今日の土曜ワイド劇場は…期待しないでおこう

今日の土曜ワイド劇場は土曜ワイド劇場特別企画「京都人情捜査ファイル」。サブタイトルは……ない(笑) なんと,連ドラの初回2時間スペシャルを土曜ワイド劇場のワクで放送してしまおうという浅ましい企画です。

毎度書いているように,一部の例外を除いて特別企画は駄作であるのが相場ですが,連ドラの2時間スペシャルがつまらないというのもまた相場なので,どう考えても駄作の悪寒以外しません。どうせオチは,続きは木曜8時で,なのではないのでしょうか。

連ドラの初回2時間スペシャルを土曜ワイド劇場のワクで放送したケースとしては,ドラマスペシャルとして放送されたものですが,「陽はまた昇る」があります。タイトルは「最後の晩餐~刑事・遠野一行と七人の容疑者~」という連ドラとは似ても似つかないものでした。ちなみにサブタイトルは“犯人は誰だ!?放火殺人現場から生存者が消えた…そして彼らはなぜ嘘の証言をする?本格推理ミステリー”。ネクラヒッキーがのこのこレストランにやってきたり,部下の刑事役がシロウト顔負けのヘタさだったり,ドラマスペシャルの名に恥じない駄作でした。

連ドラのほうも見ましたが,いろいろ引っ張った割にはしまらない最終回でした。

木曜に放送される「京都人情捜査ファイル」に関してはよくわかりませんが,今日のところは期待しないでおいたほうがよさそうです。

土曜ワイド劇場特別企画 京都人情捜査ファイルスペシャルのあらすじ

土曜ワイド劇場特別企画 京都人情捜査ファイルスペシャル|ストーリー|京都人情捜査ファイルより:

 コンビニ店員の永山雅夫(小須田康人)が出勤の途中で何者かに射殺される。
 犯罪被害者支援室・室長の吉崎仁美(松下由樹)は、妻の和恵(遊井亮子)のケアを任されるが、和恵は激しく取り乱し仁美の言葉に耳を貸そうとしない。
 そんな和恵に、仁美の部下として着任したばかりの戸隠鉄也(高橋克典)が、“支援”のセオリーを逸脱した言葉を掛ける。「しっかりしてください」。被害者支援においてプレッシャーとなるような言葉はご法度だ。
 仁美は戸隠を厳しくとがめるが、戸隠は意に介さず、和恵に対して「必ず犯人を見つけ出す」と続ける。これもまた、捜査権限がない犯罪被害者支援が口にしてはならない言葉だった。
 しかし、仁美の心配とは裏腹に、和恵は戸隠の言葉と真摯なまなざしに触れて、次第に落ち着きを取り戻していくのだった。
 そんな仁美と戸隠に次なる事件の一報が届く。ホテル京禄の経理課長・関田陽介(高橋和也)が誘拐され、身代金が要求される事件が発生したのだ。仁美と戸隠がホテルに到着したとき、そこには犯人の要求に応じ早くも現金三億円が用意されていた。
 犯罪被害者支援の任務は、陽介の唯一の家族、一人娘の七海(小林里乃)のサポート。父親が誘拐されるという衝撃の出来事に、捜査員の取り調べに対し一言も話せずにいる七海を、二人は自宅まで送り届ける。そこで戸隠はあることに気づく。コンビニ店員が射殺された公園がすぐ近くにあったのだ。仁美は、今は七海の支援に集中するよう戸隠をたしなめる。だが、七海が初めて口にした言葉で、事態に大きな変化が生まれる。その言葉とは「お父さんを助けないで!」。娘がたった一人の肉親である父親を助けないでとは…。七海は何かを隠していると確信した戸隠は、仁美をある場所へと連れ出す。
 そこは、とある日本庭園内の茶室。中では和服姿の岩瀬厚一郎(松平健)警務部長が二人を待ち受けていた。
戸惑う仁美をよそに、戸隠は捜査現場で感じた射殺事件と誘拐事件の関連性を岩瀬に報告。戸隠の推理に一理あると解した岩瀬は直ちに、戸隠たちに“特捜支援”の許可を与える!
 岩瀬の許しがあるとはいえ、犯罪被害者支援室の捜査はあくまでも非公式。警察内部にも知られてはならない秘密の任務とあって、まじめな仁美は素直に受け入れられない。だが、そんな仁美が自ら特捜を願い出る事件が発生する。10年前、仁美が支援に携わった家族が、新たに発生した傷害事件の容疑者として浮上したのだ。
 事件の被害者は山崎宏史(馬場良馬)。何者かに刺され意識不明の重体となる。妻のいずみ(宮地真緒)は、夫は誰かに恨まれるような人ではないと、突然の出来事に混乱するばかり。しかし、宏史の母・麻子には思い当たる節があった。山崎は10年前、仲間と傷害事件を起こしていたのだ。仁美はその時の被害者、神田昇と家族を支援していた。捜査一課は、今回の事件が後遺症に苦しみ続けた昇の死後すぐに発生していることから、妻の美津子(朝加真由美)による復讐の線で捜査を開始する。だが、事件から立ち直ろうとしていた美津子を知っている仁美は、捜査一課が立てた筋書きに納得がいかず、特捜の許可を得て自らの手で真実を明らかにしようとする。ところが、かつて美津子を支援したときのように畑仕事を手伝う中、仁美は作業小屋で被害者の山崎のライターを発見してしまう…!?
さらに支援室を揺るがす新たな事件が発生。その事件をきっかけに、戸隠の秘められた”悲しい過去”が明らかになっていく。

