急行が廿時間遅延

1936年1月17日,奥羽線板谷峠で除雪車が吹雪により脱線しました。このため奥羽線は不通になり,16日12時50分青森発の急行列車が米沢から引き返し,陸羽線を通って小牛田経由で上野に向かうことになったため,20時間以上延着することになりました。

これは当時の延着の記録のようです。この記録は1963年に急行「越路」によって破られることになります。急行「越路」の旅についての概略は新潟-上野112時間列車の旅 | 能天気Express~新世界版~をご覧ください。

1935年12月~1936年2月は,本州の日本海側各地と福島・滋賀・岐阜各県を中心にところによっては1881年以来という豪雪に見舞われました。このため,吹雪や雪崩による家屋の倒壊,交通障害が相次ぎました。

2月2日,福井県大野郡下穴馬村で雪崩が起き,亜鉛鉱山事務所が崩壊して死者16,負傷12。2月5日未明には馬県草津町の谷所鉱山で大雪崩が発生,宿舎7棟が倒壊して42人が犠牲になりました。

板谷峠付近では最深積雪が6.6mに達して雪崩が頻発,1か月あまりも奥羽線が不通になりました。

この豪雪による被害は死者158,負傷844,家屋損壊961などと伝えられています。

ちなみに,麻生とかいうどっかのバカ総理なら,「急行が廿十時間遅延」と書き初めに書くかもしれません(笑)

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急行が廿時間遅延

1936年1月17日,奥羽線板谷峠で除雪車が吹雪により脱線しました。このため奥羽線は不通になり,16日12時50分青森発の急行列車が米沢から引き返し,陸羽線を通って小牛田経由で上野に向かうことになったため,20時間以上延着することになりました。

これは当時の延着の記録のようです。この記録は1963年に急行「越路」によって破られることになります。急行「越路」の旅についての概略は新潟−上野112時間列車の旅 | 能天気Express〜新世界版〜をご覧ください。

1935年12月〜1936年2月は,本州の日本海側各地と福島・滋賀・岐阜各県を中心にところによっては1881年以来という豪雪に見舞われました。このため,吹雪や雪崩による家屋の倒壊,交通障害が相次ぎました。

2月2日,福井県大野郡下穴馬村で雪崩が起き,亜鉛鉱山事務所が崩壊して死者16,負傷12。2月5日未明には馬県草津町の谷所鉱山で大雪崩が発生,宿舎7棟が倒壊して42人が犠牲になりました。

板谷峠付近では最深積雪が6.6mに達して雪崩が頻発,1か月あまりも奥羽線が不通になりました。

この豪雪による被害は死者158,負傷844,家屋損壊961などと伝えられています。

ちなみに,麻生とかいうどっかのバカ総理なら,「急行が廿十時間遅延」と書き初めに書くかもしれません(笑)

東京の最低気温

133年前の今日1876年1月13日,東京で観測史上最も低い気温-9.2℃が観測されました。

気象庁のサイトから東京の最低気温のベスト10をあげると,次のようになります。

1 1876/01/13    -9.2℃
2 1885/01/14    -9.1
3 1927/01/24    -8.6
4 1876/01/12    -8.6
5 1881/01/13    -8.4
6 1885/01/21    -8.2
7 1922/01/22    -8.1
8 1876/01/14    -8.0
9 1945/02/05    -7.9
10 1901/02/03    -7.9

これを見ると,第10位までの中に1876年1月12~14日の3日間が含まれています。どのような状況だったのでしょうか。

あまりに古い話なので当時の資料をさがすことはσ(^^;)にはほとんど不可能ですが,「東京市史稿」に「十日丑,大雪」「十一日寅,大雪」とあるので,南岸低気圧の通過後,寒気がはいってきて強い冬型の気圧配置になったのでしょう。これでは何もわからないのとほとんど同じですね(^^;)

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東京の最低気温

133年前の今日1876年1月13日,東京で観測史上最も低い気温-9.2℃が観測されました。

気象庁のサイトから東京の最低気温のベスト10をあげると,次のようになります。

 1 1876/01/13    -9.2℃
2 1885/01/14    -9.1
3 1927/01/24    -8.6
4 1876/01/12    -8.6
5 1881/01/13    -8.4
6 1885/01/21    -8.2
7 1922/01/22    -8.1
8 1876/01/14    -8.0
9 1945/02/05    -7.9
10 1901/02/03    -7.9

これを見ると,第10位までの中に1876年1月12〜14日の3日間が含まれています。どのような状況だったのでしょうか。

あまりに古い話なので当時の資料をさがすことはσ(^^;)にはほとんど不可能ですが,「東京市史稿」に「十日丑,大雪」「十一日寅,大雪」とあるので,南岸低気圧の通過後,寒気がはいってきて強い冬型の気圧配置になったのでしょう。これでは何もわからないのとほとんど同じですね(^^;)

雪の成人の日の珍事

今日は成人の日。今はさまようよろいと化している成人の日は,以前は1月15日でした。

その1月15日の恒例行事として,かつてはラグビー日本選手権,「NHK青春メッセージ」(またはその前身の「NHK青年の主張コンクール」)などが行なわれ,NHKで生中継されていました。

