新幹線より雪に弱い気象庁 (1969年)

現在,外は雪です。

大手町の気温は朝から少しずつ下がってきて,11時現在2.0℃です。

雪といえば,40年前の今日,つまり1969年2月27日は東京で雪が降りました。最深積雪は7cmとたいしたことはなかったのですが,かなり混乱したようで,28日付毎日新聞朝刊には

7センチの雪でダウン マンモス東京

帰宅の足混乱,商店も早じまい

対応施設さっぱり 過密すぎる人と車

などと書かれています。

前日夕方発表の気象庁の予報は

北東のち北寄りの風曇,日中時々晴

で,みごとな大ハズレでした。

さらに3月4日,東京地方は史上初の大雪警報が出る大雪となったのですが(東京の最深積雪19cm),それもハズしており,新幹線より雪に弱い気象庁のレッテルが貼られることになりました。

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白虹日を貫く(1936年)

井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に避難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は幻日環だと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日“白虹日を貫く”のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり“白虹日を貫く”のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の“白虹日を貫く”は井伏鱒二の創作なのではないかと思います。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

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20年前の今日(1989年)

1989年2月24日の東京地方は冷たい雨で明け,ところどころで雪が混じる寒さになりました。大手町の最低気温は2.3℃。武蔵陵墓地のある八王子では,明け方から08時まであられ,その後雨に変わり,正午の気温は3.3℃でした。

この日,都心は道路も繁華街もガラガラ。夕方になってぼちぼち混みはじめましたが,いつもの金曜日ほどではありませんでした。

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明日は温泉(秘)大作戦

明日の土曜ワイド劇場は「温泉(秘)大作戦(7) 絶景雪景色!!秘境の一軒宿と合掌造り、氷見の寒ブリ食べ尽くし!連続殺人に巻き込まれた師弟愛の悲劇」です。

「温泉(秘)大作戦」は今では私のいちばん好きなシリーズになりました。典型的なお気楽ミステリーです。

最初と最後に必ず断崖(または断崖モドキ)が出てきます。初期の2時間ミステリーでよく見たようなシーンです。その後の展開も含めて,パターンがだいたい次のように決まっています。

  1. 断崖で殺人が起こる
  2. “温泉宿の仕掛け人”星野さつき(森口瑤子),森田梢(高樹マリア)(第3作までは桜井恵美(星野有香)),島慎之介(東幹久)の3人が経営を立て直す旅館に到着。情報収集のため経験ありの中途採用のふつうの職員として働きはじめる
  3. その旅館の重要人物(女将,社長,支配人など)が殺人の重要参考人として連行される
  4. 別の温泉に行っている元刑事の“第4の仕掛け人”岩田幸平(村田雄浩)が社長の指示で現地に到着し“捜査”を開始。
  5. この前後,第4の仕掛け人が入浴中のところに女性2人(星野さつきと桜井恵美,または星野さつきと森田梢)がはいってきて,キャーッ!! ちなみに,森田梢って元AV女優なんですが(笑)
  6. 拘留されていた重要参考人が証拠不十分で戻ってくる
  7. それをキッカケに3人が身分を明かし,星野さつきの鶴の一声で“建て直し作戦”開始
  8. この間いろいろあって犯人逮捕または自首。場所は断崖。犯人はいったんは断崖から飛び下り自殺をしようとするが阻止される
  9. 慎之介の創作料理が板長に認められる
  10. 立て直しが成功し,旅館の経営が軌道に乗る
  11. ドラマの前半に伏線のあるほのぼの系エピソードの続き
  12. 城ノ内社長(野際陽子)が旅館に登場。仕掛け人に次の舞台を指示し「えー,また休みなしですかあ(;_;)??」で終了

レギュラーの行動パターンもほぼ決まっていて,社長が岩田に指示を出すとき岩田は全然関係のない温泉にはいっているし,岩田が最初の報告に来るときは社長は割烹「たいら」で現在建て直し中の温泉の名物料理を食べています。また,さつきは必ず「10年前からの帳簿を見せてください」と10年前からにこだわっています。これは10年前まで銀行に勤めていたことと関係があるのかも知れません。