追記 [2015/04/25(23:11:43)]

  • 2時間ドラマではなく,1時間ドラマの2本立てだった。
  • 京都である必然性を感じない。
  • 誰も京都弁を話してなかった。
  • 篠崎(下條アトム)さん,連ドラの最終回あたりで事件に絡みそうな気がする。おそらく被害者。

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東の風 雨 (1932年) (目黒競馬場跡探訪記つき)

「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません1。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。

レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。

馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),残されている記録映画からもなんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。翌日の東京日日新聞によると,

生憎の雨で最悪のコンジションであつたため好記録を得られなかつたのは遺憾であつたが十九頭もの優駿が一團となつてもみ合つた壯觀は全く本邦においてはじめてみるものであつた

多少(かなり?)ヨイショ感のただよう記事ですが(笑)

東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。

目黒競馬場跡

目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡か外周道路の名残と思われる道路があるほかはバス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。

  • バス停元競馬場前

  • トウルヌソル像

  • 第1コーナーあたり

  • 第2コーナーから向正面

  • 向正面中ほど

    当時の代表的な競馬場,例えば根岸競馬場や池上競馬場などは向正面が直線ではなく,ゆるやかにカーブを描いていました2。これに対し目黒競馬場は今では当たり前の陸上競技場型につくられました。大江志乃夫『明治馬券始末』によると,この形状に対しては当時批判があったそうです。あえてこの形にしたのにはちゃんとした意図があったようなのですが,そのあたりについては『明治馬券始末』をご覧ください。

  • 第3コーナー手前にあるさくらの里まちかど公園

    公園にあるサクラの由来という説明板によると,

    このサクラは,目黒競馬場があった当時の樹木だといわれており,平成9年秋,台風の影響により倒木したときも,地元の熱い要望により区が復旧したもので,区民に愛されています。

    ここに出てくる台風は,秋ということですから20号でしょうか。1997年の台風といえば7月の9号が有名ですが,それについては雨のバカヤロー!!の8年後 | Notenki Express 2014をご覧ください。

第3コーナーから第4コーナーにかけてはコースの面影はほとんど残っていません。

  • 第4コーナーを回って最後の直線

というわけで,軽く1周してきました。

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  1. よく知られているように,実際に放送されたのは「西の風 晴れ」でしたが,これは対英関係が危険になったときの暗号で,対米関係危険化の暗号は本来は「東の風 雨」でした。 
  2. 松戸競馬場は地形の関係で逆くの字に曲がっていました。 

皐月賞1枠1番物語

同一日に行なわれる皐月賞と早慶レガッタの傾向 | Notenki Express 2014を書いたときに以前発行していたメルマガを見返していて発見しました。

2002年4月10日発行の能天気Express (Active Weather Express)No.026の競馬歳時記からそのまま引用します。整形が面倒なので(手ヌキ(笑))。

■競馬歳時記 ~皐月賞1枠1番物語~

  1999年,あのテイエムオペラオーが勝った皐月賞,ワンダーファングがゲート内
  で暴れて競走除外。2000年,ラガーレグルスがゲートから出ず,競走中止。公式
  発表では「発走合図直後,発馬機内で立上がり,騎手が落馬したため,競走を中
  止」したとなっています。2001年,ジャングルポケットがスタート直後躓き,も
  うちょっとで落馬するところでした。

  このように,ここ3年はたたられたように1枠1番の馬に何かが起こっています。
  それでは過去にさかのぼるとどうなるのか……と興味を持ったので,調べてみま
  した。入手できた資料の関係で,「幻の名馬」トキノミノルが勝った1951年以降
  です。

