東京の2月の雪 (part 2)

前回に引き続き,東京での大雪によるドタバタです。ただし今回はランク順ではありません。

●1951年2月15日

この日,東京で歴代4位となる積雪33cmを観測しました。

朝日新聞によると,状況は次のとおりです。

中央気象台十五日午前二時発表=八丈島付近にある九七六ミリバールの強い低気圧はますます発達しながら毎時五十キロの速さで北東に進んでいる。このため東京地方は風速二十五メートルを越(ママ)える暴風雪となり,瞬間風速は三十メートルを越(ママ)えるところもあり,積雪量は三十センチを越(ママ)え,各所に深い雪だまりを作っている。

ここまで中心気圧の低い低気圧が関東南岸を通過することはあまりなく,中央気象台でも“東京地方では前代未聞”として注意を呼びかけていました。

この暴風雪のため,東海道線はストップ,4年ぶりに都電にラッセル車が出動しましたが,一部ラッセル車もきかない箇所もありました。

時間は前後しますが,夕方7時ごろ,上野公園のスロープにスキーヤーが数人現われ,“汽車節約のゲレンデ”とシャレこんでいたものの,間もなく猛吹雪で退散したそうで(朝日新聞より),見かけによらず根性なしの連中でした(笑)

また,時間帯はよくわかりませんが,銀座でもスキーが楽しめたそうです。

暴風雪は15日朝には過ぎ去り,春の日が射して気温は7.1℃まで上がり,雪の街は一転して泥の街と化しました。丸の内,浅草などの映画館は午後からの営業となりましたが,出勤してもろくに仕事のないサラリーマンや休講の学生などでけっこう賑わったそうです。また,この日デパートでいちばん売れたのはスコップだったとか。

●1967年2月10~12日

10日未明から降りはじめた雪は,南岸に前線が停滞したこともあり,12日まで降り続きました。降雪の深さは10日2cm,11日16cm,12日6cm,最深積雪は10日1cm,11日17cm,12日21cmとなっています。

また,北高型の気圧配置のために北から冷たい空気が下層に流れ込んできて気温が上がらず,11,12日の最高気温はそれぞれ0.0℃,-0.2℃で,これは1956年以降,東京の低い最高気温の2位と1位の記録です(気象庁天気相談所調べ)。また,2日連続で最高気温が0℃以下というのはもちろん新記録で,これ以降もありません。

この雪のため,羽田空港は一時全面閉鎖,“空港雪原”の上を除雪車が雪煙を上げながら走り回っていました。また,例によって東海道新幹線は遅れが相次ぎ,国電も運休が続出しました。

熱海では,交通止めで立往生したドライバーが通常1泊2000円程度の中級旅館に泣く泣く6000~8000円も払って宿泊する姿も見られました。

12日の東京競馬は中止となり,これは中央競馬会発足以来初の雪による東京競馬の中止となりました。ちなみに,東京競馬以外では中京競馬が1965年12月に雪のために中止になっています。

明けて13日は朝から久々の青空が広がりましたが,最低気温は-4.0℃まで下がり,国電各線は冷え込みと積雪のためにポイント故障やドア故障が相次ぎ,連休明けの通勤の足が大混乱しました。

●1994年2月12日

最近ではいちばんの大雪で,最深積雪は1969年以来となる23cmを記録しました。例によって交通は大混乱,佳境にはいっていた大学入試も大きな影響を受けましたが,3連休の最中であったため,雪の量の割には混乱は少なかったようです。

ちなみに,σ(^^;)は食料調達のほかはずうっと家にいて,パラボラアンテナに積もった雪をはらった後,リレハンメル冬季五輪の関連番組をほとんど一日中見ていました。だから,この日の雪は単独ではほとんど印象がなく,リレハンメル五輪とつながって記憶されています。

●1996年2月17~18日

17日から雪が降りはじめ,18日には最深積雪が14cmになりました。横浜では22cmを記録しています。

この雪のため,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。

また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,しかも国内最高峰である日本選手権の決勝が順延になるという珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」とお寒いオヤジギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後にも1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう(笑)

前日の17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。