最後の社長の指示と実際に放送される次の舞台が違うのもお決まりで,第2作別府温泉→筋湯温泉,第3作湯の川温泉→松前温泉,第4作加賀温泉郷→能登輪島温泉,第5作下関→長門湯本温泉,第6作三重県→伊勢志摩というように,なぜか近くの別の温泉に舞台が変わっていたんですが(第6作は違うとまではいえないかも),今回はじめて指示と舞台が大牧温泉に完全に一致しています。

というわけで,今回の舞台は大牧温泉。

船でしか行けない秘湯中の秘湯といわれる割にはけっこうミステリーの舞台になっています。密室がつくりやすいせいかもしれませんが。

その中でも,小京都ミステリー(25)「越中落人伝説殺人事件〜ダムの底に沈んだ村の男たちが次々と死んでいく」がよかったなあ。ちなみに小京都ミステリーでは,シリーズ第1作に当たる「小京都連続殺人事件」にも大牧温泉が登場しています。

雪のフェブラリーS(1996年)

今度の日曜日(22日),フェブラリーS(GⅠ)が行なわれます。出走を予定していたダイワスカーレットが回避どころか引退までしてしまうのは残念ですが(まあ,あの厩舎だから……),カネヒキリのGⅠ8勝なるかとか,いくつかの注目点があるレースです。

フェブラリーSというと,2002年のアグネスデジタルも印象深いですが,お天気屋の立場からすればなんといっても1996年のホクトベガでしょう。

この年のフェブラリーSは2月17日(土)に行なわれました。当時はGⅡで,GⅠへの昇格は翌年からです。

この日はずうっと雪が降っていました。冷たい北東の風のため気温は上がらず,真冬より寒い中でのレースでした。いまビデオで見てもいかにも寒そうです。府中のアメダスの最高気温は08時の0.9℃,レースが行なわれたころの気温は-0.2~-0.4℃でした。

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1996年 2月17日(土) 2回東京7日  天候: 雪   馬場状態: 良
11R  第13回フェブラリーS
4歳以上・オープン・G2(別定) (混)(指定)  ダート 1600m   15頭立
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着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人体重     廐舎
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1 3  5  ホクトベガ     牝 7 横山典弘  57  1.36.5 37.0  3 492 (美)中野隆良
2 3  4  アイオーユー    牝 7 小野次郎  55  1.37.1 36.7  9 480 (美)高松邦男
3 7 13 $スギノガイセンモン 牡 6 岡部幸雄  57  1.37.3 36.6  6 458 (美)伊藤正徳
4 1  1  ビッグショウリ   牡 6 蛯名正義  58  1.37.5 37.4  1 492 (栗)中尾正 
5 5  8  アマゾンオペラ   牡 6 石崎隆之  57  1.37.9 37.6  4 454 [地]出川巳代
6 2  3  スピードアイリス  牝 6 的場均   55  1.37.9 38.0  8 454 (栗)森秀行 
7 5  9  メイショウヨシイエ 牡 6 村本善之  57  1.38.2 37.6 10 506 (栗)高橋成忠
8 8 14  ユーフォリア    牝 6 東信二   55  1.38.4 37.3 15 444 (美)谷原義明
9 4  7  ロイヤルハーバー  牡 7 小島太   57  1.38.4 37.7 12 516 (美)佐々木亜
10 4  6  リバーセキトバ   牡 7 小林淳一  57  1.38.5 37.9 14 510 (美)佐藤林次
11 6 10  アドマイヤボサツ  牡 7 芹沢純一  57  1.38.5 38.3  2 506 (栗)橋田満 
12 2  2  ヒカリルーファス  牡 5 早田秀治  56  1.38.7 39.2  7 540 [地]高岩隆 
13 8 15  キタサンテイオー  牡 7 大塚栄三  57  1.39.1 39.1 11 486 (美)嶋田功 
14 6 11  ビワセイハ     牡 6 内山正博  57  1.39.6 39.3  5 470 (栗)浜田光正
15 7 12  ハシノタイユウ   牡 5 高橋和宏  56  1.40.8 40.4 13 460 [地]佐藤和伸
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LAP :12.6-10.9-11.6-12.1-12.3-11.8-12.5-12.7
通過:35.1-47.2-59.5-71.3  上り:73.0-61.4-49.3-37.0  平均:1F:12.06 / 3F:36.19
単勝   5 \460
複勝   5 \220 / 4 \660 / 13 \370
枠連   3-3 \6970 (22)
馬連   04-05 \6910 (27)