  +--+----+----+----+----+------------------+----+----------------+
  |回| 年 |天候|馬場|頭数|      1枠1番      |着順|      備考      |
  +--+----+----+----+----+------------------+----+----------------+
  |11|1951| 晴 | 良 |   8|イツセイ          |   2|永遠のNo.2      |
  |12|1952| 晴 | 良 |  14|アサトモ          |   3|                |
  |13|1953| 晴 | 良 |  17|アラワシ          |  12|                |
  |14|1954| 曇 | 不 |  13|ミナトタイガー    |  10|                |
  |15|1955| 曇 | 良 |  16|ヒデホマレ        |   8|                |
  |16|1956| 晴 | 良 |  16|オーエスケー      |  16|                |
  |17|1957| 晴 | 稍 |  14|ヒカルメイジ      |   2|単勝支持率53.5%|
  |18|1958| 晴 | 良 |  18|シユウコ          |  17|実質最下位      |
  |19|1959| 晴 | 良 |  19|シゲミノル        |   4|                |
  |20|1960| 曇 | 重 |  21|アラカゼ          |  17|                |
  |21|1961| 晴 | 重 |  17|ヨドノハル        |  17|                |
  |22|1962| 晴 | 良 |  16|ヤマニンフレーム  |  13|                |
  |23|1963| 曇 | 良 |  12|グレートヨルカ    |   2|1番人気         |
  |24|1964|小雨| 良 |  24|フアイトモア      |  15|                |
  |25|1965| 曇 | 良 |  20|カブトシロー      |  12|                |
  |26|1966| 晴 | 稍 |  23|オンワードヒル    |   5|                |
  |27|1967| 晴 | 稍 |  14|モンタサン        |   8|                |
  |28|1968| 雨 | 重 |  16|タニノハローモア  |   6|                |
  |29|1969| 晴 | 良 |  23|ワイルドモア      |   1|このあと故障    |
  |30|1970| 晴 | 重 |  12|ハイプリンス      |   7|                |
  |31|1971| 曇 | 良 |  14|ハスラー          |   4|                |
  |32|1972| 晴 | 良 |  15|ファインダイヤ    |   5|                |
  |33|1973| 雨 | 重 |  16|カネイコマ        |   2|                |
  |34|1974| 晴 | 良 |  14|ウエスタンダッシュ|   8|                |
  |35|1975| 曇 | 良 |  22|ロングホーク      |   2|2番人気         |
  |36|1976| 晴 | 良 |  15|メジロサガミ      |   7|                |
  |37|1977| 晴 | 稍 |  19|ヨシノリュウジン  |   9|                |
  |38|1978| 晴 | 良 |  14|キタノコンゴウ    |   7|                |
  |39|1979| 曇 | 良 |  15|ヨシノスキー      |   5|唯一の“三冠馬”|
  |40|1980| 雨 | 不 |  16|モンテプリンス    |   4|                |
  |41|1981| 曇 | 良 |  17|カツトップエース  |   1|                |
  |42|1982| 晴 | 良 |  20|カシマボーイ      |  11|                |
  |43|1983| 雨 | 不 |  20|キングパシフィック|   5|                |
  |44|1984| 晴 | 良 |  18|ケンセツエース    |  15|                |
  |45|1985| 晴 | 稍 |  22|グリーンアラシ    |  12|                |
  |46|1986| 晴 | 良 |  21|ファイブホマレ    |  21|                |
  |47|1987| 晴 | 良 |  20|マティリアル      |   3|1番人気         |
  |48|1988| 晴 | 良 |  18|ヤエノムテキ      |   1|                |
  |49|1989| 晴 | 不 |  20|サクラホクトオー  |  19|実質最下位      |
  |50|1990| 曇 | 良 |  18|ワイルドファイアー|  16|                |
  |51|1991| 曇 | 稍 |  18|イイデシビア      |   6|                |
  |52|1992| 雨 | 良 |  17|スタントマン      |   3|                |
  |53|1993| 晴 | 良 |  18|シクレノンシェリフ|   3|                |
  |54|1994| 晴 | 良 |  18|ナリタブライアン  |   1|                |
  |55|1995| 曇 | 稍 |  16|トウショウフェノマ|  消|出走取消        |
  |56|1996| 晴 | 良 |  18|エイシンイットオー|  15|                |
  |57|1997| 晴 | 良 |  18|スターマイサドル  |  15|                |
  |58|1998| 晴 | 良 |  18|エモシオン        |   4|                |
  |59|1999| 雨 | 良 |  17|ワンダーファング  |  外|競走除外        |
  |60|2000| 曇 | 稍 |  18|ラガーレグルス    |  止|発馬機内落馬    |
  |61|2001| 晴 | 良 |  18|ジャングルポケット|   3|発馬直後躓く    |
  +--+----+----+----+----+------------------+----+----------------+

ちなみに,ヨシノスキーが唯一の“三冠馬”というのは,三冠レースすべてで1枠1番をひいたのはヨシノスキーだけということです。たぶんその後も出ていないと思います。

2002年以降はどうなのかというと,TARGET JVを使うと簡単に検索できるので,ついでに載せておきます。あくまでついでです。

日付 1枠1番 頭数 人気 着順 馬場状態
020414 バランスオブゲーム 18 7 8
030420 ビッグコング 18 15 7
040418 マイネルマクロス 18 11 7
050417 アドマイヤフジ 18 8 5
060416 フサイチリシャール 18 3 5
070415 フサイチホウオー 18 2 3
080420 タケミカヅチ 18 6 2
090419 ロジユニヴァース 18 1 14
100418 リルダヴァル 18 5 6
110424 ステラロッサ 18 7 10
120415 モンストール 18 16 9
130414 メイケイペガスター 18 10 9
140420 ワンアンドオンリー 18 4 4

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同一日に行なわれる皐月賞と早慶レガッタの傾向

隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年) | Notenki Express 2014を上げたときに,そろそろ早慶レガッタだなと思って調べたら今度の日曜日(4月19日),つまり皐月賞と同じ日だとわかり,そういえば以前同じ日に行なわれた皐月賞と早慶レガッタについて調べたことがあったなあとハードディスクを検索したところ,ありました,ありました。

