ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件

1950年9月3日に神戸市付近に上陸したジェーン台風は大阪湾に高潮を発生させ,大阪府から兵庫県南東部にかけて大きな被害をもたらしました。

復興資金を調達しようと,9月8日からの兵庫県営鳴尾競輪ジェーン台風災害特別救援レースと名づけられました。

そして第2日目の9日に事件は起きました。

17時40分発走の第11レース,本命の③三滝(=仮名)が発走後300m付近でクランクピンがはずれ競走不能となって着外に去り,⑤-①とはいって11820円の“大穴”となりました。このため,一部が「八百長だ!!」と騒ぎ出しました。

当時は本命が消えて大穴が出ると一部の人間が「八百長だ!!」と騒ぐのはしょっちゅうで,暴動に発展することもとくに珍しくはありませんでした。実際に八百長だったケースもあったので,話は単純ではありません。

このレースで本命だった三滝選手は,前年の4月に名古屋競輪で八百長の疑いをかけられ,半年の出場停止処分を受けていて,この日は復帰戦でした。そういう“前科”があるので,実力的には本命であっても疑いをもっていたファンも少なくなく,どの程度根拠のある話かは知りませんが,当たりとなった⑤-①も本来なら5万円くらいの払い戻しがあってもおかしくない車券だったという話です。

主催者は抗議を無視して配当金の払い戻しと第12レースの車券の発売をはじめたため,約5000人が暴徒と化しました。

その後、元々待機していた消防車がガソリンを抜き取られた上に横倒しにされたり、車券発売窓口が襲撃されるなどした。その上、当時の木造スタンドが放火され全焼、危険なためスタンド内に待機していた車券発売窓口の女性が逃げ遅れて犠牲者が出るなど大惨事へと発展した。
更に、威嚇のため出動した一人の警察官が発砲したところ流れ弾が観客に命中し死亡したことから、より騒ぎが大きくなってしまい収拾がつかなくなり、最終的に駐留米軍も出動するほどの異常事態となってしまった。結果的に、250名もの観客が逮捕された。
Wikipediaより(最終更新 2008年7月15日 (火) 18:32)。なお,“犠牲者が出るなど…”とありますが,流れ弾が当たった観客以外に死者は出ていません。ちなみに,この項に関するWikipediaの記事には間違いが多いです。そもそも日付が間違っているし)

「ジェーン台風災害特別救援レース」ということもあり(?),ジェーン台風の被災者も多く競輪場に来ていました。“射殺”された人も「床下浸水一尺,屋根ガワラはほとんど飛んでしまったという被災者の一人,しかしそれにもめげず四日から勤務先の工場の復旧に働き,八日夜も工場で徹夜,やっと十日から操業できる見込みがついたので九日午後四時ごろから友人四人とともに競輪場に行き,この災難にあったもの」(9月10日付大阪朝日)。

しかし,一方で前夜から不穏な動きもあったようです。偏見も混じっていそうですが。

第一日の八日夜には競輪場の芝生の上で四,五百名のファンがごろ寝して夜を明かした。「家はどうするのだ」という署員(鳴尾署員=引用者注)の質問に対し「家はドロ水の中。帰っても寝るところがなく,往復の電車賃さえ惜しい。家の復旧費かせぎに一か八かだ」血走った目で答えるやけっぱちさに何かぎょっとさせるものを感じたという。(同)

この事件をきっかけに,競輪を廃止せよ( ゚Д゚)ゴルァ!!の声が一気に大きくなりました。しかし結局廃止されなかったところを見ると,当時は自治体の収入源としての役割がかなり大きかったのでしょう。

ちなみにこのころ,キジア台風が硫黄島の南方海上を北北西に進行中で,東日本に接近すると予想されていました。

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