アマゾンオペラ,リバーセキトバ,アドマイヤボサツ,ハシノタイユウなどの名が時代を感じさせてくれます。

日中の雪はまだそれほどでもなかったのですが(とはいってもかなり湿った雪が降っています),夜になってから強くなり,翌18日09時の積雪は,八王子と青梅で15cm,大手町,府中,練馬で14cmを観測しました。また大島でも14cm積もり,観測史上3位の記録となりました。

この雪のため,東京競馬は順延,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,それも日本選手権の決勝が順延になる珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」と朝日新聞の見出しでお寒いギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後には1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう。

フェブラリーSが行なわれた17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

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二見浦の夫婦岩,絆が断たれる(1991年)

1991年2月14日から17日にかけて,二ツ玉低気圧が日本列島付近を通過しました。このため近畿から北海道にかけての広い範囲が強風と大雨になり,とくに船舶の遭難が多発,死・不明26,家屋損壊178,浸水54,船舶被害316などの被害がありました。

二見浦では夫婦岩の大しめ縄が5本とも切れました。

三陸沖で猛烈に発達した低気圧の影響で,東海地方は十六日,強風が吹き荒れ,三重県の尾鷲で最大瞬間風速三十二・七メートルを記録したのを最高に,愛知県の伊良湖で二十五・二メートル,名古屋で二十二・五メートルを観測した。

 このため,東海道新幹線は昼から夕方にかけて徐行運転を行い,名古屋駅で上下五十九本に五分前後の遅れが出た。三重県二見町の二見浦では,夫婦岩の大しめ縄が五本とも強風で切れた。

(1991.02.17読売新聞中部朝刊)


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二見浦の夫婦岩,絆が断たれる(1991年)

1991年2月14日から17日にかけて,二ツ玉低気圧が日本列島付近を通過しました。このため近畿から北海道にかけての広い範囲が強風と大雨になり,とくに船舶の遭難が多発,死・不明26,家屋損壊178,浸水54,船舶被害316などの被害がありました。

二見浦では夫婦岩の大しめ縄が5本とも切れました。

三陸沖で猛烈に発達した低気圧の影響で,東海地方は十六日,強風が吹き荒れ,三重県の尾鷲で最大瞬間風速三十二・七メートルを記録したのを最高に,愛知県の伊良湖で二十五・二メートル,名古屋で二十二・五メートルを観測した。
 このため,東海道新幹線は昼から夕方にかけて徐行運転を行い,名古屋駅で上下五十九本に五分前後の遅れが出た。三重県二見町の二見浦では,夫婦岩の大しめ縄が五本とも強風で切れた。
(1991.02.17読売新聞中部朝刊)

女湯の四人,裸でケンカ (1958年)

昔の新聞を見ていると,ときどき面白い記事を見つけることができます。

1958年2月16日付朝日新聞夕刊より――:

女湯の四人,裸でケンカ

 銭湯で入浴中の女客が足をふまれたことからケンカとなり,流し場でハダカのまま四人が入り乱れてケンカをし,三人が傷害現行犯で上野署に捕まった。

 十六日午前一時すぎ東京都台東区上野三橋町一五,三橋湯(K.Y.さん経営)の流し場で,客の同区上野町二ノ一九パチンコ屋店員K.M.さん(二三)の足を同区下谷町二ノ五飲食店「おらが春」の女給Y.A.さん(二三)がふんだ,ふまぬが事の始まり。

 Y.A.さんと一緒に来ていた同僚のY.M.さん(二三)M.T.さん(二○)の二人もY.A.さんに加勢してハダカのままK.M.さんの髪を引っぱり身体を引っかく大乱闘となった。