2003年04月15日に発行したメルマガ能天気Express (Active Weather Express)No.071競馬歳時記で取り上げていました。そのまま引用します。

■競馬歳時記

  この前ちょっと部屋の整理をしていたら(かえって散らかったかも),何本か古
  いビデオテープを発掘しました。1989年 WSPC シリーズ第1戦(実はこれをさが
  していた)や火曜サスペンス劇場「琵琶湖周航殺人歌」(これもさがしていた)
  などに混じって,1992年の皐月賞と早慶レガッタが録画されているテープがあり
  ました。

  この1992年もそうなんですが,皐月賞と早慶レガッタは同じ日に行なわれること
  があります。今年の4月20日も両方行なわれます。

  そこで,同じ日に行なわれた年の早慶レガッタと皐月賞の傾向を調べてみました。
  おそらく史上初の試みでしょう(爆)

  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+
  | 年 |月|日|優勝校|1着馬             |枠|馬番|人気|
  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+
  |1939| 4|29|早大  |ロツクパーク      | -|   2|   7|
  |1947| 5|11|慶大  |トキツカゼ        | -|   2|   1|
  |1965| 4|18|早大  |チトセオー        | 6|  14|   8|
  |1966| 4|17|早大  |ニホンピローエース| 2|   6|   2|
  |1969| 4|20|慶大  |ワイルドモア      | 1|   1|   1|
  |1970| 4|12|早大  |タニノムーティエ  | 8|  11|   1|
  |1973| 4|15|早大  |ハイセイコー      | 4|   7|   1|
  |1977| 4|17|早大  |ハードバージ      | 2|   3|   8|
  |1978| 4|16|慶大  |ファンタスト      | 3|   3|   3|
  |1979| 4|15|早大  |ビンゴガルー      | 2|   3|   3|
  |1983| 4|17|慶大  |ミスターシービー  | 5|  12|   1|
  |1986| 4|13|同着  |ダイナコスモス    | 8|  19|   5|
  |1990| 4|15|早大  |ハクタイセイ      | 7|  15|   3|
  |1992| 4|19|早大  |ミホノブルボン    | 2|   4|   1|
  |1994| 4|17|慶大  |ナリタブライアン  | 1|   1|   1|
  |1995| 4|16|慶大  |ジェニュイン      | 3|   6|   3|
  |1998| 4|19|早大  |セイウンスカイ    | 2|   3|   2|
  |1999| 4|18|慶大  |テイエムオペラオー| 6|  12|   5|
  |2000| 4|16|慶大  |エアシャカール    | 8|  16|   2|
  +----+--+--+------+------------------+--+----+----+

  ハッキリいえば,なんの傾向も見あたりません。まあ,だいたいこんなもんでし
  ょう。かりに何か傾向のようなものがあったとしても,それはデータの偏りです。

翌年2004年4月16日発行のNo.116でもシツコくこの話題を取り上げ,さらに五輪が重なった年について書いています。途中から引用します。

  さらに五輪年が重なったことは2回あり,そのひとつが1992年でした。

  1992年4月19日,第52回皐月賞。寒冷前線の通過により,船橋アメダスでは,気
  温が12時18.9℃から13時12.6℃と6.3℃も降下。風向が南南西から西北西に変わ
  り,雨が降り出しました。しかし,馬場状態の発表は良のまま。今はなき大川慶
  次郎さんはテレビ中継の中で「ことばがあれば‘やや良’というとこ(ろ)なんで
  しょうけどね,(リャイアンッ!!)」といっています。

  レースはミホノブルボンのひとり舞台でした。

  ----------------------------------------------------------------------
  1992年 4月19日(日) 3回中山8日  天候: 雨   馬場状態: 良
  10R  第52回皐月賞
  4歳・オープン・G1(定量) (牡・牝)  芝 2000m   17頭立
  ----------------------------------------------------------------------
  着枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム  3F  人 廐舎
  ----------------------------------------------------------------------
  1 2  4  ミホノブルボン   牡 4 小島貞博  57  2.01.4 37.1  1 戸山為夫
  2 3  5  ナリタタイセイ   牡 4 南井克巳  57  2.01.8 37.0  4 中尾謙太
  3 1  1  スタントマン    牡 4 角田晃一  57  2.02.1 37.2  5 渡辺栄
  3 3  6  アサカリジェント  牡 4 柴田政人  57  2.02.1 37.2  2 河野通文
  5 4  7  マヤノペトリュース 牡 4 田原成貴  57  2.02.2 36.4  6 坂口正大
  6 6 12  セキテイリュウオー 牡 4 田中勝春  57  2.02.3 37.6  3 藤原敏文
  7 7 15  マチカネタンホイザ 牡 4 岡部幸雄  57  2.02.4 37.0  7 伊藤雄二
  8 5  9  ライスシャワー   牡 4 的場均   57  2.02.8 38.0 11 飯塚好次
  9 1  2  ホクセツギンガ   牡 4 藤田伸二  57  2.02.9 37.7  9 白井寿昭
  10 7 13  カミノエルフ    牡 4 横山典弘  57  2.03.1 37.7  8 小林常泰
  11 8 16  サウスオー     牡 4 柴田善臣  57  2.03.3 37.8 12 高橋祥泰
  12 6 11  ダッシュフドー   牡 4 谷中公一  57  2.03.4 38.7 10 阿部新生
  13 5 10  マイネルコート   牡 4 関口睦介  57  2.03.8 38.4 15 梶与四松
  14 2  3  リワードガルソン  牡 4 岡山定夫  57  2.04.1 39.5 14 野平祐二
  15 7 14  クリトライ     牡 4 河内洋   57  2.04.2 39.6 13 阿部新生
  16 8 17  マイネルトゥルース 牡 4 加藤和宏  57  2.04.8 39.3 16 河野通文
  17 8 18  セイショウマインド 牡 4 江田照男  57  2.05.0 39.2 17 古賀史生
  消 4  8  マーメイドタバン  牡 4 大塚栄三  57  ------ ---- -- 和田正道
  ----------------------------------------------------------------------
  LAP :12.7-11.1-11.6-12.5-11.9-12.1-12.4-12.4-12.1-12.6
  通過:35.4-47.9-59.8-71.9  上り:73.5-61.6-49.5-37.1
  単勝 4 \140    複勝 4 \100 / 5 \230 / 1 \190 / 6 \130
  枠連   2-3 \360 (1)
  馬連   04-05 \1210 (4)
  ----------------------------------------------------------------------

