていません。

五輪台風については能天気Express~新世界版~ 四面台風もご覧下さい。

なお,1950年8月に“熱帯性低気圧”が同時に6つあらわれたことがあります。しかし,今の基準でそのうちいくつが台風なのかはわかりません。

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台風22号が薩摩半島に上陸

1955年9月29日22時ごろ,台風22号が薩摩半島に上陸しました。九州を縦断して日本海に抜け,北海道に再上陸する前後に温帯低気圧に変わりました。

この台風は,どちらかというと日本海を通過中の10月1日に発生した新潟大火で知られていますが,上陸時の中心気圧が940mbと勢力が非常に強かったため,九州から中国・四国地方にかけて暴風と高潮による被害も大きく,それに加えて竜巻が発生したこともあり,死者・不明68人,重軽傷314人など,あまり知られていない台風にしては大きな被害が出ています。

当時,柳井市南浜(ただし現在の地名。当時の地名は知らん(^^;))にあった柳井オートは,高潮による浸水を受け,さらに堤防の決壊も加わり,敷地全体が水没した上にスタンドなどの建物も全半壊しました。

翌年1月にはなんとか開催にこぎつけましたが,折からの経営不振もあり,1957年に山陽オートに移転という形で事実上廃止されました。

競馬に限らず,競輪にしても競艇にしてもオートにしても,一定水準以上のコースを維持しなければならない上に広大な敷地を抱えているわけで,しかもすぐそばに川や海があったりすることも多く,台風などの自然災害には弱いといえるでしょう。

最近では,レース場の数も減ったせいか,台風による大きな被害は聞きませんが,2004年,台風16号による高潮で高松競輪場のバンクの内側が水没しました。しかし,10月の共同通信社杯競輪(G2)は予定どおり行なわれました。ちなみに,高松競輪と観音寺競輪で2005年1月に「台風災害復興支援競輪」を開催したことは,いつかの日記で書いたような気がします(誰も読んでないでしょうけれど(笑))。

復興支援レースで大暴動が発生したこともありました。詳しくはジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014をご覧下さい。

2002年には台風6号によって次のようなこともありました。

競争《ママ》馬のひざ付近まで水位

 足利市五十部町の渡良瀬川河川敷にある足利競馬場では、11日午前2時過ぎから放水路の水位が上昇、競馬場東側の厩(きゅう)舎兼住宅11棟が床上浸水した。午前4時ごろには2家族が孤立、市消防がボートで救出した。けが人はなかった。
 厩舎では馬400頭が飼育され、一時は水が馬のひざ付近まで上がってきたという。馬はぬれたエサを食べないため、厩務員は乾いた地面を探して、ぬれた干し草を干し直したり、厩舎にたまった水をくみ出すなどの復旧作業に追われた。
 ある厩務員は「馬が無事だから良かったが、脚に傷があるまま水につかると、そこから菌が入るのではないかと心配だ。しばらく気を抜けない」と疲れた表情で話した。[2002年7月12日19時3分更新]毎日新聞

いまはなき,足利競馬場……。

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台風が浜松付近に上陸

1900年9月28日06時30分ごろ,台風が浜松付近に上陸しました。

浜松で06時30分に観測した718.5mmHgは,当時としては記録的に低い気圧だったようです。

その割には,出漁中の沼津の漁師約200名が行方不明になった他はとくに大きな被害はありませんでした。

新聞によると,28日08時ごろ,上野公園内の博物館前の通りにある椋の木の大樹が吹き倒され,荷車を引いていた若者がその下敷きになって圧死,かなり悲惨な状況で身元がわからなかったということです。

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台風15号,御前崎付近に上陸

1956年9月27日12時ごろ,台風15号が静岡県御前崎付近に上陸しました。その後13時伊豆半島,14時神奈川県厚木付近,15時千葉県柏付近を通過,16時銚子北方から鹿島灘に去りました。

高知・和歌山などに大雨を降らせたほかは,被害は多くはなかったのですが,9月27日07時20分ごろ,関西線の下り亀山発湊町行きの旅客列車が三重県鈴鹿郡関町付近を進行中,土砂崩れに巻き込まれて1両が10メートル下の加太川に転落,18人の死者を出しました。

