三田から芝口,新橋に旋風が走る(1892年)

1892年4月1日付讀賣新聞より:

◎大旋風《おおつむじ》

昨三十一日午后一時頃俄然芝愛宕下通の各所の火の見にて三聲の警鐘を打ち出したるが人人驚きて外面に出れば南に方ッて黑煙捲起り如何にも凄じき有樣なるより近傍の消防夫は喞筒《ポンプ》を曳て駈け付るなど一時は非常に混雜なりしが火元は更に分らず黑煙も須臾にして消失せし由之れ全く火事ならずして三田邊より來りたる大旋風が露月町の裏手なる焦土を捲き揚げたるにて此旋風は芝口一丁目の横町より新橋停車場の派出所に突當り左折して遞信省農商務省の間を過ぎ築地の方に吹去りたり其勢ひ頗る猛烈にて砂石を捲き上げ市街各所の硝子戸を破砕せしものさへありしと

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権現堂桜堤巡礼母娘殺人事件

埼玉県幸手市にかつて利根川治水の要衝のひとつ権現堂堤があり,その役割を終えた今では,桜の名所となって権現堂桜堤とよばれています。

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ちなみに,今日掲載する写真は撮りたてのホヤホヤです。

“桜のトンネル”ということばにウソ偽りはなく,

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また桜と菜の花のコントラストもすばらしいです。

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この桜のトンネルの中ほどに巡礼供養之碑があります。

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享和二年(1802)六月,今流にいえば梅雨末期の大雨によって権現堂堤が二〇〇間(約 360m)にわたって決壊しました。ちょうどこのとき,名主の水塚で巡礼の母娘が雨宿りをしていましたが,村人たちはこの母娘を人身御供にして龍神さまの怒りを静めてもらおうと,名主の制止を振り切って堤防まで引きずり出し,激流に突き落としてしまいました。

一般には巡礼母娘がみずから進んで身を投じ……と伝えられていますが,どう考えても不自然です。村人たちが口裏を合わせてそういうことにしたというほうがつじつまが合っています。

殺人には時効がなくなりましたから,埼玉県警にぜひ再捜査してほしいところです。

そういえば,埼玉県警が主たる舞台の2時間サスペンスドラマって何かあったかな……? 思いつきません。

話を元に戻すと,名主はその後,この堤防で死体となって発見されました。狂死したとのウワサもありましたが,真相は不明です。この件も埼玉県警に…。

名主は死ぬ前にこの母娘を哀れんで堤防沿いに桜の苗木を植えました。これが今の桜堤の原形になっているという話もあります。

なお,事件の発端となった享和二年六月の大雨については,文献にどのように描かれているか,近いうちに紹介したいと思います。

こんだらの日

AD1968/03/30 TVアニメ「巨人の星」放送開始

アニメ「巨人の星」といえば,大リーグボール養成ギブスでも消える大リーグボール2号でもなく,もちろんこんだらです。

というわけで,今日はこんだらの日です。

ところが,不思議なことに巨人の星のOPにはこんだらは登場しません。ウソだと思う人は自分の目で確認してください。日テレG+で放送していますし,もしかするとネットにあるかもしれません。

アニメ「巨人の星」ではちゃぶ台も風物詩ですから,今日はちゃぶ台の日でもあります。

ちなみに,EDでなじみの深い一徹の“ちゃぶ台返し”ですが,Wikipediaによると本編では2回しか登場しなかったそうです。

当番弁護士の謎

女優の坂口良子さんが亡くなったそうです。例えば女優の坂口良子さん亡くなるなど。

お悔やみ申し上げます。

ニュースでは出演していたドラマとして池中玄太80キロ前略おふくろ様草燃える武蔵MUSASHIなどがあがっていますが,私的には火曜サスペンス劇場当番弁護士シリーズの梶原藤子弁護士です。

この梶原弁護士には生い立ちにやや不明な点があります。第6作によると梶原弁護士は福島(県)の出身で,福島神光女学院を1974年に卒業したことになっています。ところが第8作では父親が九州に在住していることになっているのです。

まあ,娘が高校を卒業したあと九州に引っ越しただけなのかもしれません。

ちなみに,第6作では福島市須賀川市がゴッチャになっています。須賀川のホテルに行くのに新幹線を福島駅で降りたりとか。ドラマではありがちなことですが。

ブログを移転します

ほぼ休眠状態のこのブログですが,次に移転することにしました。

NotenkiExpress(New Hatena版)

FC2ブログにとりたてて不満があるわけではなく,はてなブログだと直接markdownで記述でき,いちいちhtmlに変換してから貼りつけるという手間が省けるためです。

そのうちまたこちらに戻ってくるかもしれません。

八百屋お七火あぶりの刑

天和三年三月二十九日(グレゴリオ暦で1683年4月25日),八百屋お七が火あぶりの刑に処せられました。

お七という少女が火付けの罪でこの日火あぶりの刑に処せられたのは事実のようですが,お七が放火した火事については天和二年一月説,天和二年十二月のいわゆる“お七火事”説,天和三年三月説などがあります。私的には天和三年三月だとするのがもっとも違和感がありません。

この火事は,天和三年三月二日(1683年3月29日)の夜, 本郷の森川宿の八百屋の娘お七が近くの商家に放火したところを通行人に発見され,すぐに消し止められたというもので,今流にいえばボヤです。しかし,当時はボヤでも放火は放火,市中引き廻しの上火あぶりと相場は決まっていました。

放火の動機は,天和二年十二月二十八日の火事(要するに「お七火事」)でお七の家も被災して正仙院というお寺に仮住まいした際,そこの “イケメン”と恋仲になったのですが,新居が完成して会えなくなり,再び火事になれば会えるという妄想が放火に駆り立てたとされています。

お七の年齢,被災した火災,仮住まいしたお寺の名前,“イケメン”の名前などには異説もあります。

これが円乗寺に現存するお七のお墓です。

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拡大すると,

知る人ぞ知る恋愛成就のパワースポットだそうです。

ちなみに,内田康夫『追分殺人事件』では,1987年3月7日にこのお墓の前で男の変死体が発見されたことになっています。 作品ではこの日雪が降っていたことになっていて,実際に東京では午後から雪になりました。降雪の深さ合計は7日が3cm, 翌8日が2cmとなっています。