  一方,隅田川の早慶レガッタは,スタート直後こそ慶應がリードしたものの,土
  手評の高かった早稲田がじりじりと差を詰め,厩橋付近(1160m 地点)で慶應をと
  らえると,3艇身の差をつけて前年の雪辱を果たしました。

  さて,今年はどうなりますか。なんとなく3番の勝ち馬が多いように見えるのは
  σ(^^;)だけかな……。ということはコスモのもう1頭のほう?(笑) まあ,偶然で
  しょうけれど。

  どうでもいいですが,何かと理屈をつけて1992年を取り上げたのは,たまたま皐
  月賞,早慶レガッタともビデオが残っていたからです(笑)

2004年以降についても調べようと思えば簡単に調べられるのですが,これを書いたころとは関心のベクトルの向きが変わっていて,こっち方面には向いていません。

ちなみに,早慶レガッタはかつてはラジオで生中継が行なわれていて1,テレビでも地上波で生中継が行なわれていたことがあります。ところが,いつしか録画になり,今では地上波では放送されなくなっています。注目度が変わっているのでしょうねえ。

ネット中継(もちろんLIVE)が行なわれていた年もありましたが,今年はどうなんでしょう。今のところアナウンスはないようです。

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  1. 毎年というわけではなかったようです。 

隅田川にもどった早慶レガッタ (1978年)

※この記事は初代ブログ(ココログ)に2006年4月13日に書いたものですが,今のブログになぜかインポートされていないのでそのまま投稿します。

春のうららといえば今は高知競馬場が有名ですが(というのは2年前までの話で,今では完全に忘れられた存在(笑)),大昔は隅田川でした。その隅田川の春の風物詩といえばやはり「早慶レガッタ」。

早慶レガッタは1905年に隅田川ではじまり,敗戦後,1947年に復活したときも隅田川でした。1957年の“あらしのボートレース”も隅田川。このように隅田川で多く行なわれていましたが,川の汚染や首都高の向島線の架設工事などによって,隅田川はボートレースのできる環境ではなくなり,1961年を最後に隅田川を離れました。江戸時代から続く夏の風物詩「両国花火大会」も1961年で廃止になっています。

時は過ぎ,1970年代の後半になると,汚染対策も若干進んで隅田川にも魚が戻るようになり,関係者の努力もあって早慶レガッタは隅田川に帰ってきました。

その隅田川復活の早慶レガッタは1978年4月16日に行なわれました。コース設定などの苦労話については公式ページhttp://www.the-regatta.com/ に詳しいです。

この日は,関東の南東海上の高気圧と日本海の低気圧の間で気圧の傾きが急な領域が関東南部にかかっており,東京では朝から南~南南西の風が吹き荒れていました。大手町の最大風速は14.8m/s,最大瞬間風速は24.5m/sでしたが,隅田川の川面ではもっと強かったかもしれません。

レースは予定より遅れて15時17分に永代橋をスタート。スタート直後こそ早稲田が出たものの,早稲田の「韋駄天号」にはスタート前から水がたまっており,スピードが乗らないばかりかコントロールを失っていました。その後も清洲橋(615m地点)で2艇身ほどリードした慶應艇の水しぶきを受け,ますます浸水が進むという悪循環。結局,なんとか沈めないようにゴールまでもたせるのが精一杯,レースは慶應が55ストローク,距離にして500mもの大差で圧勝しました。

勝った慶應クルーはコックスを水に“投げ込んだ”後,われ先にと隅田川に飛び込みましたが,水はとくに汚くはなかったそうです。

このレースを見に隅田川に集まった観衆は18000人。ただし,川岸のマンションやビルの屋上の見物人,通りすがりの通行人を含めると10万人になるとか。

早慶レガッタの隅田川復帰大成功も呼び水となり,7月29日,両国の花火大会が17年ぶりに開かれることになります。ただ,当初の予定は7月22日だったようですが,1週間のびたのはなぜなんでしょう……?1

