前に書いたように,隅田川での花火大会が復活したのは1978年です。
当初7月22日の予定だったのですが,東京湾の潮の状態から29日に決定しました。
それで迷惑を蒙る形になったのが,すでに29日に荒川で花火大会を共催することを決めていた板橋区と埼玉県戸田市。隅田川側に次のような「果たし状」を送りました。
当日はバスケットボールのような当区の尺玉が勝つか,ピンポン玉の如き隅田川の寸玉が勝つか,荒川の上・下流に分かれて一世一代の大勝負をいたしたく・・・・・・
(※全文はわかりません)
ちなみに,隅田川は荒川水系の下流(の一部)です。
当時,荒川ではすでに尺玉を上げていたのですが,隅田川では三寸玉までしか許可されませんでした(今は五寸玉まで許可されています。それでもたった五寸玉ですよ)。痛いところを突かれた隅田川側,次のような「請け状」を返しました。
遠近《おちこち》に上る美しき花火を一千万都民が堪能いたさば上々に御座候はんや。玉が大きいの小さいのなどと意気ごむはまさに匹夫の業にしておいたはしき限り
(※上に同じく)