空馬1着

1912年4月21日,好天に恵まれた目黒競馬場。呼び物は第8競走「内国産馬優勝競走」(距離1マイル半)。前年5月の帝室御賞典(目黒)をレコード勝ちし秋の優勝内国産馬連合競走も圧勝したラングトンと,1週前の帝室御賞典をレコードで勝ったコイワヰの一騎討ちに注目が集まりました。

スタート直後はラングトンが逃げ,コイワヰは4番手。1マイル付近では両馬の併走になりましたが,ゴールが近づくにつれてコイワヰがラングトンをぐんぐん引き離し,ゴールインしたときには8馬身もの差がついていました。タイムはそれまでの記録を約3秒上回る2分45秒23/100のレコードでした。

ところでこの日,観衆が沸いたレースがもうひとつありました。第7競走「濠洲産抽籤新馬優勝競走」(距離1マイル1/8)。22日付時事新報より:

(前略)第七回目には中途木村氏の持馬キンデンの騎手川崎落馬したるに馬は一切お構ひなく落ちたのは騎手の勝手と計り他の五頭と優劣を競ひ素より空馬の見事なる快足力を出して第一着となりたる滑稽は曾つて前例のなき事とて馬見取内は拍手喝采歡聲暫くは鳴りも止まざりき

いわゆる空馬1着の最も古い例だと思います。

空馬1着といえば,1985年の札幌日経賞ギャロップダイナは同じ年の秋天とともに今でも語り草になっています。

去年のエリザベス女王杯ポルトフィーノも記憶に新しいところです。大外を回っての“圧勝”劇でしたが,鞍上のジャマ者がいなくなったからのびのびと走れたのかもしれません。それが証拠にこの前の阪神牝馬Sでは……(以下略)

上の記事などを見ると,空馬1着で盛り上がるのは今にはじまったことではなく,明治の昔からそうだったことがわかります。

ちなみに,空馬1着の第1号(?)となったキンデンの馬主は木村政次郎,通称「ドロ政」という人物で,ググってみるとかなりのトンデモ人物だったようです。

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空馬1着

1912年4月21日,好天に恵まれた目黒競馬場。呼び物は第8競走「内国産馬優勝競走」(距離1マイル半)。前年5月の帝室御賞典(目黒)をレコード勝ちし秋の優勝内国産馬連合競走も圧勝したラングトンと,1週前の帝室御賞典をレコードで勝ったコイワヰの一騎討ちに注目が集まりました。

スタート直後はラングトンが逃げ,コイワヰは4番手。1マイル付近では両馬の併走になりましたが,ゴールが近づくにつれてコイワヰがラングトンをぐんぐん引き離し,ゴールインしたときには8馬身もの差がついていました。タイムはそれまでの記録を約3秒上回る2分45秒23/100のレコードでした。

ところでこの日,観衆が沸いたレースがもうひとつありました。第7競走「濠洲産抽籤新馬優勝競走」(距離1マイル1/8)。22日付時事新報より:

(前略)第七回目には中途木村氏の持馬キンデンの騎手川崎落馬したるに馬は一切お構ひなく落ちたのは騎手の勝手と計り他の五頭と優劣を競ひ素より空馬の見事なる快足力を出して第一着となりたる滑稽は曾つて前例のなき事とて馬見取内は拍手喝采歡聲暫くは鳴りも止まざりき

いわゆる空馬1着の最も古い例だと思います。

空馬1着といえば,1985年の札幌日経賞ギャロップダイナは同じ年の秋天とともに今でも語り草になっています。

去年のエリザベス女王杯ポルトフィーノも記憶に新しいところです。大外を回っての“圧勝”劇でしたが,鞍上のジャマ者がいなくなったからのびのびと走れたのかもしれません。それが証拠にこの前の阪神牝馬Sでは……(以下略)