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  1. 潮回りの影響だったようです。ちなみに1週間延びたせいで板橋区と戸田市の花火大会と同じ日になり,丁々発止の果たし合い的展開になるのですが,それはまた別の機会に。[20150416付記] 

今日の桜花賞ポイント800mの標識

桜花賞ポイント800mの標識 | Notenki Express 2014の続きかもしれません。

往年の杉本アナなら,

さあ桜花賞ポイント800mの標識を何秒で通過するか。48,49,なんと50秒もかかりました。これは超スロー

と実況したかもしれません。

私はグリーンチャンネルで見ていたので800mの通過タイムはわからず,600mの37.1秒を見て,なんつうスローだと思ったのですよ。

今日の50.0秒はハロンタイムが残っている1964年以降でもっとも遅いタイムです。馬場状態が不良でもないのにこんなに遅いラップになるとはねえ……。もっとも,今まででもっとも遅かった1967年の48.8秒も良馬場だったんですけどね。ただし競馬場は京都でしたが。

勝ったレッツゴードンキはどスローの中まんまと逃げ切った感じがありありなので,今日の勝ちは評価されず,オークスでもあんまり人気にならないような感じがします。でも,蓋をあげてみると勝たないまでも2着くらいには粘るんではないかなあ……。

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カッツポーズ列伝 part2

4月11日はカッツポーズの日。いわれについてはガッツポーズの日 | Notenki Express 2014をご覧ください。ちなみに,ガッツポーズという名前が最初につけられたのはガッツ石松の勝利のポーズだという俗説は間違いです。

さて,ガッツボーズ列伝 | Notenki Express 2014のあとのガッツポーズをテキストクリップから拾ってみました。

まず,2011年1月のサッカーアジア杯。李忠成のボレーシュートが今でも目に浮かびますが,もう4年も前なんですね。

アジアカップで優勝、ガッツポーズでピッチに向かうザッケローニ監督 (ASA)

写真を載せられないのが残念です(手もとにはある)。

2011年2月,ガールズケイリンの1期生が誕生しました。

合格が決まりガッツポーズする左から白井美早子、田中麻衣美、渡辺ゆかり (日刊スポーツ)

このころが穏やかな時代の最後だったかもしれません。

3.11の直後,メイダンで奇跡が起こりました。

スタート直後は最後方に控えたが、スローペースを読み切ったデムーロ騎手の好判断によって向正面で追い上げ、逃げるトランセンド(牡5、栗東・安田)をぴったりマーク。最後の最後まで懸命に粘るトランセンドを半馬身かわし、昨年まで日本から延べ18頭が挑戦して成し得なかった悲願を達成した。勝ち時計は2分05秒94。ゴール手前でガッツポーズを繰り出したデムーロは「信じられない! いつもはいいスタートが、今日は良くなかった。バックストレッチでスローペースになったことがラッキー。いいポジションに付けられた。直線がすごく長くて、終わらないかと…。家族のみんな、ありがとう! 日本のみなさん、ありがとう!」と感涙にむせんだ。(日刊スポーツ)

4月,楽天ゴールデンイーグルスは田中の好投で主催開幕戦を白星で飾りました。

完投勝ちし、ガッツポーズで雄たけびを上げる東北楽天・田中 (河北新報)

5月,雨の中,オルフェーヴルが二冠を達成します。

薄暗い府中でも、オルフェーヴルと池添にはビクトリーロードが見えていた。残り300メートル。ごちゃついた馬群を割ると、一瞬前に出られたウインバリアシオンを抜きにかかった。芝の塊が飛び、水しぶきが跳ね返る最悪なコンディションもものともせず、内から鋭く抜け出す。残り1ハロンで完全に先頭に立つと、あとは後続を離すだけ。皐月賞で自粛したガッツポーズが自然と出た。2着に1馬身3/4差、3着はさらに7馬身離れた。「本当によく頑張ってくれた」。愛馬をなでる池添の目には涙が浮かんだ。(日刊スポーツ)

夏,武豊がついにばんえいでも勝利を挙げます。

今年で5回目を迎える「JRAジョッキーDAY」には武豊、藤田、安藤勝や、今年初参戦の吉田豊と隼人兄弟、謎のX騎手こと小林徹らが駆けつけた。例年通り、ばんえいの騎手とコンビを組んで2レースに出場。優勝は1レース目で6着(6ポイント)、2レース目で1着(20ポイント)の武豊騎手だった。昨年に続いて2回目の参戦となった武は念願の初Vにガッツポーズ。トロフィーを受け取り「夢がかないました(笑い)。体が倍以上あってまだ少し怖いけど、楽しいですね」と満面の笑みを見せた。 (日刊スポーツ)