 驚いた他の客はみんな逃げ上がって見物,フロ屋は一一〇番へ急報したが,かけつけたパトカーのお巡りさんも相手がハダカの女とあっては手の下しようもなく,やや落ち着いたところでY.A.さんら三人を傷害の現行犯で検挙した。K.M.さんは全治三週間の負傷だった。

50年以上前の事件とはいえ,個人名はイニシャルに直しました。

毎日と読売にもほとんど同じ記事が載っています。

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女湯の四人,裸でケンカ(1958年)

昔の新聞を見ていると,ときどき面白い記事を見つけることができます。

1958年2月16日付朝日新聞夕刊より――:

女湯の四人,裸でケンカ

 銭湯で入浴中の女客が足をふまれたことからケンカとなり,流し場でハダカのまま四人が入り乱れてケンカをし,三人が傷害現行犯で上野署に捕まった。
 十六日午前一時すぎ東京都台東区上野三橋町一五,三橋湯(K.Y.さん経営)の流し場で,客の同区上野町二ノ一九パチンコ屋店員K.M.さん(二三)の足を同区下谷町二ノ五飲食店「おらが春」の女給Y.A.さん(二三)がふんだ,ふまぬが事の始まり。
 Y.A.さんと一緒に来ていた同僚のY.M.さん(二三)M.T.さん(二○)の二人もY.A.さんに加勢してハダカのままK.M.さんの髪を引っぱり身体を引っかく大乱闘となった。
 驚いた他の客はみんな逃げ上がって見物,フロ屋は一一〇番へ急報したが,かけつけたパトカーのお巡りさんも相手がハダカの女とあっては手の下しようもなく,やや落ち着いたところでY.A.さんら三人を傷害の現行犯で検挙した。K.M.さんは全治三週間の負傷だった。

50年以上前の事件とはいえ,個人名はイニシャルに直しました。

毎日と読売にもほとんど同じ記事が載っています。

もうすぐ春一番?

春一番とは

春一番というのは簡単にいってしまえば春になってはじめて吹く南風のことです。これだけだとアイマイなので,気象庁の天気相談所では次のような基準を設けています(基準であって定義のような厳密なものと捉えないほうがいいようです)。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s以上)が吹き,気温が上昇する現象

いつごろこの基準ができたのかイマイチ判然としないのですが,どうも1980年代のようです。

発表の開始も判然としないのですが,1997年2月21日付の朝日新聞によると,1975年ごろ気象庁本庁と福岡管区気象台でなし崩し的にはじまった……ということです。

春一番は,気象庁の本庁のほかに,鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,(富山),新潟の各気象台で発表しています。各官署によって若干基準が違います。

フライング・出遅れ

春一番は賞味期限つきの現象であるため,観測されないこともあります。また,期間から1日でも外れれば資格を失います。

例えば,1986年には節分に吹いてしまったため,フライング失格となりました。

もちろん遅くてもダメで,1974年3月22日に東京で最大瞬間風速29.9m/sを観測し,最高気温も前日より上がりましたが,1日違いで出遅れ失格となりました。

また,1988年には,2月2日に最大瞬間風速21.8m/s(SW),最高気温14.9℃(前日比+6.4℃)でも2日早すぎたばかりに春一番にならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)で春一番となりました。たった3日違いでのこの待遇の違いは,なんか変……といえないこともありません。

この2月5日が関東地方の春一番の最早記録になっています。

今のような基準ができる前はもっとおおらか?!でした。

1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」という見出しがあります。しかし,この年の春一番の公式記録は2月10日となっています。ところが公式の春一番に関する新聞記事は見当たりません。気象庁の見解はともかく,マスコミ的にはこの年の春一番は2月3日に吹いたのでしょう。

また,1964年3月1日付朝日新聞の「あなたも予報官 新聞天気図の見方・第二部」という解説コラムに「「春一番」は,一月中のこともあるが……」とあります。

この時代には出遅れ春一番春〇・五番といった珍語まで登場しました。青森で春一番が吹いたこともあります。

最早・最晩・平年日

春一番は立春から春分の間と決まっているため,当分の間,理論上の最早は2月4日,最晩は3月21日になります。しかし,東京では運よく立春や春分に吹いたことはまだありません。最早は上に述べたように2月5日(1988年),最晩は1972年3月20日となっています。

