春一番の塔

安政六年二月十三日(グレゴリオ暦で1859年3月17日),長崎五島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難,
全員が帰らぬ人となりました。

この惨事以来,年が改まってはじめて吹く南風を“春一番”または“春一”とよぶようになったといっている人が少なからずいます。郷ノ浦には
「春一番の塔」がつくられ,さらには,壱岐市のホームページには「この言葉の発祥の地は壱岐である」などと書かれていたりします。


http://www.city.iki.nagasaki.jp/sightseeing/history/history_02.html

別にケチをつけるつもりはありませんが,事実として「この言葉の発祥の地は壱岐である」には致命的な欠点があります。

これでは,“春一番”または“春一”ということばがこの遭難事件の前から漁師はもとより一部の文人も使っていたことが説明できません。
一例を挙げると,杉本庄次郎という人の「年々有増記」の嘉永五年閏二月朔日のくだりに「夜に入り大風雨也,是が春一番と言,夜中に晴る」
とあります(間城龍男『天気地気』(上)より孫引き)。