9月26日は台風の日といってもいいでしょう。伊勢湾台風,狩野川台風,洞爺丸台風がこの日,1日違いを含めれば,1991年のリンゴ台風19号,1953年の田舎まわり台風13号,1921年の颱風(新田次郎『迷走台風』のモデルだそうですがもちろん読んだことはないです)もそうだし,ちょっと調べればあと2つ3つは出てくると思います。なお,細かいことをいえば洞爺丸台風,狩野川台風の上陸は実はそれぞれ25日,27日です。
さて,かつては颱風が使われていたが,敗戦後台風が使われるようになったと一般にいわれています。実際,新聞ではおおよそ1947年以降は颱風は見られず,台風に置き換わっています。
ところが戦前の一時期,一部の新聞がすでに“台風”を使用していました。具体的には東京朝日新聞で1926~1930年ごろ“台風”が使われていました。
たとえば,1926年9月18日付朝刊には
市民を脅した台風過ぐ
東京はうまく免れ けふは天氣回復
とあります。
というわけで,“戦後「颱風」から「台風」の表記となった”というのは必ずしも正しくありません。
ちなみに,東京朝日新聞ではそれ以前はたい風を使用していました。例えば,1925年7月26日付朝刊には
行方不明者數十名 鹿兒島縣のたい風被害
とあります。それ以前は他紙と同じく“颱風”でした。
なお,“颱風”が使われるようになったのは,1908年に発行された岡田武松『気象学講話』が最初だといわれています。「気象要覧」では1911年8月から使われています。新聞ではσ(^^;)が見た範囲では1912年8月が最も古いです。
“颱風”の前は基本的には颶風が使われていたようです。
ついでですが,“台風”(実際には旧字である“臺風”)はそれ以前にも使われたことがあります。1903年に発行された『臺風雜記』という本のタイトルになっています。ただし,熱帯低気圧に関する本ではなく,台湾の風習などを紹介した本です。序文が後藤新平で,肩書きは民政局長になっています。