ホワイト・バレンタインデー

本日10時30分発表の大雪と強風及び高波に関する東京都気象情報 第1号:


大雪と強風及び高波に関する東京都気象情報 第1号
平成26年2月13日10時30分 気象庁予報部発表
(見出し)
発達する低気圧の影響で、14日から15日にかけて、東京地方と伊豆諸島
では荒れた天気となるおそれがあります。東京地方では大雪への注意が、伊
豆諸島では高波への警戒と大雨や強風への注意が、それぞれ必要です。
(本文)
[気象状況と今後の予想]
 14日から15日にかけて、前線を伴った低気圧が発達しながら本州の南
岸を東北東へ進む見込みです。
 この低気圧の影響で、東京地方と伊豆諸島では、14日から15日にかけ
て、荒れた天気となるおそれがあります。
[防災事項]
<大雪・大雨>
 東京地方では14日から15日にかけて雪が降り、東京23区でも積雪と
となって大雪となるおそれがあります。大雪による交通障害や路面の凍結、
着雪に注意してください。
 また、伊豆諸島では14日から15日にかけて、大雨となるおそれがあり
ます。土砂災害、低い土地の浸水や河川の増水に注意してください。
<強風・高波>
 伊豆諸島では15日に非常に強い風が吹き、海上は大しけとなる見込みで
す。強風に注意し、船舶や海岸施設では高波に警戒してください。
[補足事項]
 今後発表する警報・注意報、気象情報等に十分留意してください。
 平成25年台風第26号の大雨の影響で、大島町では大雨警報・注意報の
土壌雨量指数基準を通常基準より引き下げた暫定基準で運用しています。
 次の「大雪と強風及び高波に関する東京都気象情報」は、13日17時頃
に発表する予定です。

このように明日の東京はホワイト・バレンタインデーになりそうな予報になっています。

というわけで,かつて東京でバレンタインデーに雪が降ったことがあったのか調べてみました。
データは気象庁天気相談所によるもので,1960年以降です。

バレンタインデーに雪が降ったのは1990年,2001年,2011年の3回あります。
このうち積雪になったのは2011年で,最深積雪は2cmでした。

 気象庁は14日、本州の南海上を進む低気圧の影響で同日夜から15日未明にかけて東京都心を含む関東甲信地方で大雪となる見込みだと発表した。

 14日深夜の段階で、東京や千葉、横浜、前橋、水戸などで積雪が確認され、各地の交通機関にも乱れが出ており、同庁で注意を呼び掛けている。

 同庁によると、各地の積雪は午後11時現在、東京都心2センチ、横浜市4センチ、埼玉県熊谷市5センチなどとなっている。東京都心の積雪はこの冬初めて。

 この雪の影響で、東京都内では、午後10時現在、男女計10人が転倒して病院に搬送された。東京消防庁によると、豊島区と板橋区では、それぞれ帰宅途中の男性が雪で足を滑らせて転倒、足や腕の骨を折るなどのけがをした。また、JR中央線ではポイントが切り替わらなくなるトラブルが発生。午後10時10分頃から東京―高尾駅で約1時間運転を見合わせた。
(2011年2月15日03時03分 読売新聞

また,当日は雪が降らなかったものの前日までの降雪がバレンタインデーに積雪として残ったことが1967年,1994年の2回ありました。

明日はどのくらい降るんでしょうね。楽しみではあります。

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震災いちょうの落葉

今日,気象庁から東京のイチョウの落葉が発表されました。平年日と同じで,去年より7日早い落葉です。

IMG_5864.JPG

東京の標本木になっているこのイチョウは震災いちょうとよばれています。

ググればいろんなところに載っているので,ここではWikipediaから引用するにとどめます。

もともとこの木は旧・文部省庁舎のあった東京市麹町区一ツ橋1丁目1番地(現在の毎日新聞社本社ビル近く)に植えられていた。植樹は1860年ごろで現在の樹齢は約150年とされている。
1923年(大正12年)9月1日、関東大震災が発生。東京市中は猛火に呑まれ、この木も表面の一部が炎と高温で変質するも焼失は免れた。しかし周囲の樹木はこの木を除いてほぼ全部焼失し、以降「帝都復興のシンボル」として注目を集めた。
その後、帝都復興事業による区画整理が行なわれることとなり、「震災イチョウ」も伐採の対象となった。しかし当時の中央気象台長・岡田武松が「この木をなんとかして後世に残しておきたい」と復興局長官・清野長太郎に木の保存を申し入れ、清野も意義を感じてこれを了承した。そして木は一ツ橋から、中央気象台のすぐ近くの現在地に移植された。