「NHK青春メッセージ」の視聴率は平均して3~4%ってところでしたが,1998年だけ突然10.9%にはね上がっています。朝6時~深夜0時の総世帯視聴率も歴代9位の59.5%を記録しました。

この日1998年1月15日,関東地方は未明から大雪に見舞われ,東京の積雪は1月としては1984年以来の16cmに達しました。

“雪の成人式”となった各地の会場の参列者はいつもの年よりもかなり少なく,さびしい式典となりましたが,そのおかげで,当時すでに問題になっていた式典会場やそのまわりなどで大騒ぎするバカもほとんどあらわれなかったようです。

汚れるのを気にしながらも,一生に一度の機会だからと晴れ着にブーツ姿の女性も多く見られました。

成人式以外を見てみると,神奈川県大和市のOLは午前11時ごろ,3年前に買ってからほとんど使っていないスキー板を持ち出し,「あんた,信じられない」という母親のあきれた声をものともせず,坂道に何度もシュプールを描きました(16日付朝日新聞より)。

16日付読売新聞には,新宿駅西口からスキーで帰宅するオッサンの写真が載っています。

このように屋外に娯楽を見いだす人も一部にはいましたが,多くの人は外出もままならず,娯楽といえばテレビでした。この日の総世帯視聴率や「NHK青春メッセージ」の視聴率がはね上がった原因はこんなところでしょう。

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雪の成人の日の珍事

今日は成人の日。今はさまようよろいと化している成人の日は,以前は1月15日でした。

その1月15日の恒例行事として,かつてはラグビー日本選手権,「NHK青春メッセージ」(またはその前身の「NHK青年の主張コンクール」)などが行なわれ,NHKで生中継されていました。

「NHK青春メッセージ」の視聴率は平均して3〜4%ってところでしたが,1998年だけ突然10.9%にはね上がっています。朝6時〜深夜0時の総世帯視聴率も歴代9位の59.5%を記録しました。

この日1998年1月15日,関東地方は未明から大雪に見舞われ,東京の積雪は1月としては1984年以来の16cmに達しました。

“雪の成人式”となった各地の会場の参列者はいつもの年よりもかなり少なく,さびしい式典となりましたが,そのおかげで,当時すでに問題になっていた式典会場やそのまわりなどで大騒ぎするバカもほとんどあらわれなかったようです。

汚れるのを気にしながらも,一生に一度の機会だからと晴れ着にブーツ姿の女性も多く見られました。

成人式以外を見てみると,神奈川県大和市のOLは午前11時ごろ,3年前に買ってからほとんど使っていないスキー板を持ち出し,「あんた,信じられない」という母親のあきれた声をものともせず,坂道に何度もシュプールを描きました(16日付朝日新聞より)。

16日付読売新聞には,新宿駅西口からスキーで帰宅するオッサンの写真が載っています。

このように屋外に娯楽を見いだす人も一部にはいましたが,多くの人は外出もままならず,娯楽といえばテレビでした。この日の総世帯視聴率や「NHK青春メッセージ」の視聴率がはね上がった原因はこんなところでしょう。

ついに雪予報!?

今日11時発表の予報の一部↓

東京都 8日11時
東京地方
今日 北東の風 晴れ 夕方 から くもり (111)
明日 北の風 後 北西の風 23区西部 では 北の風
やや強く 雪 昼過ぎ から 雨 (414)
明後日 北西の風 やや強く くもり 時々 晴れ (201)


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イブに水を差した台湾坊主

1972年12月22日の朝,台湾近海に発生した低気圧は,発達しながら北東に進み,東シナ海,紀伊半島沖を経て本州南岸を通り,そのまま東北東進を続けて大島付近に達した後,24日夜には房総沖に去っていきました。

この低気圧の影響で九州から関東の太平洋側を中心に,強風が吹き,大雨が降りました。

24日は日曜日。街中は本来なら賑わうはずですが,強い風雨のため,東京都心でもひっそりとしたイブの街になりました。

冷たい雨が横なぐりに降りしきった二十四日,クリスマス・イブの東京。銀座通りの歩行者天国は中止となり,いつもヤングであふれる新宿の“天国”は,人っ気がなく,クリスマス・ツリーが冷雨にふるえていた。

歩行者天国とイブが重なるので,ホクホクを予想していた表通りぞいの各店は大打撃だったが,それでもデパートは家族連れで大入り満員。とりわけ,おもちゃ売場はギュウギュウの人で,パパやママはだいぶ待たされ,下火のパンダに代わる抱き人形や着せかえ人形を買っていた。

(25日付毎日)

ところで,台湾近海で発生する低気圧を,かつては台湾坊主とよびました。新聞などにもたびたび登場し,台湾坊主といえば暴れん坊というイメージが定着していた用語でしたが,1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,マスコミなどでも使われなくなったようです。

ただ,気象庁では使わないというだけなので,民間人が使う分には別にかまわないでしょう。

そういえば,このブログの前身のようなメルマガ「能天気Express」を出していたとき,“台湾坊主”を使うたびに「台湾坊主は使用禁止になっています」とかいう内容のメールを送ってきたのがいました。無視していたらそのうち送ってこなくなりました。おそらく購読をやめたのでしょう。