上の記事などを見ると,空馬1着で盛り上がるのは今にはじまったことではなく,明治の昔からそうだったことがわかります。

ちなみに,空馬1着の第1号(?)となったキンデンの馬主は木村政次郎,通称「ドロ政」という人物で,ググってみるとかなりのトンデモ人物だったようです。

湾岸道路を走る馬

1987年2月2日の昼すぎ,船橋競馬場から6歳牝馬のモーガンセイコーが逃げ出しました。

真しぐらに通称湾岸道路に入り,ギョッとするドライバーをしり目に得意のコーナリングで交差点を右折。市道を全力疾走したあと2キロ先の国道14号わきで足が止まり,約15分間の「場外レース」は幕を閉じた。(3日付朝日)

翌1988年に川崎競馬場から逃げ出してソープ街を爆走したイナズマライデンや,1996年に大井競馬場を逃げ出して首都高を暴走したスーパーオトメほど話題になりませんでした。

ちなみに,ググるセイコーモーガンという馬がヒットしますが,明らかに別馬です。

第25回日経新春杯(1978年)

◎◎◎◎◎ 1 1 テンポイント   66.5 鹿戸
▲×注○× 2 2 エリモジョージ  60  池添
×   △ 3 3 ジンクエイト   52  清水英
△△△△▲ 4 4 タニノチエスター 58  久保敏
      5 5 マチカネライコー 51  柴田光
 ××   6 6 ビクトリアシチー 50.5 福永洋
   ×  7 7 ヤマニンバリメラ 52  池江
      8 8 スリーファイヤー 49  小谷内
○○○▲○ 8 9 ホースメンホープ 57  小野

印はスポニチ(大阪版)のものです。

紙面には

世界へのステップ台! 負けられぬ

走れTポイント

酷量66・5キロに挑戦

などの見出しが第1面にデカデカと躍っています。

結果は,テンポイントの圧勝!! 秋の凱旋門賞ブリーダーズカップクラシックも快勝したことに,σ(^^;)の記憶の中ではなっています。

ちなみに,ブリーダーズカップクラシックの創設は公的には1984年です。

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第25回日経新春杯

◎◎◎◎◎ 1 1 テンポイント   66.5 鹿戸
▲×注○× 2 2 エリモジョージ  60  池添
×   △ 3 3 ジンクエイト   52  清水英
△△△△▲ 4 4 タニノチエスター 58  久保敏
      5 5 マチカネライコー 51  柴田光
 ××   6 6 ビクトリアシチー 50.5 福永洋
   ×  7 7 ヤマニンバリメラ 52  池江
      8 8 スリーファイヤー 49  小谷内
○○○▲○ 8 9 ホースメンホープ 57  小野

印はスポニチ(大阪版)のものです。

紙面には

世界へのステップ台! 負けられぬ
走れTポイント
酷量66・5キロに挑戦

などの見出しが第1面にデカデカと躍っています。

結果は,テンポイントの圧勝!! 秋の凱旋門賞ブリーダーズカップクラシックも快勝したことに,σ(^^;)の記憶の中ではなっています。

ちなみに,ブリーダーズカップクラシックの創設は公的には1984年です。

日本競馬史上最高の名勝負

TTG伝説とよばれる叙事詩があります。ここ10数年くらいの間に競馬ファンになった人の間では文字どおり伝説になっていますが,これは1970年代後半に実際にあったドラマです。そのクライマックスが1977年12月18日,第22回有馬記念でした。

TTG伝説を語るには,テンポイントのデビューからはじめるだけでは不十分で,その祖母クモワカの桜花賞からはじめなければなりません。したがって有馬記念に至るドラマは涙を呑んで省略します。さすがに見ていませんしねえ(笑)>クモワカの桜花賞

クモワカの子でテンポイントの母ワカクモの桜花賞についてはTTG伝説のプロローグ: 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。クモワカの桜花賞についても少し書いてあります。

さて,その有馬記念ですが,先頭を走るトウショウボーイと2番手でピッタリマークするテンポイントのスタートからゴールまで息をつかせない壮絶な一騎討ちでした。4角を回って先頭に立つテンポイント,一杯になったと見えたトウショウボーイに襲いかかるグリーングラス,内から差し返すトウショウボーイ。そしてテンポイントが先頭でゴールイン……。何度もビデオで見ているせいもありまして,昨日のことのようによみがえります。