この最晩春一番をもたらした低気圧によって,富士山では死亡・不明24人という史上最大(当時。その後これを超える事故があったかどうかは興味がないので知りません)のパンパカ遭難事故,また九州西方の男女群島付近で漁船が座礁し,死亡・不明13人という海難事故が発生しました。

春一番は,発達しながら通過する低気圧による現象であるため,このように常に災害や事故の危険と隣り合わせです。また,発達する低気圧の背後には強い寒気が控えていることが多く,低気圧が日本の東の海上に抜けたあとは西高東低の冬型の気圧配置になり,強い寒気がはいってきて真冬に逆戻りすることも少なくありません。次に紹介する1978年の春一番が典型的な例です。

なお,平年日については,根拠も意味も不明確であるとして1995年以来気象庁では発表していません。それを承知の上で単純に1989-2004年の16年間の平均をとると,2月27日前後になります(関東地方の場合)。

東西線横転事故

1978年,春一番が観測された2月28日の夜,「荒川・中川鉄橋」を渡っていた10両編成の営団地下鉄東西線の後部2両が(地下鉄が川を渡るというのも何かしっくりきませんが,それはともかく),脱線・横転するという事故が起こりました。21人の重軽傷者が出たものの,幸い川への転落は免れました。

これは竜巻によるもので,低気圧に向かって南から暖かい空気がはいったために大気が不安定になって発生したものです。東西線横転のほかに,川崎市付近から千葉・鎌ヶ谷市付近まで幅0.2?2km,長さ42kmの地域に,住家全壊9棟,住家半壊被損280棟,負傷22人など,大きな被害をもたらしました。

この低気圧が北海道の東海上に抜けたあとは真冬に逆戻り,北海道では猛吹雪によって鉄道がマヒ状態になりました。

初出

今のような形で“春一番”が使われるようになったのは,1950年代以降のようです。しかしあちこち調べても初出はよくわかりません。

『’56~’65天気図10年集成』(1966年発行)収録の天気図日記の1956年2月7日の解説文に

“春一番”!低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年にはいっての最高温を示した。いわゆる“春一番”である!

とあり,これが初出だとする説がありますが,この天気図日記をもともと掲載していた「天文と気象」1956年5月号の天気図日記の同じ日の解説文は

低気圧が日本海で発達したので全国的に暖かくなり,東京でも昼ごろから南風が強まって気温は15.8℃と本年に入っての最高を示した。きのう東シナ海に発生した低気圧は発達しなかった。

となっており,“春一番”は使われていません。のちに書き換えられたのでしょう。

ちなみに,『’56~’65天気図10年集成』では1956年3月に“春二番”も見られるのですが,「天文と気象」にはありません。

新聞の初出は,1997年2月21日付朝日夕刊によると,1962年2月11日付朝日新聞夕刊の天気の解説欄の次の文だそうです。

発達した日本海低気圧に向って強い南風がどっと吹き込んだ。これが今年の春風一号,これを地方の漁師たちは春一番と呼ぶ。

しかし,同じ日付の読売新聞夕刊にも春一番が使われています。

公的な文書では,1964年3月の「気象要覧」が初出だそうで,実際に見てみると,いきなり「春一番」という中見出しがあります。

ちなみに,「気象要覧」では春三番が使われたこともありますが,春二番は少なくとも私は見たことがありません。

春一番の都市伝説

春一番の起源として,安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した隠岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,全員が帰らぬ人となった惨事があり,これ以来年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には春一番の塔がつくられ,さらには,壱岐市のホームページ壱岐市観光案内:歴史・文化:春一番の塔(=リンク切れ)には

この言葉の発祥の地は壱岐である。

などと書かれていたりします。

これは都市伝説(離島伝説?!)のひとつで,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。これ以前に“春一番”を使った文献が存在するからです。一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに

夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る

とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。

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※2015/02/05(Thu) 一部修正