いい加減疲れてきました。この調子で続けてもなんか2011年で終わりそうなので,一気に2012年にタイムワープして終わりたいと思います。

2012年の箱根駅伝往路。“山の神”柏原が区間新で山を登り,東洋大が往路4連覇を達成しました。

最後の角を曲がって、苦しそうだった柏原が笑顔になった。ゴール前、右手で3度ガッツポーズ、両腕を大きく広げてゴールテープを切り、仲間たちの待つ輪に加わった。 (スポーツ報知)

続きはまた来年のガッツポーズの日に(笑)

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あなたの夢は今こそかなう (1966年桜花賞)

タイトルは故・志摩直人さんの詩の一節より。

1951年4月22日,阪神競馬場での第11回桜花賞。クモワカは向正面で馬群に包まれる不利もあり,ツキカワの逃げ切りを許して2着に敗れました。このレースについては天候が曇,馬場状態が良ということと全着順,簡単な展開がわかるだけで,それ以上はわかりません。当時の「優駿」にも掲載されていないですし。

クモワカは翌年の夏までに通算11勝をあげ,秋に備えて休養中のところに,突然伝染性貧血症と診断されます。この病気についての説明がJRA競走馬総合研究所感染症シリーズ -馬伝染性貧血-にあります。現在も有効な治療法はないようです。

伝染性貧血症(正確には“馬伝染性貧血”)は家畜伝染病予防法第17条で

都道府県知事は、家畜伝染病のまん延を防止するため必要があるときは、次に掲げる家畜の所有者に期限を定めて当該家畜を殺すべき旨を命ずることができる

病気のひとつで,これに基づいてクモワカの薬殺命令が下されます。

ところが,クモワカはなぜか回復してしまい,経緯は文献によって違うのですが,いずれにしても北海道にひそかに渡り,丘高という名前で繁殖牝馬となって何頭かの仔を産みました。しかし,“死んだ”はずの馬が産んだ仔の血統登録は認められず,ここに血統登録を求める裁判が起こされます。一審ではクモワカ側の負けとなりましたが,控訴審で和解が成立し,1963年9月から登録が認められるようになります。この年に生まれた玲祐が後のワカクモです。

そして1966年4月10日,第26回桜花賞――。

前日からの雨は朝には上がり,青空が広がりましたが,馬場状態は稍重,4角の内側はかなり悪くなっています。

レースはキヨズキが逃げ,ワカクモは中団の位置。3角から内目を通って徐々に追い上げ,4角では他馬が馬場の悪い内を嫌って外をまわる中,1頭だけ最内をついて先頭に躍り出ます。一時は後続に3馬身ほど差をつけたものの,さすがに最後は脚いろが鈍り,外からヒロヨシ,さらに大外からメジロボサツがきわどく迫ったところがゴールでした。

----------------------------------------------------------------
1966年 4月10日(日) 1回阪神8日  天候: 晴   馬場状態: 稍重
10R  第26回桜花賞
4歳・オープン(牝)  芝 1600m   24頭立
----------------------------------------------------------------
着 枠 馬  馬名               性齢 騎手     斤量 タイム 人  廐舎
----------------------------------------------------------------
 1 4 10  ワカクモ            牝4  杉村一馬  55  1.39.5  4  杉村
 2 2  4  ヒロヨシ            牝4  古山良司  55  クビ    7  久保
 3 3  7  メジロボサツ        牝4  矢野一博  55  ハナ    1  大久
 4 3  8  キヨズキ            牝4  武邦彦    55  1 1/4  3  内田
 5 3  9  キヨシゲル          牝4  加賀武見  55  クビ    2  川上
 6 2  5  タカノハホマレ      牝4  内藤繁春  55  2     13  鈴木
 7 8 22  ハードイツト        牝4  簗田善則  55  クビ    8  坪重
 8 7 19  ニホンピロールビー  牝4  須貝彦三  55  3     17  田所
 9 4 11  アランバード        牝4  瀬戸口勉  55  1/2    10  上田
10 1  3  ミスハヤシヤ        牝4  郷原洋行  55  ハナ    9  鴨田
11 5 15  ウインジエスト      牝4  大根田裕  55  3/4    11  松田
12 6 16  リユウラツクス      牝4  野村彰彦  55  クビ   23  中村
13 6 17  タニノジヨウイナ    牝4  新川恵    55  クビ   22  吉田
14 2  6  モンタフオード      牝4  松永高徳  55  アタマ 15  梶与
15 7 20  セルフリツジ        牝4  高橋成忠  55  ハナ   20  佐藤
16 4 12  アカツキノボル      牝4  山本正司  55  クビ   14  松山
17 1  2  ヨシヒサ            牝4  松永善晴  55  1      6  夏村
18 5 14  セカイイチ          牝4  栗田勝    55  クビ    5  日迫
19 7 21  アサヤング          牝4  田島日出  55  1 1/2 24  柳田
20 8 23  マンジユ            牝4  諏訪真    55  3     16  諏訪
21 5 13  ゴルトホース        牝4  古賀一隆  55  1/2    12  西塚
22 1  1  メイシー            牝4  鹿戸幸治  55  3/4    18  田所
23 6 18  ホツカイフジ        牝4  松田博資  55  3     19  木村
24 8 24  ダテスガタ          牝4  清水出美  55  8     21  黒川
----------------------------------------------------------------
LAP :12.9-11.5-12.1-12.2-11.9-12.4-13.1-13.4
通過:36.5-48.7  上り:50.8-38.9
単勝 10 \610    複勝 10 \240 / 4 \330 / 7 \170
枠連   2-4 \2330
----------------------------------------------------------------

