白虹日を貫く(1936年)

井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に避難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は幻日環だと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日“白虹日を貫く”のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり“白虹日を貫く”のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の“白虹日を貫く”は井伏鱒二の創作なのではないかと思います。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

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