このレースはトウショウボーイの引退レースで,現役を続けるテンポイントとしてはどうしても勝たなければならないレースでした。そしてこれで名実ともに日本最強馬となり,晴れてヨーロッパ遠征に向かうことになったのでした。

テンポイントのその後はあまりにも有名ですが,σ(^^;)的には壮行レースとなった日経新春杯に66.5kgの極量で快勝,その秋の凱旋門賞も,まだ創設されていないブリーダーズカップクラシックも快勝したことになっています。

ただ1頭現役を続けたグリーングラスは,1978年の天皇賞・春で亡きライバルに捧げる(ホントか?)勝利,そして1979年の有馬記念を制してTTG伝説の幕引きをみごとに勤めました。

その後,トウショウボーイは初年度に三冠馬ミスターシービーを出すなど種牡馬として大活躍したのは記憶に新しいところです(もう新しくもないかも(笑))。しかし,1992年に蹄葉炎を発症,悪化したため安楽死となりました。その直後にNHKで「日本競馬史上最高の名勝負」という番組が放送されました。↓

http://notenkiexpress.blog95.fc2.com/blog-entry-361.html

グリーングラスはステイヤーという血統背景から種牡馬としてそれほど期待されていたわけではないようですが,意外な健闘を見せました。代表産駒はトシグリーン(なぜかスプリンター)とトウショウファルコでしょう。

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日本競馬史上最高の名勝負

TTG伝説とよばれる叙事詩があります。ここ10数年くらいの間に競馬ファンになった人の間では文字どおり伝説になっていますが,これは1970年代後半に実際にあったドラマです。そのクライマックスが1977年12月18日,第22回有馬記念でした。

TTG伝説を語るには,テンポイントのデビューからはじめるだけでは不十分で,その祖母クモワカの桜花賞からはじめなければなりません。したがって有馬記念に至るドラマは涙を呑んで省略します。さすがに見ていませんしねえ(笑)>クモワカの桜花賞

クモワカの子でテンポイントの母ワカクモの桜花賞についてはTTG伝説のプロローグ: 能天気Express〜新世界版〜をご覧下さい。クモワカの桜花賞についても少し書いてあります。

さて,その有馬記念ですが,先頭を走るトウショウボーイと2番手でピッタリマークするテンポイントのスタートからゴールまで息をつかせない壮絶な一騎討ちでした。4角を回って先頭に立つテンポイント,一杯になったと見えたトウショウボーイに襲いかかるグリーングラス,内から差し返すトウショウボーイ。そしてテンポイントが先頭でゴールイン……。何度もビデオで見ているせいもありまして,昨日のことのようによみがえります。

このレースはトウショウボーイの引退レースで,現役を続けるテンポイントとしてはどうしても勝たなければならないレースでした。そしてこれで名実ともに日本最強馬となり,晴れてヨーロッパ遠征に向かうことになったのでした。

テンポイントのその後はあまりにも有名ですが,σ(^^;)的には壮行レースとなった日経新春杯に66.5kgの極量で快勝,その秋の凱旋門賞も,まだ創設されていないブリーダーズカップクラシックも快勝したことになっています。

ただ1頭現役を続けたグリーングラスは,1978年の天皇賞・春で亡きライバルに捧げる(ホントか?)勝利,そして1979年の有馬記念を制してTTG伝説の幕引きをみごとに勤めました。

その後,トウショウボーイは初年度に三冠馬ミスターシービーを出すなど種牡馬として大活躍したのは記憶に新しいところです(もう新しくもないかも(笑))。しかし,1992年に蹄葉炎を発症,悪化したため安楽死となりました。その直後にNHKで「日本競馬史上最高の名勝負」という番組が放送されました。↓
http://notenkiexpress.blog95.fc2.com/blog-entry-361.html

