日経新春杯

第25回日経新春杯

◎◎◎◎◎ 1 1 テンポイント   66.5 鹿戸
▲×注○× 2 2 エリモジョージ  60  池添
×   △ 3 3 ジンクエイト   52  清水英
△△△△▲ 4 4 タニノチエスター 58  久保敏
      5 5 マチカネライコー 51  柴田光
 ××   6 6 ビクトリアシチー 50.5 福永洋
   ×  7 7 ヤマニンバリメラ 52  池江
      8 8 スリーファイヤー 49  小谷内
○○○▲○ 8 9 ホースメンホープ 57  小野

印はスポニチ(大阪版)のものです。

スポニチ(大阪版)には

世界へのステップ台! 負けられぬ
走れTポイント
酷量66・5キロに挑戦

などの見出しが第1面に躍っています。

雪の降る街を

雪の降る街をという古典的な名曲があります。

この歌は,もともとはNHKの連続放送劇「えり子と共に」の挿入歌としてラジオのスピーカーから流れた曲でした。「えり子と共に」については以前このブログにも書いたことがありますが,1949年10月5日から1952年4月3日まで放送された連続ラジオドラマです。ちなみに,あと番組として1952年4月10日から放送されたのが,女湯が空になったという伝説をもつ,忘却とは忘れ去ることなりのあの「君の名は」です。

「えり子と共に」がどのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,えり子さんが結婚するところで終わっていました。「これからどういう生活になるのか,わかりません」というようなセリフがありました。

さて,「雪の降る街を」ですが,1952年1月,「えり子と共に」のリハーサル後にどうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです。どのような場面で流れたのかはわかりませんし,誰が歌ったのかもわかりません。

そういうわけで,はじめは1番の歌詞しかありませんでした。

ところが,急造の曲にしては意外に好評だったため,2番,3番をつけ足して,シャンソン歌手の高英男さんが歌い,1953年2月にNHKの「ラジオ歌謡」として放送されました。

雪の降る街を」の歌詞は,「えり子と共に」の原作者でもある作詞者の内村直也さんがかつて訪れたことのあるいくつかの雪の降る街をイメージしてつくったもので,特定のモデルはないそうです。

作曲者の中田喜直さんは山形県鶴岡市の出身で,鶴岡市は「雪の降る街を」の“発祥の地”といわれることがありますが,発祥の地というのはハチ公が秋田犬だというようなもので(発祥の地はあくまでNHKのスタジオ(笑)),せいぜい“発想の地”でしょう。実際,鶴岡市のホームページでは“発想の地”となっています。

高英男さんはサハリン生まれ,11歳までサハリンに住んでいたそうで,雪のサハリンのイメージを重ねて歌ったと,いつだったかラジオで話していました。

寒四郎と寒九

去年の冬を例に挙げるまでもなく,なかなか当たらないのが長期予報です。統計の取りかたによりますが的中率は30%台といわれています。

一方で,とくに夏季の天候をできるだけ早い時期に知りたいという需要は昔からありました。その結果として編み出されたのが昔流の“長期予報”です。しかし根拠があるわけではないので,一種の占いです。「寒四郎」と「寒九」も,ある特定の日の天気をもとにした昔流の“長期予報”です。

寒の入り(=小寒)から数えて4日目は「寒四郎」とよばれます。麦作の厄日とされており,この日の天候によって収穫が影響されるといわれていました。この日が晴れだと豊作だが,雨や雪だと凶作になるということのようです。ただ,いろんなバリエーションがあり,「彼岸(ひがん)太郎,八専(はつせん)次郎,土用(どよう)三郎,寒(かん)四郎」と十把(四把?)ひとからげでよばれることが多いようです。

「彼岸」はこの中ではいちばん有名で,春分・秋分を中日とする7日間(ただしここでは春のほう)です。

「八専」は暦の本によると,“日の干支で壬子から癸亥までの12日間のうち,五行の同気が重なる日”で,60日ごとにあらわれますが,ここでは時期から考えて3月ごろのことで,今年は03/19から03/30のうち,03/20,03/23,03/25,03/29を除く8日です。

「土用」はもちろんここでは夏の土用ではなくいわゆる冬土用で,今年は01/17から02/03までです。

以上から,この“長期予報”を今年にあてはめると,01/09,01/19,03/21,03/18の天気で今年の豊作,凶作が決まるということです。

ただ,「彼岸太郎,八専次郎,土用三郎,寒四郎」はその年の作柄の“長期予報”ではなく,それぞれ彼岸,八専,(冬)土用,寒の間の天気を占うとする地方もあり,そうなると“長期予報”というよりは“週間予報”に近い感じです。