どこぞの一本松と違ってゾンビでもサイボーグでもありません。

上の引用にあるように,このイチョウは気象庁の目と鼻の先,清麻呂公園という名前の小さな公園にあります。

大きな地図で見る

名前のとおり,公園には和気清麻呂があります。

IMG_5861.JPG

この人物に銅像になるような“実績”があったのかはなはだ疑問ですが,ここでは触れません。

ところで,どうでもいいですが,実はこの公園,最近のお昼のお散歩コースだったりします(あくまでお散歩です。歩道を走るような無謀なことはしません)。震災いちょうのここ数日間の変化を見てみます。定点観測みたいなもの。

11月21日:

IMG_5815.JPG

11月25日:

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11月26日: 前日の夜の強風でとくに上のほうの葉がかなり飛ばされました。

IMG_5843.JPG

11月27日:

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11月28日:

IMG_5857.JPG

そして最初の写真が今日11月29日です。

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ダービーはなぜ5月下旬か[再]

1956年の日本ダービーは6月3日に行なわれました。

この年は5月下旬から早くも前線が日本の南海上に貼りつき,九州南部では5月1日,九州北部では5月21日,中国では5月29日,近畿では5月24日に梅雨にはいりました。

ダービー前日の2日は雨。この雨のため東京六大学野球早慶戦が順延になりました。

ダービー当日,東京の天気予報は「くもり一時晴」。しかし予報は大ハズレ,朝から雨が降りはじめました。昼ごろからは降ったりやんだりになりましたが,早慶戦は2日続けての順延になりました。

ちょうど6月1日に中華人民共和国中共)が気象管制を解き,暗号を使わずに平文で気象放送を送りはじめました。天気予報がもっと当たるようになる……という期待をもったニュースの直後の大ハズレでした。

ついでですが,日本もアメリカも太平洋戦争中は気象電報を暗号を使って送信していました。しかし末期になると,アメリカは航空機による観測データを暗号化しないで送るようになりました。完全に制空権を掌握していたため,航空機の位置を知られてもまったく危険がなかったからです。

ブリンカーをつけていないため話がズレましたが,こうして東京競馬場は2日続けて雨に見舞われ,ダービーは重馬場で迎えることになりました。人気を見てみると,NHK盃を勝ったキタノオーが1番人気,皐月賞馬ヘキラクが2番人気,ハクチカラが3番人気,オークスからの連闘で臨んだフエアマンナが4番人気でした。本来ならキタノオーが人気をかぶってもおかしくはなかったのですが,外ワクと道悪がきらわれたようです。

スタート直後,内からハクチカラ,タメトモ,ミナトリユウが飛び出し,外からはヘキラク,キタノオーが先団にとりつこうと内側に切れ込んできました。そしてこの2頭に押圧される形となったエンメイが転倒,これに躓いたトサタケヒロも転倒しました。トサタケヒロは人馬とも無事でしたが,エンメイは左肩胛骨を骨折して予後不良,鞍上の阿部正太郎騎手も再起不能の重傷を負いました。

これがダービー史上最大といわれる事故です。ちなみに,阿部正太郎騎手は騎手としては再起できませんでしたが,のちに調教師となり,加賀武見騎手を育てることになります。

これだけの事故にもかかわらず,スンナリと通過順どおりに確定,しかしキタノオーの勝尾騎手,ヘキラクの蛯名騎手には過怠金が課せられるという不可解な決定に納得しなかった人も多かったようです。また,馬主が吉川英治氏ということもあってか,当時の競馬にしては大きく伝えられました。このため,競馬史上はじめて事故調査のための審議会が開かれました。しかし,事故のようすがハッキリ写っているはずの新聞社のニュースフィルムが証拠として検討されないなど,はじめから結論ありきで,予想どおり原因不明の事故というウヤムヤ決着でした。吉川英治氏が馬主をやめたのは,事故そのもののショックというよりはこの不透明さにイヤ気がさしたからではないでしょうか。

