続なぞの転校生

なぞの転校生「風の又三郎」が転校していったのが今日9月12日みたいです。例によって読んでないので,詳細は不明です。

それにしても,

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

から

バ・バ・バ・バ・バビューンと 空を行く
バ・バ・バ・バ・バビューンと 空を行く

を連想するのは,世界広しといえどもこの世でσ(^^;)くらいでしょう(^^;)

また,「マラトンの戦い」でフィリッピデスという伝令がアテネの勝利を伝えるためにマラトンからアテネまで約40kmを走り続け,「われ勝てり」といって息絶えたのは,紀元前490年の今日ということになっています。詳しくは,能天気Express~新世界版~: メロスは何km走ったか? を参照してください。

ついでに,ホントかどうか知りませんが,日蓮龍口の法難も1271年の今日ということになっています。

駒ヶ岳で遭難,11人死亡

AD1913/08/27 台風が逆曲がりコースを描いて仙台湾付近に上陸。この台風による荒天で,中央アルプス駒ヶ岳に登山の途中だった中箕輪尋常高等小学校の校長と生徒ら11人が遭難し死亡

新田次郎の小説『聖職の碑』のモデルとなった事故――といったほうが有名かも知れません。もちろん,σ(^^;)は読んでいませんが(笑)

登山にはなんの興味もないのでこの事故について詳しく調べたことはないですが,台風が右回りではなく,左回りのカープを描いて上陸したという点が珍しいところでしょう。

東京で39.5℃

↑3年前の今日の最高気温です。よく生きていたものです>σ(^^;)

ちなみに,今日は中国,東海,関東甲信各地方の梅雨明けの平年日ですが,暑くなるだけなので梅雨なんて明けなくてけっこうです。

今日の事件から――:

AD1754/07/20 郡上藩,各村の庄屋を藩役所に呼び出して年貢の税率を定免法から検見法へ変更することを伝える。事実上の増税(宝暦四)=宝暦郡上一揆のきっかけ

宝暦郡上一揆を題材にした浪曲郡上宝暦義民伝」がありますが,最後のいかにもお涙頂戴的な場面にかなり無理があり,違和感ありありです。

浪曲といえば,やはり清水次郎長天保水滸伝ですね。「旅行けば駿河の国に茶の香り~~」「利根の川風袂に入れて 月に棹さす高瀬舟~~」とか。

ちなみに清水次郎長伝の中で最も有名なセリフは
バカは死ななきゃあ~~~~~~~~
なおらない~~~~~~

でしょう。該当しそうなのはいっぱいいそうですね(笑),アベ某とか……。

もうひとつ。

AD1997/07/20 九州地方(北部・南部)で全国の最後に梅雨明け発表

九州北部の梅雨明けはのちに19日に修正され,九州南部の梅雨明けが最も遅いという珍しい年になりました。

台風7号が上陸

2002年7月8日にトラック島近海で発生した台風7号Halongが,2002年7月16日09時すぎに伊豆半島南部に上陸,同日11時前に房総半島南部に再上陸しました。

ちなみに,2002年7月は5号,6号,7号,8号,9号,11号が日本に次々に接近し,そのうち6号と7号が上陸しました。

吉野家倒産\(^O^)/

1980年の今日,吉野家会社更生法の適用を申請し事実上倒産しました。

その後どうやって再生したのかは知りません。再生などしなければよかったのに。

生ゴミのような米国産鶏糞牛肉のはいった狂牛丼ばかりか,中国産の毒うなぎまで平気で客に食わせるようなこんな売国企業は滅んでしかるべきでしょう。

関係ありませんが,今日は次のような事件も発覚しています。

AD2001/07/15 夏の高校野球栃木大会に出場中の栃木県立益子高校(高橋捷之校長)の野球部員7人が,大会前の激励会で野球部バ監督・堀口政雄(26)に勧められて飲酒していたことが判明。県高野連は対外試合禁止処分を決め,同校は16日に予定されていた1回戦の試合から出場を取りやめることに

このバ監督をググると,現在別の高校で野球の監督をやっているようなんですが,どのツラ下げてやっているんでしょう? それにこういうことが許されるのでしょうか?

オスカル,死す

1789年7月14日,バスチーユ陥落の1時間前,オスカル・フランソワが息を引き取りました。享年33歳(池田理代子ベルサイユのばら』)

ふつうだったら「バスチーユ牢獄襲撃。フランス革命はじまる」とかにするんでしょうけれど,世界史の年表みたいで面白くありません。ちなみにσ(^^;)はベルばらのファンでもなんでもありませんので,あしからず。

ついでに,同じくフランス革命の時代を扱った「ラ・セーヌの星」では,幼なじみでアメリカ帰りのミランがバスチーユ牢獄に収監されていたことになっています。

そういえば,ベルばらのイメージを引きずったのでしょうけれど,池田理代子大先生には我孫子市のある施設に対する“建築物ラブホテル風デザイン事件”がありましたね(笑)

スパスキー-フィッシャー戦第2局

1972年7月11日にはじまった,チャンピオンのスパスキーにフィッシャーが挑戦する世界選手権(24局マッチ)の第2局が,スパスキーの先勝を受けて7月13日に行なわれました。

図は,終局の盤面です。

20070712233412

なんと1手も指されていませんが,白番のフィッシャーが対局会場に現われなかったためです。スパスキーの不戦勝となりました。

これでポイントは2.0-0.0となり,スパスキーが圧倒的に有利になりました。ドローを重ねていけばいいし,2局負けることができる余裕があるからです。

早くも崖っぷちに追い込まれたフィッシャー――。16日に予定されている第3局にもあらわれないのではないか……と推測する向きもあったようです。

白夜のチェス戦争

AD1972/07/11 世界チャンピオン,ボリス・スパスキーにホビー・フィッシャーが挑戦する世界チャンピオンマッチがレイキャビクではじまる

詳細は『白夜のチェス戦争』に描かれています。

1972-01

図は第1局,29. b4 までの局面です(白スパスキー,黒フィッシャー)。明らかにドロー気味ですが,ドローを嫌ったフィッシャーの29. ..Bxh2が?のつく疑問手。これが原因となり,56手でフィッシャーは第1局を落としました。

第1局を落としたフィッシャーは2日後の13日に予定されていた第2局で,誰も予想しなかった行動に出ます。