ワカクモのその後とその仔テンポイントキングスポイントについてはここに改めて書くまでもないでしょう。ちなみに,キングスポイントの最後のレースとなった第92回中山大障害は1984年4月8日,この年は桜の開花が遅く,まだつぼみでした。

なお,この桜花賞で3着と敗れた馬体重わずか376kgのメジロボサツは,メジロドーベルの3代母に当たります。

また,クモワカが敗れたツキカワは二冠馬サニーブライアンの4代母に当たります。

桜花賞というと毎年思い出す物語です。

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NHKがモータースポーツをはじめて生中継 (1989年)

30年くらい前まではNHKはモータースポーツをスポーツと認めていなかったそうで,イロモノ的に扱ったり,1977年富士スピードウェイで開かれた日本GPでの観客死亡事故を伝えたりすることはあっても,ニュースでスポーツとして取り上げることはなかったようです。当然生中継などすることはありえませんでした。テレビの草創期にはプロレスを生中継したこともあるというのに……。

ところが,時代の流れか,中島悟がロータスに加入したころが風向きが変わり,1987年シーズンの開幕前に子ども向け情報番組(「600こちら情報部」だと思ったら違ったようだ)でF1特集が企画され,中島悟が電話出演したりしました。

そして1989年4月8日,NHKが鈴鹿サーキットから世界スポーツプロトタイプ選手権(WSPC)第1戦の予選を中継することになりました。しかし――。

当初は13時からの公式予選2回目を生中継する予定だったようですが,日本の南海上を通過中の低気圧に伴う大雨のため,予選2回目は翌日,決勝の朝に延期になり,マシンの走行の生中継も事実上,翌日に延期になりました。

というわけで,初の生中継が行なわれたのは4月9日です。決勝レースではザウバー・メルセデスがワンツーを決め,この後しばらくメタリックシルバーのC9がWSPCを席巻することになります。WSPCのシリーズからは外れましたが,この年のルマン24時間レースもワンツーフィニッシュでした。まだユノディエールがシケインで分断されず,テルトルルージュからミュルサンヌまで6kmの直線だった時代です。

ついでですが,この年からしばらくの間,NHKはBS1で鈴鹿8耐を生中継していました。そういえば,この年の中継には本田美奈子さんがスポットゲスト出演したんですよねえ……。

というわけで,写真は本文とはあまり関係なく,朝霞駅前にある本田美奈子の記念碑:

このあたりにあります↓

どうでもいいですが,朝霞台駅でも北朝霞駅でもなく,朝霞駅ですので(笑)

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花魂を驚かして柳楊を壓す 交通機關を奪て勤人を泣す (1908年)

この『南総里見八犬伝』あるいは『水滸伝』風のタイトルは,1908年4月10日付の東京日日新聞に使われていた見出しです。

一昨八日夜十時頃より滿都花なる今日この頃奇しくも降り出せる妖雪《ゆき》は終夜《よもすが》ら花魂を驚かして降りしきり明けて昨朝となるも尚降り歇《や》まず春の泡雪と思ひしは違ひて世は白妙の目の行く限り白皚々たるのみか量《かさ》さへ尺と積もりて寒中にも都には容易《たやす》く見られぬ大雪

そして,

されば其が爲めの被害も少からず先づ第一に惜しまるゝは今を盛りの櫻花にて都大路は是よりなる各所の櫻花は枝もたわゝの雪に壓せられて紅褪せ白散じて見るも無殘の姿痛々しく……

とあり,桜の被害もかなり大きかったようです。

東京の積雪は20cmで,今でも4月の最深積雪となっています。

この日の雪は晩雪という点では過去数十年なかった大雪だったらしく,東京日日新聞でも東京朝日新聞でも桜田門外の変を引き合いに出しています。当時はまだ江戸末期の動乱の記憶が残っていたんですね。

4月10日付の時事新報には「氣象臺設置以來三十二年間」にあった4月の降雪日が載っています。

明治十三年四月三日
同十八年1四月二日
同三十五年四月十日
同四十年2四月一日

いずれも積雪には至らなかったようです。

なお,この雪の影響で,11日から開催予定だった目黒競馬場での春季恒例競馬は12日からの開催に変更になりました。私の知る限り,4月の競馬の開催中止はこれがはじめてで,これ以降は2010年4月17日の福島競馬まで飛びます。

ちなみに,福島競馬は2013年4月21日にも雪のために中止になっています。(福島競馬がまたまた雪のために中止 | Notenki Express 2014をご覧ください)

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※この記事は花魂を驚かして柳楊を壓す 交通機關を奪て勤人を泣す | Notenki Express 2014に少し加筆したものです。


  1. 4月10日付の読売新聞では“十九年”になっています。 
  2. 4月10日付の読売新聞では“四十八年”になっています。明らかに間違いですね。