ゴールデンウィークとお天気

今日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが,NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば“安近短”,なんてもう死語かも。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)と七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

遭難事故

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難,いわゆるパンパカが目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ1人や2人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

そのパンパカですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。1958年が“空前の登山ブーム”だったそうで,そのあたりから記事がぼちぼち目立ってきます。

そして1965年,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量パンパカが起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量パンパカがあったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,パンパカの可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。自分のフトコロが痛まないからねえ。

この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

ちなみに,現在は民間気象会社にも10日先までの予報が認められていて,それはそれはスバラシイ精度です。信用するとエラい目が見られます。7日先と8日先の間で時空の谷間を通過するんじゃないかと思われるほど全然違うことも多いです。

連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

観測史上もっとも早い台風の上陸(1956年)

1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。

25日付朝日新聞夕刊より:

台風三号 消える

台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。

「気象要覧」(1956年4月)より:

台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。

今の気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。

気象庁のベストトラックデータは次のようになっています。

56042400 002 9 248 1249  996
56042406 002 9 258 1260  997
56042412 002 9 272 1270  997
56042418 002 9 300 1285  997
56042500 002 2 315 1315  998

ついでに気象庁のサイトにある台風経路図も載せておきます。

このように気象庁では台風のままで大隅半島に“上陸”したように解析しており,これが観測史上つまり1951年以降ではもっとも早い台風の上陸ということになっています。

ところで,JTWCによるこの台風のベストトラックデータは次のようになっています。

WP, 03, 1956042400,   , BEST,   0, 248N, 1248E,  70
WP, 03, 1956042406,   , BEST,   0, 260N, 1261E,  60
WP, 03, 1956042412,   , BEST,   0, 275N, 1278E,  60
WP, 03, 1956042418,   , BEST,   0, 289N, 1290E,  45
WP, 03, 1956042500,   , BEST,   0, 306N, 1304E,  30

非情にも(?!)大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。

東の風 雨(1932年)

「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません(この件については文末を参照ください)。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。

レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。

馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),残されている記録映画からもなんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。翌日の東京日日新聞によると,

生憎の雨で最悪のコンジションであつたため好記録を得られなかつたのは遺憾であつたが十九頭もの優駿が一團となつてもみ合つた壯觀は全く本邦においてはじめてみるものであつた

多少(かなり?)ヨイショ感のただよう記事ですが(笑)

東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。

目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡と思われる道路があるほかはバス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。

目黒競馬場の探訪記(?)はこちらをどうぞ。近いうちにまた行きたいと思います。

“東の風 雨”について

よく知られているように,実際に放送されたのは「西の風 晴れ」でしたが,これは対英関係が危険になったときの暗号で,対米関係危険化の暗号は本来は「東の風 雨」でした。

福島競馬がまたまた雪のために中止

JRAニュース【緊急】本日の福島競馬は中止となりました(4月21日(日))より:

いちおうテキストも貼りつけておきます。

本日(4月21日(日))の福島競馬は、積雪の影響により開催を中止いたします。
これに伴い、WIN5も中止となりました。なお、今後の予定につきましては、決定次第お知らせいたします。また、福島競馬の勝馬投票券は、競馬場・ウインズの払戻窓口で返還いたします。返還の有効期限は60日間となっておりますので、ご注意ください。

3年前の4月17日に福島競馬が降雪のために中止になったことについては この時期に福島競馬が降雪のため中止(2010年) – NotenkiExpress 2013 で取り上げましたが,それ以来の雪による中止です。

4月の雪による開催中止はこのときがJRA史上はじめてだったので,4月に雪で中止になったのはJRAでは福島だけということになります。来年の開催を決めるにあたって問題になるんじゃないんですかねえ……?

JRAが発足する前は1908年4月11日の目黒競馬が雪で中止になったことがあります。

なお,今日10時現在,福島の積雪は3cm。最晩積雪更新です。

空馬1着

1912年4月21日,好天に恵まれた目黒競馬場。呼び物は第8競走「内国産馬優勝競走」(距離1マイル半)。前年5月の帝室御賞典(目黒)をレコード勝ちし秋の優勝内国産馬連合競走も圧勝したラングトンと,1週前の帝室御賞典をレコードで勝ったコイワヰの一騎討ちに注目が集まりました。

スタート直後はラングトンが逃げ,コイワヰは4番手。1マイル付近では両馬の併走になりましたが,ゴールが近づくにつれてコイワヰがラングトンをぐんぐん引き離し,ゴールインしたときには8馬身もの差がついていました。タイムはそれまでの記録を約3秒上回る2分45秒23/100のレコードでした。

ところでこの日,観衆が沸いたレースがもうひとつありました。第7競走「濠洲産抽籤新馬優勝競走」(距離1マイル1/8)。22日付時事新報より:

・・・第七回目には中途木村氏の持馬キンデンの騎手川崎落馬したるに馬は一切お構ひなく落ちたのは騎手の勝手と計り他の五頭と優劣を競ひ素より空馬の見事なる快足力を出して第一着となりたる滑稽は曾つて前例のなき事とて馬見取内は拍手喝采歡聲暫くは鳴りも止まざりき

いわゆる空馬1着の最も古い例だと思います。

空馬1着といえば,1985年の札幌日経賞のギャロップダイナは同じ年の秋天とともに今でも語り草になっています。

2008年エリザベス女王杯のポルトフィーノは大外を回っての“圧勝”劇でしたが,鞍上のジャマ者がいなくなったからのびのびと走れたのかもしれません。それが証拠に次走の阪神牝馬Sでは……(以下略