なお,14時すぎ,台風の眼が東京を通過しました。ダイナ台風以来4年ぶりのことです。

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アッソ~のウッソ~

アソウとかいうのが総理大臣になったらしいですね。

誰がなろうとどうでもいいのですが,この人,就任したとたんに平気でウソついてます。麻生内閣総理大臣記者会見より一部引用します。

 今年はまだ台風が一度も上陸していない。気が付いておられる方もいらっしゃるかと思いますが、台風はまだ一度も本土に上陸しておりません。こんなことは過去に例がない。4年前は9回上陸、平均3回という日本において、ゼロもしくは9回は何となく異常だなと感じていらっしゃる方も多いと思いますが、これは日本一国でやれる話ではありません。明らかに何となく我々の周りに大きな変化が起きていると感じなければおかしいところなんですが、そういった問題につきまして、この環境問題というのは、日本はサミットをやった経緯などなどを考えて、世界をリードして行けるだけの技術もあるし、そういったものもし得る立場にあるんだと思って頑張っていただければと思っております。

コイツがバカなのか,ロクでもないブレーンしかいないのか,その両方なのか,たんに国民をバカにしているのかはわかりませんが,太字にした部分「台風はまだ一度も本土に上陸しておりません。こんなことは過去に例がない」は真っ赤なウソです。

台風が上陸しなかった年は1984,1986,2000年の3回あります。9月まで上陸がない年を加えれば4回となります。

そればかりか,4年前の上陸数は9個ではなくて10個です。

まあ,しょせん次の選挙までの総理大臣でしょうから,こんなのでも務まるのでしょう。

ちなみに,アソウという名前から紀子ちゃん危機一髪というゲームを思い出すのは,σ(^^;)くらいでしょうねえ……(爆)

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1日に2つの台風が上陸

1966年9月25日の00時過ぎ,猛スピードで北上してきた台風26号が御前崎の西に上陸しました。そして10時過ぎ,ようすをうかがっていた(?)台風24号も高知県安芸市付近に上陸しました。1951年以降,同じ日に2つ以上の台風が上陸したのはこの日だけです。

この義姉妹台風の暴れっぷりについては本ブログの史上最凶の“三つ子” | Notenki Express 2014をご覧下さい。

上で“1951年以降”といちいち断わったのは,それ以前には1日に複数の台風が上陸したと思われる記録があるからです。σ(^^;)が確認しただけで3組ほどあります。

いきなり全部を紹介するのはもったいないので(笑),ここでは最も古いのだけ。

1902年9月28日,ひとつは08時ごろ布良付近を通過して08時20分ごろ横須賀の西に上陸,もうひとつは15時ごろ潮岬の東に上陸しました。

この2つの台風のうち横須賀の西に上陸したほうは足尾台風とよばれます。詳しくは本ブログの藤原効果と足尾台風 | Notenki Express 2014をご覧下さい。

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台風20号上陸,五輪施設に被害

1964年9月24日17時ごろ,台風20号Wildaが鹿児島県佐多岬付近に上陸しました。台風はその後,日向灘から四国・近畿地方,金沢市付近を経て日本海に出た後,東北地方を縦断,25日午後三陸沖へ抜けました。西日本から関東,東北南部にわたって死・不明56,負傷530,住家損壊71269,同浸水44751などの被害がありました。

1964年といえば東京五輪聖火リレーの真っ最中で,オリンピック気分も盛り上がりつつありました。代々木の選手村もすでに開村していました。こんなときに台風がやってきたわけです。

聖火リレーは一部区間を中止して被害を避けました。

東京では25日朝から強風が吹きました。選手村には補強工事を施したものの,正面ゲート・ビルで雨もり,1階屋上の換気塔が飛ぶ,入村受付所の大きなガラスの壁がこわれる,共同浴場のトタン屋根がはがれ,煙突が倒れ,窓ガラスが割れる,その他あちこちで屋根がわらや窓ガラスが壊れる,案内の標柱やゴミ箱がころがる,植えたばかりの木が根こそぎひっくり返る――などの小さな被害が続発しました。