また,寒の入りから9日目は「寒九」とよぱれます。この日は寒四郎とは逆で,この日の雨は「寒九の雨」とよばれ,豊作の兆しとされていました。

ところで,「北風小僧の寒太郎」でおなじみの“寒太郎”は,寒四郎や寒九と同じようなものだとすれば寒の入りから数えて1日目,要するに数えるまでもなく小寒のことですが,この日の天気から占う“長期予報”はとくにないようです。

ただ,作詞者に意図があったかどうかはともかく,この歌は寒太郎=小寒から暦の上の寒がはじまるということを擬人的によく表わしている歌だと思います。「みんなのうた」では堺正章さんが歌っていましたが,田中星司さんの歌のほうがσ(^^;)は好きでした。

先ほどの地震

気象庁 9日13時27分発表
発震時刻:
 1月9日13時18分
震源:
 茨城県南部
 北緯36.1度
 東経139.8度
 深さ80km
規模:
 M4.3
各地域の震度
 震度3
  埼玉県北部
  東京都23区
 震度2
  茨城県北部
  茨城県南部
  栃木県南部
  群馬県北部
  群馬県南部
  埼玉県南部
  埼玉県秩父
  東京都多摩東部
  東京都多摩西部
  神奈川県東部
  神奈川県西部
  山梨県東部・富士五湖
 震度1
  福島県中通り
  栃木県北部
  千葉県北東部
  千葉県北西部
  千葉県南部
  伊豆大島
  山梨県中・西部
  長野県中部
  静岡県伊豆
  静岡県東部
各市町村の震度
 震度3
  行田市
  久喜市
  大利根町
  東京杉並区
この地震による津波の心配はありません。
震度を訂正する。

震度2以下の市町村は省略しました。

両国死す!

この時期,夜のテレビ番組はNHKを除けば見たくもないようなバラエティー番組ばかりですが,
以前は通常番組が放送されたこともありました。

例えば,月曜日19時の番組「ワイルド7」は,
1973年1月1日月曜日19時から通常どおり放送されています。しかもそのサブタイトルが正月早々
両国死す!」(笑)

ワイルド7」は1週間前の12月25日のクリスマスにももちろん放送されています。サブタイトルは「悪魔のライダー」。
街頭募金中のあるキリスト教のグループ(しかも実在の団体名のたすきをかけている)
を元モトクロスチャンピオンのライダーがライフルで乱射するというおよそクリスマスにはふさわしくない内容でした。しかも,
教会がアジトだったり……。ちなみに,この悪魔のライダーは200人以上を射殺したことになっています。

ワイルド7」の主題歌は「ワイルドセブン」で,σ(^^;)の好きな歌なんですが,なぜかカラオケになくて残念です。
どこかで拾ったMIDIファイルをコンバートして着信メロディーにしていたりします(笑) 「ワイルド7」のエンディングテーマは
「つむじかぜ」。これからすると,「ワイルド7」はまんざらお天気に無関係ではありません(笑)

八百屋お七の墓が呼ぶ(お七火事)

天和二年十二月二十八日(グレゴリオ暦では1683年1月25日,以下同様),駒込大円寺から出た火は,
折りからの北西の季節風に煽られて本郷,神田,伝馬町,日本橋に燃え広がり,3500人以上の死者を出しました。これが江戸十大火のひとつ
お七火事」です。

お七八百屋お七)は実在の人物で,
放火の咎で天和三年三月二十九日(1683年4月25日)に火炙りの刑に処せられたのも事実のようですが,
お七が放火した火事については天和二年一月説,天和三年三月説などがあり,特定できる確固たる根拠はありません。ただ,皮肉なことに
「お七火事」がお七が放火した火事ではないことは確かなようです。σ(^^;)的には,
お七の放火は天和三年三月だとするのがもっとも違和感がありません。

この火事は,天和三年三月二日(1683年3月29日)の夜,
本郷の森川宿の八百屋の娘お七が近くの商家に放火したところを通行人に発見され,すぐに消し止められたというもので,今流にいえばボヤです。
しかし,当時はボヤでも放火は放火,市中引き廻しの上火炙りと相場は決まっていました。

放火の動機は,天和二年十二月二十八日の火事(要するに「お七火事」)でお七の家も被災して正仙院というお寺に仮住まいした際,そこの
“イケメン”と恋仲になったのですが,新居が完成して会えなくなり,再び火事になれば会えるという妄想が放火に駆り立てたとされています。
なお,この動機についても諸説ありますが,お七の年齢,被災した火災,仮住まいしたお寺の名前,“イケメン”の名前などに違いはあるものの,
大筋では似たりよったりです。

お七のお墓は,文京区白山の円乗寺に現在も存在します(写真参照)。お参りすると,
恋の成就に霊験があるとか,ないとか。

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ちなみに,内田康夫『追分殺人事件』では,1987年3月7日にこのお墓の前で男が殺されることになっています。
作品ではこの日雪が降っていたことになっていて,実際に東京では午後から雪になりました。降雪の深さ合計は7日が3cm,
翌8日が2cmとなっています。