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イブに水を差した台湾坊主

1972年12月22日の朝,台湾近海に発生した低気圧は,発達しながら北東に進み,東シナ海,紀伊半島沖を経て本州南岸を通り,そのまま東北東進を続けて大島付近に達した後,24日夜には房総沖に去っていきました。

この低気圧の影響で九州から関東の太平洋側を中心に,強風が吹き,大雨が降りました。

24日は日曜日。街中は本来なら賑わうはずですが,強い風雨のため,東京都心でもひっそりとしたイブの街になりました。

冷たい雨が横なぐりに降りしきった二十四日,クリスマス・イブの東京。銀座通りの歩行者天国は中止となり,いつもヤングであふれる新宿の“天国”は,人っ気がなく,クリスマス・ツリーが冷雨にふるえていた。
歩行者天国とイブが重なるので,ホクホクを予想していた表通りぞいの各店は大打撃だったが,それでもデパートは家族連れで大入り満員。とりわけ,おもちゃ売場はギュウギュウの人で,パパやママはだいぶ待たされ,下火のパンダに代わる抱き人形や着せかえ人形を買っていた。
(25日付毎日)

ところで,台湾近海で発生する低気圧を,かつては台湾坊主とよびました。新聞などにもたびたび登場し,台湾坊主といえば暴れん坊というイメージが定着していた用語でしたが,1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,マスコミなどでも使われなくなったようです。

ただ,気象庁では使わないというだけなので,民間人が使う分には別にかまわないでしょう。

そういえば,このブログの前身のようなメルマガ「能天気Express」を出していたとき,“台湾坊主”を使うたびに「台湾坊主は使用禁止になっています」とかいう内容のメールを送ってきたのがいました。無視していたらそのうち送ってこなくなりました。おそらく購読をやめたのでしょう。

ホワイトクリスマスの大停電

1980年12月24日,仙台では,大停電が起こって街中の灯が消え,雪明かりだけという,これこそホントのホワイトクリスマスという夜を迎えました。

23日に四国沖に発生した低気圧が急速に発達しながら南岸を通過したため24日にかけて東北地方は南部を中心に暴風雨雪になり,仙台では23日に降りはじめた雨が24日未明から雪に変わり,18時に積雪25cmを記録しました。

イブの日は,この雪のため,交通機関はマヒ状態。σ(^^;)は何を血迷ったのか午前中にパスで中心街に出かけていったのですが,帰りはバスが坂を上れないという理由で途中で折り返し運転になってしまい,そこから先は雪中行軍になりました。どこからともなくあの映画のあの曲が聞こえてきたような……。

そうです,「天は我々を見放した……」

詳しくは,チャララーン,チャラララーン,チャラチャー,チャーラララーン | 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。

さて,この日の雪はかなり湿った雪で,その湿雪が送電線に付着,そこに強風が吹きつけました。送電線はふつうの状態では強風の中でもあまり振動しません。そのように設計されているからです。ところが,雪が付着して形状が変わると話は変わり,ギャロッピング(galloping)とよばれる振動を起こすことがあります。

ギャロッピングはフラッター(flutter)とよばれる自励振動の一種で,いったん振動がはじまるとその振動によってまわりの空気の流れが振動を助長するようにはたらきます。その結果,風さえ吹いていれば振動は続き,風が強くなると急激に振動が激しくなります。この振動は風の強弱の変化(風の息)とは関係なく,定常な空気の流れの中でも起こります。十数m/sを超える風が吹くとき, 1~10秒程度の周期で振幅が10mにも達する上下方向のギャロッピングが起こることがあります。

このようにしてあちこちで送電線が切れたり鉄塔がぐにゃりと折れ曲がったりしたものですからさあたいへん。東北電力仙台営業所管内の全戸数の70%以上という大停電が起こりました。停電はヒドいところでは27日まで続きました。

σ(^^;)は雪中行軍で帰宅しただけでとくに被害らしい被害は受けていませんし(そういえば,シャーベット状の雪のかたまりが落ちてきて傘が1本ダメになりましたが),停電も翌日には回復しましたから,雪明かりだけのロマンチックな夜の記憶だけが残っています。

なお,仙台では同月14日にも30cmの積雪を観測しているのですが,こちらはまったく記憶にありません。

ところで,仙台の年末といえば「光のページェント」。ですが光のページェントがはじまったのは1986年ですから,イブの大停電当時はもちろんまだありませんでした。

光のページェントがはじまってから仙台がホワイトクリスマスを迎えたことが1度だけあります。1992年のことです。

ところが,河北新報からは雪の中の光のページェントに関する記事は見つかりませんでした。見つかった記事はといえば……。

イブの仙台 交通大混乱 寒波襲来 (25日朝刊)
脱スパイク先進地 心構えはまだまだ (25日夕刊)

スパイクタイヤが禁止されたのは1991年4月で,今ではとっくの昔に死語になっています。

ちなみに,このときの雪は南岸低気圧の通過に伴うものではなく,強い寒気の吹き出しによるものでした。

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