その後,事故防止対策のひとつとして,ダービーの開催日を梅雨がはじまる前の5月末にという提案があり,これによってダービーの5月下旬開催が定着したといわれています。

しかし,この年の関東甲信地方の梅雨入りは6月9日で,エンメイの事故は梅雨にはいる前に起こっていたんですけどねえ……。

それはともかく,ダービーが5月下旬に行なわれる理由としてはこの説明が定着しています。

しかし,これは話の半分に過ぎません。

東京優駿(大)競走の施行日を見てみると,第1回の1932年から1937年までは4月に行なわれていて,従来の目黒競馬は4月に行なわれていたのでこれは当然の流れでしょう。しかし1938年に5月29日に行なわれてからはほぼ5月下旬~6月上旬に定着しています。なぜこの時期が選ばれたのでしょう?

おそらくモデルとしたイギリスのダービーの日程を参考にしたのだろうと推測はできますが,あくまで推測の域を出ません。1930~1940年代はいちばん嫌いな時期なので,調べる気になりません。どなたか,かわりにどうぞ。

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5月の“五月雨”[再]

五月晴れとなりは何をする人ぞ

話の順序として五月晴れから。

さつきばれを『スーパー大辞林』で引くと次のように載っています。

(1) 新暦五月頃のよく晴れた天気。
(2) 陰暦五月の,梅雨の晴れ間。梅雨晴れ。[季]夏。《男より女いそがし―/也有》

もともとは(2)の意味で,いつのころからか(1)の意味に変わったといわれています。

それがいつごろのことなのかはハッキリとはわかりませんが,倉嶋厚さんの『季節ほのぼの事典』によると,1961年発行の『広辞苑』に

[1] さみだれの晴れ間 [2] 転じて五月の空の晴れわたること

とあるそうなので,1960年代のはじめにはすでに一般化していたものと思われます。

私自身は俳句以外で『スーパー大辞林』の(2)の意味で使われた例を見たことがありません。お天気番組などの「今日は五月晴れの一日でした」というような表現に文句をいっている人も,(2)の意味で使われた例を実際に見たことがあっていっているのか,はなはだ疑問です。

ちなみに,今の時期に「さわやかな五月晴れ」というのは俳句的にいえば二重の間違いになっているようです。

まず“五月晴れ”は,俳句では今もって(2)の意味でしか使われない(らしい)から×。次に“さわやか”は本来,どういうわけか秋の季語なので×。まあ,私は俳句には何の興味もないのでどうでもいいですが。

五月雨をあつめて早し××川

意味を変えて生き残っている(再生した!?)“五月晴れ”に対し,ほとんど死語になっているのが五月雨《さみだれ》です。

旧暦は平均的に見れば今の暦よりも30日あまり遅いですから,旧暦の五月は今の暦の6月くらいに相当し,ちょうど梅雨の時期です。だから,五月雨《さみだれ》は梅雨どきの雨,あるいは梅雨そのものです。ただ,今は“さみだれ式××”という表現を除いてめったに使われなくなりました。

ついでですが,五月雨といえば,蕪村の

さみだれや大河を前に家二軒

には,俳句の好きでない私も圧倒される迫力を感じます。同じ蕪村の句でも

さみだれや名もなき川のおそろしき

は,だから何なの? と反応したくなります。

なお,五月雨で増水した川を五月川《さつきがわ》とよぶそうです。

5月の“五月雨”

沖縄や奄美地方では5月の梅雨は当たり前です。しかしそれより北では,もっとも早い九州南部でも梅雨入りの平年日は5月31日ごろですから,梅雨といえばふつうは6~7月です。5月に梅雨のような状態になったときは通常梅雨のはしりあるいははしり梅雨とよばれます。

ところが,5月がほとんどまるまる梅雨にはいってしまった年があります。

1963年の5月は,4日に移動性高気圧が三陸沖に去って東シナ海に前線を伴った低気圧が現われてから,早くも“はしり梅雨もよう”になりました。10日には気象庁

例年より約十日早く“はしり梅雨”にはいった。とくに,下旬から六月はじめにかけては全国的に曇雨天が多く,しかも,低温が予報される

という向こう1か月の予報を発表しています(新聞からの孫引き)。

その後も前線が日本付近に貼りつき,気象庁は28日,“梅雨入り”を発表しました。ただ,当時の発表は今とは違っていたようで,新聞には取り上げられていません。今だったら必要以上に大騒ぎするでしょうね。号外が出るほどのバカ騒ぎにはならないでしょうけれど。

