伏見地震 投稿日時: 2008/07/13 投稿者: admin 慶長元年閏七月十三日(グレゴリオ暦で1596年9月5日),畿内をマグニチュード7.5の地震が襲いました。『理科年表』に 京都では三条より伏見の間で被害が最も多く,伏見城天守大破,石垣崩れて圧死約500。諸寺・民家の倒潰も多く,死傷多数。堺で死600余。奈良・大阪・神戸でも被害が多かった。余震が翌年4月まで続いた。 とあります。 このとき豊臣秀吉から謹慎の処分を受けていた加藤清正が真っ先に警護にかけつけて謹慎を解かれることになったというのは,「地震加藤」として比較的有名な話です。 もっとも,清正は一番手ではなく,細川忠興に次いで2番目だったようです。