最近では去年の全日本2歳優駿が記憶に新しいところです。

上の記事などを見ると,空馬1着で盛り上がるのは今にはじまったことではなく,明治の昔からそうだったことがわかります。

ちなみに,空馬1着の第1号(?)となったキンデンの馬主は木村政次郎,通称「ドロ政」という人物で,ググってみるとかなりのトンデモ人物だったようです。

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練馬のアメダス

去年の12月に石神井公園に移動した練馬のアメダスについては,前のブログに上げましたが,こっちのブログにも上げておきます。
実はPicasaのテストを兼ねていたりします。

全体はこんな感じ:

風向風速計:

武蔵大学にあったころの練馬アメダスでは風速5m/sといえば暴風でしたが(笑),ここに移転してからは今のところまともな風速を記録しています。

風向風速計以外を拡大するとこんな感じ:

ちなみに,写真の手前側は閑静な住宅地です。

この時期に福島競馬が降雪のため中止(2010年)

JRAお知らせ【緊急】本日の福島競馬開催は中止となりました(リンク切れ)より一部引用:

本日(17日)の福島競馬は、降雪の影響により、安全な競馬の施行に支障があると判断されるため、開催を中止いたします。 なお、代替競馬は、4月19日(月)に出馬投票をやり直さずに、開催いたします。

この日の福島(地方気象台)の最深積雪は6cm。福島の4月の平均雪日数は1.7日なので,4月の雪はとくに珍しくありませんが,中旬以降の積雪となると話は別で,1969年4月17日の7cmが最深です。
ちなみに,この日は東京で最晩積雪を記録しています。

福島競馬の雪による中止は史上初,4月になってからのJRAの雪による中止も史上初でした。

JRAが発足する前に遡ると,1908年4月11日の目黒競馬が雪で中止になったことがあります。

4月中旬の福島競馬の雪による中止にはそこそこ驚きましたが,まさか翌年,東京電力がばらまいた放射性物質によってまるまる中止になるとはねぇ……。

史上最も早い颱風の上陸(1917年)

「気象要覧」(1917年4月)より:

四月十三日ヨリ十七日ニ至ル颱風 此颱風ハ十三日石垣島ノ南方海上ニ顯レ,北東ニ進ミテ東海ニ入リ,十五日對馬海峽ヲ經由シ,十六日日本海ヲ通過シテ北海道ヲ横斷シ,十七日オホツク海ニ去ル,・・・・

同じく「気象要覧」(1917年4月)より:

四月十四日ヨリ十七日ニ至ル颱風 十四日沖繩島ノ東方海上ニ顯レタル颱風ハ北北東ニ進行シ,十六日遠州灘ニ到リテ北東ニ轉向シ,遂ニ房總半島ヲ横斷シ,十七日太平洋中ニ入ル,・・・・

というわけで,1917年4月16日,颱風が日本に上陸しました。これは観測史上最も早い上陸です。しかも記録上は同じ日に2つ上陸したことになっています。

公式文書に載っているので,今の基準で考えれば云々という議論は意味がありません(少なくとも私的には)。

「気象要覧」の巻末に載っている進路図は次のとおりです。

20130416090344

「気象要覧」にはこの2つの颱風による被害はとくに記述されていません。新聞を見てみると,16日付東京朝日新聞に次のような記事があります。

づぶ濡のお花見
上野飛鳥山名残りの賑ひ
 ◇彰義隊の前で慘めな稚兒行列
 ◇雨にも怯まず大變な假裝行列

昨日の日曜は職人達の休日とかちあひ花もまたこの日を外しては來年まで見られぬといふ上野飛鳥山の名殘りのお花見は如何にと朝來生憎にも降り出した春雨を衝いて・・・

なお,4月28日にこの月3つめの颱風が上陸しています。

浦安ねずみ園開園(1983年)

浦安ねずみ園,またの名を浦安ディズニーランド,別名東京ディズニーランドが開園したのは1983年4月15日でした。

開園当日の(地上)天気図を見ると,関東地方は日本海西部にある低気圧からのびる温暖前線の北側にあたっており,朝から雨でした。

あいにくの雨模様にもかかわらず,開園を待ちわびた人たちが早朝から列を作って並ぶ中で,午前八時過ぎからワールドバザール内でオープンセレモニーが行われた。・・・・・・午前九時に待ち受けた三千人の入場者が一斉に目指すアトラクションへ繰り出した。
(16日付千葉日報朝刊)

入場数は11時で12000人あまりと雨で出足は鈍かったようですが,1日では3万人に達し,まずは順調な滑り出しだったということです。

今年は開園30周年で,なにかイベントをやっているようです。

あれだけの入場者がいながら30年も大きな事故がなく続いているのはかなりすごいことだと思います。
とくに一昨年の3.11のときの神対応はもはや伝説となっています。

一方で,人気スポットの宿命か,都市伝説はいろいろあります。スペース・マウンテンとかいう絶叫マシンのコース脇には位牌があるとか,子どもの何人かは誘拐されているとか……。

こういった根拠薄弱で荒唐無稽なものは別として,次の都市伝説はリアルです。もっともコワいかもしれません。そしてかなりの部分真実が含まれています。

浦安ねずみ園を訪れたカップルは別れる。

“初デートで浦安ねずみ園を訪れたカップルは別れる”というバリエーションもあります。

かなり多くのカップルがデートで訪れるでしょうから,その中の何組かが別れてもまったく不思議はありません。

それに,スタッフ経験者に聞いた話では,園内でケンカをしているカップルがけっこう目につくんだとか。時間待ちが多かったりするので,とくにつき合いはじめてからの期間が短いカップルだと,今まで見たことのない相手のイヤなところが現われたりするのかもしれません。