北陸線の大雪崩 人夫百餘名壓殺さる(1922年)

1922年2月3日13時ごろ,北陸本線の親不知-市振間で大雪崩があり列車運転不能となったため,糸魚川付近の農家から200人の除雪人夫を募集して除雪作業を行ないました。夜になって作業を中止し親不知から糸魚川方面に向けて列車に乗って帰る途中,20時17分ごろ,親不知-青海駅間の勝山隧道にさしかかったところで大雪崩が発生,その列車の客車2両が押しつぶされ,死者87?90人,負傷40?42人の惨事となりました。(資料によって死傷者の数が違います)

詳しくは次のとおりです。

(鉄道省着電)三日北陸線市振親不知間一九二哩五十鎖附近に長さ五鎖高さ三十尺の大雪崩あり第七七一列車(上野発京都行)は之がため親不知から第六五列車として折返し運転する事となり前位より郵便小荷物車,ボギー三等客車,小型三等客車三両計六両連結排雪人夫約二百名(糸魚川,梶屋敷附近から募集した者及逓信局電信工夫二名)乗車し午後八時七分頃親不知青海間一九五哩四五鎖五十節(米原起点)勝山隧道西口に差<U+83AC>《かか》つた際長さ四十呎高さ十五呎(約百八十坪)の雪崩来りてボギー客車三分の一小型三等客車全部(三両)下敷となり人夫約八十名の死傷者を出した,内負傷者二十九名は糸魚川に三名は親不知に収容し他の埋没者に対しては直に附近消防隊の応援を得て救護中死傷者今迄に判明の数左の如し
 親不知に収容即死者十八名
 糸魚川収容即死者十四名,重傷者八名,軽傷者二十四名計即死者三十二名重軽傷者三十二名
(2月5日付東京朝日夕刊)

この事故の後日談。2月28日付読売朝刊より――:

尚惨劇のあった勝山隧道附近には昨今多數の人魂が彷徨するとの噂ありて現地附近の各部落では戰戰兢兢の有樣である

さらに1927年のいわゆる昭和2年豪雪の際,この事故の恐怖から除雪作業が遅れ,北陸本線の復旧が遅れるひとつの原因になったようです。

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