梅雨入りの時期はのちに修正され,東海が4日,関東甲信が6日,中国が8日,九州南部が28日,北陸が29日,九州北部が30日,四国と近畿は特定できない――となりました。梅雨入りの日が特定できなかったのはこの年だけです。また,沖縄の梅雨入りが6月になったのも東北(南部)より遅かったのもこの年だけです。

これだけ早いとどこまでがはしり梅雨でどこからがホンモノの梅雨なのか区別できません。もともと自然現象に明確な境界などあろうはずはなく,はしり梅雨とホンモノの梅雨の区別もあくまで便宜的,人為的なものです。

ちなみに,この年の梅雨の時期の新聞には気違い梅雨前線という,今ではまずお目にかかれない表現が出てきます。

メイストーム・デー

きょう5月13日はメイストーム・デーです。

この日に何かきっかけになるような事件や災害があったわけではなく,2月14日のバレンタインデーから88日後にあたり,“八十八夜の別れ霜”のごとくそろそろ別れ話が出てくるころ,裏を返せば別れ話を切り出すには手ごろな時期ということです。誰が考え出したのか知りませんが,よくできていると思います。

別れを告げるにせよ告げられるにせよ,備えあれば憂いなしです(ホントか?)。たとえきょうは乗り切ったとしても,次なるXデーに備えて今から準備しておきましょう。

ちなみに,八十八夜は立春から数えて88日目,つまり89日後で,バレンタインデーから数えて88日目は前日の5月12日です。メイストーム・デーを考えた人はあまり深くは考えなかったのでしょうねぇ。

ついでに,1961年5月12日付読売新聞夕刊より:

五月のアラシ けさ最大風速20メートル

○…けさ出勤間ぎわの午前9時ごろから東京地方では横なぐりの強風とともにはげしいにわか雨があり,サラリーマン,BGなどがズブぬれになった。これは一昨日から記録破りのむし暑さをつづける“天候異変”とつながる現象。

○…日本海から北海道にかけて大きな低気圧があり,この谷間に向かってしめっぽい南の風が吹き込んでいるためだ。強風はけさ五時には瞬間二十・一メートルにもなる“メー・ストーム”(五月のアラシ)となった。

これが私が調べた範囲でのメイストームの新聞初出です。

ゴールデンウィークとお天気

今日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが,NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば“安近短”,なんてもう死語かも。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)と七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

遭難事故

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難,いわゆるパンパカが目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ1人や2人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

そのパンパカですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。1958年が“空前の登山ブーム”だったそうで,そのあたりから記事がぼちぼち目立ってきます。

そして1965年,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量パンパカが起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量パンパカがあったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,パンパカの可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。自分のフトコロが痛まないからねえ。

この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

ちなみに,現在は民間気象会社にも10日先までの予報が認められていて,それはそれはスバラシイ精度です。信用するとエラい目が見られます。7日先と8日先の間で時空の谷間を通過するんじゃないかと思われるほど全然違うことも多いです。

連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

権現堂桜堤巡礼母娘殺人事件

埼玉県幸手市にかつて利根川治水の要衝のひとつ権現堂堤があり,その役割を終えた今では,桜の名所となって権現堂桜堤とよばれています。

2013-03-30 13.34.43

ちなみに,今日掲載する写真は撮りたてのホヤホヤです。

“桜のトンネル”ということばにウソ偽りはなく,

CIMG1047

また桜と菜の花のコントラストもすばらしいです。

CIMG1057

この桜のトンネルの中ほどに巡礼供養之碑があります。

2013-03-30 13.53.28

享和二年(1802)六月,今流にいえば梅雨末期の大雨によって権現堂堤が二〇〇間(約 360m)にわたって決壊しました。ちょうどこのとき,名主の水塚で巡礼の母娘が雨宿りをしていましたが,村人たちはこの母娘を人身御供にして龍神さまの怒りを静めてもらおうと,名主の制止を振り切って堤防まで引きずり出し,激流に突き落としてしまいました。

一般には巡礼母娘がみずから進んで身を投じ……と伝えられていますが,どう考えても不自然です。村人たちが口裏を合わせてそういうことにしたというほうがつじつまが合っています。