グリーングラスはステイヤーという血統背景から種牡馬としてそれほど期待されていたわけではないようですが,意外な健闘を見せました。代表産駒はトシグリーン(なぜかスプリンター)とトウショウファルコでしょう。

キーストン・ブルース

赤い夕日を 背に受けて

駆けたあの日が 懐かしい

淀の川風 あのにおい

思い出すのさ キーストン

………………

(諸口あきら「キーストン・ブルース」)

1967年12月17日,阪神競馬場で第15回阪神大賞典(距離3100m,5頭立て)が行なわれました。

当日のサンスポ(大阪版)の見出しは

キーストン好調 阪神大賞典

フイニイの逆転も

予想(印)を見てみると

◎◎ キーストン
○○ フイニイ
×△ タイヨウ
△× サトヒカル
無印 スズノニシキ

左は大坪氏,右は内山氏の印です。大坪氏ってあの「クロシオ」や「マンハッタンギャル」の大坪元雄さんだと思われます。

レース中のできごとやレース後のシーンはあまりにも有名なのでとくに書きません。レースそのものよりもレース後のほうが有名な不思議なレースです。いつのころからか故障した馬はなるべく撮らないのが暗黙の了解になっているようなので,今はあり得ない映像でしょう。

有名な割に,あのシーンをリアルタイムで見た人は,実は関西圏を中心とするごく一部の人だけでした。競馬中継は当時,全国中継ではありませんでしたし,もちろんまだターフビジョンなどはありませんので,他の競馬場で見ることも不可能でした。

σ(^^;)ももちろんこのレースをリアルタイムでは見ていません。キーストンについて知ったのは,志摩直人さんの『風はその背にたてがみに』でです。確か「ソロナ家の紋章」という詩でした。

ところで,キーストンが勝った1965年のダービーの直前の5月27日,台風6号が東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年以来のことでした。

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことが暴露したほか,かなりの被害が出ました。

東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。……

(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の1Fに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

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キーストン・ブルース

赤い夕日を 背に受けて
駆けたあの日が 懐かしい
淀の川風 あのにおい
思い出すのさ キーストン
………………
(諸口あきら「キーストン・ブルース」)

1967年12月17日,阪神競馬場で第15回阪神大賞典(距離3100m,5頭立て)が行なわれました。

当日のサンスポ(大阪版)の見出しは

キーストン好調 阪神大賞典
フイニイの逆転も

予想(印)を見てみると

◎◎ キーストン
○○ フイニイ
×△ タイヨウ
△× サトヒカル
無印 スズノニシキ

左は大坪氏,右は内山氏の印です。大坪氏ってあの「クロシオ」や「マンハッタンギャル」の大坪元雄さんだと思われます。

レース中のできごとやレース後のシーンはあまりにも有名なのでとくに書きません。レースそのものよりもレース後のほうが有名な不思議なレースです。いつのころからか故障した馬はなるべく撮らないのが暗黙の了解になっているようなので,今はあり得ない映像でしょう。

有名な割に,あのシーンをリアルタイムで見た人は,実は関西圏を中心とするごく一部の人だけでした。競馬中継は当時,全国中継ではありませんでしたし,もちろんまだターフビジョンなどはありませんので,他の競馬場で見ることも不可能でした。

σ(^^;)ももちろんこのレースをリアルタイムでは見ていません。キーストンについて知ったのは,志摩直人さんの『風はその背にたてがみに』でです。確か「ソロナ家の紋章」という詩でした。

ところで,キーストンが勝った1965年のダービーの直前の5月27日,台風6号が東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年以来のことでした。

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことが暴露したほか,かなりの被害が出ました。

東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。……
(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

先頭を走るキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の1Fに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

グスタフGustav

グスタフの名前を最近よく耳にしますが,アメリカには興味がないのでハリケーンの話ではありません。

グスタフってどっかで聞いた名前だと思ったら,菊花賞プレストウコウの父ですね。

σ(^^;)的にはプレストウコウよりもノボルトウコウのほうが印象に残っています。

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