くじら台風1号に続き,昨日21時台風2号Chan-homも発生しました。
1951年以降(ただし1954年は2号が欠番),1号と2号が同日に発生したのははじめてです。今まで最も間隔が短かったのは1985年で,1号発生は1月5日21時,2号発生は1月7日15時で,間隔は1日と18時間でした。
逆に最も長かったのは1975年で,1号発生は1月22日15時,2号発生は7月28日03時,その間186日12時間でした。
本日09時,遅まきながら今年の台風1号Kujiraが発生しました。
●位置 フィリピンの東 北緯 13度55分 東経124度25分 ●進行方向と速度 北北東に6km/h ●中心気圧 998hPa ●中心付近の最大風速 18m/s ●最大瞬間風速 25m/s ●暴風半径(風速25m/s以上) なし ●強風半径(風速15m/s以上) 220km
いまだ発生しない今年の台風1号,トップ10にランクインしました。
1998/07/09 15時 1973/07/02 03時 1983/06/25 15時 1952/06/10 03時 1984/06/09 15時 1964/05/15 15時 2001/05/11 09時 2006/05/09 21時 2000/05/07 09時 ←ココ 1995/04/29 09時 1963/04/27 03時 1960/04/24 09時 1999/04/23 21時 2008/04/15 15時 1997/04/13 09時 1966/04/08 15時 1968/04/07 15時 1980/04/05 21時 2004/04/05 09時 1994/04/01 09時 2007/04/01 09時
いまだ発生しない今年の台風1号,トップ10にランクインしました。
1998/07/09 15時 1973/07/02 03時 1983/06/25 15時 1952/06/10 03時 1984/06/09 15時 1964/05/15 15時 2001/05/11 09時 2006/05/09 21時 2000/05/07 09時 ←ココ 1995/04/29 09時 1963/04/27 03時 1960/04/24 09時 1999/04/23 21時 2008/04/15 15時 1997/04/13 09時 1966/04/08 15時 1968/04/07 15時 1980/04/05 21時 2004/04/05 09時 1994/04/01 09時 2007/04/01 09時
どこまで伸びるでしょうか。
「気象要覧」(1917年4月)より:
二十七日ノ朝臺灣南東部ノ沖ニ顕レタル颱風アリ,北東ニ進行シテ東海ニ入リ,廿八日土佐沖ニ來リ遂ニ本州中部ヲ横斷シテ,廿九日太平洋中ニ去ル,・・・・
同月16日に2つの台風が上陸しているので(史上最も早い台風の上陸(1917年) | 能天気Express~新世界版~参照),この月だけで3度目の台風上陸になります。
「気象要覧」(1917年4月)より:
二十七日ノ朝臺灣南東部ノ沖ニ顕レタル颱風アリ,北東ニ進行シテ東海ニ入リ,廿八日土佐沖ニ來リ遂ニ本州中部ヲ横斷シテ,廿九日太平洋中ニ去ル,・・・・
同月16日に2つの台風が上陸しているので(史上最も早い台風の上陸(1917年) | 能天気Express〜新世界版〜参照),この月だけで3度目の台風上陸になります。
また,この日の14時ごろ岐阜県の中津町では竜巻が発生し,少なくとも10数人がけがをしたもようです。
1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。
25日付朝日新聞夕刊より:
台風三号 消える
台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。
「気象要覧」(1956年4月)より:
台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島と宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。
気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。
なお,気象庁のベストトラックデータでは台風のままで大隅半島を通過したように解析されていますが,JTWCのベストトラックデータでは大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。
1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。
25日付朝日新聞夕刊より:
台風三号 消える
台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。
「気象要覧」(1956年4月)より:
台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島と宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。
気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。
なお,気象庁のベストトラックデータでは台風のままで大隅半島を通過したように解析されていますが,JTWCのベストトラックデータでは大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。
「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません*1。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。
レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。
馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),当時の新聞に「生憎の雨で最悪のコンジションであった」(東京日日)とあります。残されている記録映画からも,なんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。
東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。
目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡と思われる道路があるほかは,バス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。
目黒競馬場の探訪記(?)はこちらをどうぞ。
また,目黒競馬場で起こった事件のいくつかについては次をご覧下さい。
*1:よく知られているように,実際に放送されたのは「西の風 晴れ」でしたが,これは対英関係が危険になったときの暗号で,対米関係危険化の暗号は本来は「東の風 雨」でした。