殺人には時効がなくなりましたから,埼玉県警にぜひ再捜査してほしいところです。

そういえば,埼玉県警が主たる舞台の2時間サスペンスドラマって何かあったかな……? 思いつきません。

話を元に戻すと,名主はその後,この堤防で死体となって発見されました。狂死したとのウワサもありましたが,真相は不明です。この件も埼玉県警に…。

名主は死ぬ前にこの母娘を哀れんで堤防沿いに桜の苗木を植えました。これが今の桜堤の原形になっているという話もあります。

なお,事件の発端となった享和二年六月の大雨については,文献にどのように描かれているか,近いうちに紹介したいと思います。

たきび

「たきび」という童謡があります。

かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
あたろうか あたろうよ
きたかぜ ぴいぷう ふいている

防災上かなり問題がある歌です。“きたかぜ ぴいぷう ふいている”ときにたき火などしてはいけません!!

昔はよかったんですかねえ? 今よりも燃えやすい建物が多かったと思うんですけど。

おはだの おはだの まがりかど
みそじだ よそじだ もうおそい

という替え歌もあります(笑)

聖ルチアの日と「サンタルチア」

12月13日はキリスト教では「聖ルチアの日」です。聖ルシア,聖ルキア,あとで出てくるように聖女リュースともよばれます。伝説によると,304年に若くして殉教したことになっています。

“ルチア”はラテン語で「光(lux)」あるいは「光をもたらす者」の意味です。それもあってか,『フランスことわざ歳時記』(社会思想社)によると,フランスには

聖女リュースの日には,日は蚤のひと跳びだけ長くなる

ということわざがあるそうです。ユリウス暦の時代には聖ルチアの日である12月13日が冬至だったので(というより冬至の日を光をもたらす聖ルチアの日と決めたのでしょう),冬至から日が長くなることをいっている……と解釈するのがふつうのようです。

次の表は,以前パリにおける日の入りの時刻を「ステラナビゲーター6」で計算した結果です。

========== ========
 年月日  日の入り
========== ========
2003/12/10 16:55:13
2003/12/11 16:55:09
2003/12/12 16:55:08
2003/12/13 16:55:11
2003/12/14 16:55:16
2003/12/15 16:55:24
2003/12/16 16:55:36
2003/12/17 16:55:51
2003/12/18 16:56:08
2003/12/19 16:56:29
2003/12/20 16:56:53
========== ========

誤差もあるでしょうし,ほかにもいろいろな要因があるので,この値を鵜呑みにはできませんが,だいたい聖ルチアの日ごろから日の入りの時刻が遅くなりはじめているということはできるでしょう。ことわざは言葉どおりの意味でもけっしてウソではないのです。ちなみに,東京でも今ごろから日の入りが目に見えて遅くなりはじめます。

旭川にあるサンタプレゼントパークでは,ルチアは世界の10人のサンタのひとりになっています。

ところで,聖ルチアを守護聖人にしているのがスパゲッティ・ナポリタンで有名な(笑)(これしか知らん(^^;))ナポリで,その民謡(?)に「サンタルチア」があります。音楽には疎いσ(^^;)でさえ「♪スルマーレルッツィカ…」と歌い出しだけは歌えるくらいですから(音程が合っている保証はありません(^^;)),かなり有名な曲なのでしょう。

ここで,サンタルチアというのは「イタリア南部,カンパニア州北西部,ナポリ県のナポリ港南西の地区および街路」(『コンサイス外国地名事典』)で,「この海岸からのナポリ湾とベズビオ山の眺めは第一級」(同)だそうです。

「サンタルチア」には,訳詞が2つばかりあります。歌い出しを比較してみましょう。

まずは,堀内啓三訳詞:

月は高く 海に照り
風も絶え 波もなし

次に,小松清訳詞:

そらにしろき つきのひかり
なみをふく そよかぜよ

一方では「風も絶え」,もう一方では「なみをふく よかぜよ」。いったいどっちがホントなんだ……(笑)

元の詞は“波はおだやかで,(船出にとって都合のよい)順風が吹いている”というような意味のようです。

あとの部分になりますが,元の詞ではこの順風は西風で,この風に乗ってサンタルチアに行こう!! と歌っているので,西にある例えばポンツィアーネ諸島あたりからサンタルチアに向かおうとしているのかもしれません。ところが,小松清訳詞では「かなたしまへ ともよゆかん」とまったく逆になっています。まあ,どうでもいいですけど(笑)