カヌー会場の相模湖でも,競技用ポンツーンがひっくり返ったり,観客席のスタンドの一部が倒壊したりする被害がありました。

台風20号による災害に対して,フランス選手団から義援金が寄せられました。

ついでに,台風の影響かどうかはわかりませんが,築地で24日18時半ごろ,大渋滞で動かなくなった車のすぐ後ろの車が激しくクラクションを鳴らし,そのあげく車から降りていいがかりをつけました。後続に2人のそれぞれの同僚がいたからさあ大変,4人の殴り合いがはじまりました。バカはいつの時代にもいるものです。

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目黒競馬場と大井××

目黒競馬場ときて次に大井とくれば,万人が万人,競馬場つながり……と思うでしょう(笑)

ところが残念さにあらず,1935年9月24日付の東京朝日新聞朝刊に

目黒競馬場で大井川遊び

とあります。

府中に新・東京競馬場が開設したのは1933年11月8日。目黒競馬場が廃止になって間もなく2年になろうとしていた1935年9月は,雨が降り続いていました。

久しぶりに晴れ間の見えた23日のこと,競馬場跡地内のところによっては深さ1丈もたまった泥沼で,近所のガキどもが「大井川遊び」をしている最中,そのうちの1人が深みにはまり,それを助けようとした2人も深みに引きずり込まれました。近くで飛行機遊びをしていた人,通りすがり,郵便局員の3人によって1人は救助されましたが,2人は死亡しました。

「大井川遊び」って何かと思ったら,越すに越されぬ大井川と謳われた,大井川の川渡しゴッコらしいです。当時一般的に行なわれていた遊びかどうか知りません。今では誰もやらないでしょう。

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乃木希典の墓,台風で被害

1912年9月22日,台風が四国東部に上陸し,近畿地方を通って若狭湾から日本海にはいり,海岸沿いを北上しました。

東京では23日未明から南よりの風が吹き荒れました。

廿二日夜の降雨は翌廿三日午前一時頃に至りて暴風雨に變じ更に午前八時頃よりは雨歇みて淒じき烈風となりたるが,市中は例に依りて各所浸水を見,家屋の潰倒夥しく或は煙突倒れ塀牆壞れ,或は庭樹,道樹の裂け又倒れたるもの無數,更に街頭に立てば電線切斷して網を投じたるが如く路上に散亂し,看板飛び街燈軒燈破れて光景音響共に慘憺たるものあり・・・・(9月24日付讀賣)

この暴風雨により,9月13日に心中を遂げた乃木希典の墓が被害を受けました。

昨夜來の暴風雨の爲め青山なる乃木大將の墓所は天幕を吹き拂ひ電燈を損じ恩賜其他の御榊等打倒されたるが直に多數の人夫を役して午後二時其修繕を了れり(同)


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登校時に台風がやってきたら?

1934年9月21日の05時ごろ,台風が室戸岬付近に上陸しました。室戸台風です。室戸岬で05時10分に観測した「684粍」は驚異的なもので,当時の世界最低気圧でした。その後台風は淡路島から神戸市付近を通り,富山湾に抜けました(さらに秋田付近に再上陸して東北地方を横断,太平洋に去った)

台風の大阪接近がちょうど登校時またはその直後にあたっていたため学校での被害が多く,京阪神で293校が倒壊,生徒・教職員893人が死亡したと記録されています。

死亡した教職員の中には生徒をかばって死亡した教師たちも少なからずいたようです。なかでも6人の女の子をかばって犠牲になった豊能郡の豊津小学校の吉岡藤子訓導はその生い立ちもあって有名になり,「嗚呼吉岡藤子先生」という映画にもなりました。

教師を見たら性犯罪者と思うのが当たり前の現在ではとても考えられません。いまの教師ならほとんどがわれ先に逃げ出すでしょう。いや,こんな状況ではそもそも学校に来ないかもしれません。それはそれである意味当然の選択ですが。

ちなみに,“御真影”を救出しようとして亡くなった校長もいたそうです。当時としては当然の行為だったかもしれませんが,たかが写真のためにバカバカしい話です。亡くなったかたは気の毒でした。

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