252 ネタバレあり episode 0

252 ネタバレあり | Notenki Express 20141でレビューした爆笑映画「252 生存者あり」には,公開前日にテレビで放送された「252 生存者あり episode0」というスピンオフドラマがあります。

録画し忘れて見ることができず,今年の3月に日本映画専門チャンネルで放送されたときに録画しておいたのですが,震災のゴタゴタでほったらかしてありました。ちなみに,録画したのは3月6日で,たしか2回目以降の放送は中止になったはずです。

それで,昨日は土曜ワイド劇場がなかったので2,DVDを引っ張り出して見てみました。

ドラマの中では語られていないのですが3,映画(2008年)の2年前が舞台のようです。

兵庫県南部地震で両親を失った早川勇作と,新潟県中越地震で倒壊した家屋に閉じ込められ4第8方面本部ハイパーレスキュー隊の篠原兄弟に救助された経験をもつ西村純が主役です。2人の対立軸を中心に展開するあたり,最初の「海猿」やいまテレ朝で放送中の「陽はまた昇る」と似ています。さらに最後のほうで規則を破って訓練生を救助に向かわせるところなど,「海猿」とまったく同じです。

とまあ,設定はありがちですが,よくまとまっていて本編の「252 生存者あり」よりはるかにおもしろいです。

ドラマの後半,飯田橋駅近くにあるCANAL CAFE5で地震雲を見たと気象庁に電話をかける頭のおかしいねーちゃんが,本編映画ではなぜか気象庁本庁の予報部に勤務していて,いろいろ出しゃばって救出活動を引っかき回すことになります。

※2015/09/11(Fri) リンク先を変更しました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村


  1. “巨大台風直撃”が9月16日なのでそれに合わせて書き換える予定です。 
  2. 「砂の器」とかいうのが放送されましたが,清張モノはつまらないと相場が決まっているのではじめから見る気なし。 
  3. ドラマの中のポスターなどを見ればわかるようにはなっている。 
  4. このときのショックで「狭いよ,暗いよ,恐いよ」の面堂終太郎のようなトラウマが残っている。 
  5. よくドラマのロケに使われるが,料金高め,味は?? 

本当の「啓蟄」?

先日,不倫が取りざたされているお天気おばさんの書いた『半井小絵のお天気彩時記』がブックオフにたまたまあったので,105円だったし,買ってみました。パラパラッとめくったら,「啓蟄――さらば,冬ごもり」に次のような一節が。

実際,虫が活動するのは4月の声を聞いてから,1日の最高気温が15℃くらいのころですので,旧暦ならドンピシャリ,現在の暦では,本当の啓蟄は1ヵ月ほど先なのです。薄手のコートもそれまでお預けです。

このおばさん,もしかして啓蟄には“旧暦の啓蟄”と“現在の暦の啓蟄”があると思っているのでしょうか。そうでも解釈しない限り意味不明です。二十四節気が何なのか理解していない?

さらに適当にページをめくったら,他にもわけのわからない箇所が多々見つかりました。よくもまあ恥ずかしげもなくこんな本を出版しましたねえ……。

2006年に出版された本なので,この点についてすでに指摘している人がいるかも知れないと思ってググったら,やはりすでにいらっしゃいました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

稲村ジェーンのナゾ

稲村ジェーンジェーン台風については稲村ジェーン | Notenki Express 2014ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014で取り上げていますが,ググっていろいろ見てみると,例えば稲村ジェーン | Movie Walkerにはひとこともジェーン台風は登場せず,「20年前に伝説の大波に乗った」とあるだけ。

また,Wikipediaによると,舞台は1965年らしい。

このあたりは映画を見ないことにはなんともいえませんが,もしかするともともとジェーン台風は関係ないのかも知れません。

1965年の20年前というと1945年。こんなときにのんきに波乗りをやっていた人間がいたとは思えません。サーフボードはどこから調達したんでしょう?

1945年には“大型”としては申し分のない枕崎台風がやって来ましたが,沖ノ鳥島のはるか南海上から時計回りのコースを描いているので,稲村ヶ崎にいい波をもたらしたとは考えにくいです。

なお,ちょっと前の湘南海岸がどんなところだったかについては,片瀬海岸モモ切り魔 | Notenki Express 2014をご覧ください。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

雷とダービー

今日14時25分現在,北は北海道から南は大東島まで,いろんなところに雷注意報が出ています。九州の上空に寒冷渦(上空5700mで-20℃以下)があって大気が不安定になっていますからね。

雷とダービーといえば,有名なのは1967年です。スタート約10分前に電光や雷鳴とともに雨が降りはじめ,どしゃ降りの中でダービーが行なわれました。詳しくは雷雨の中の日本ダービー(1967年) | Notenki Express 2014をご覧ください。

勝ったのはアサデンコウで,雷さまはちゃんとサインを送っていたわけですが,気づいた人がいたかどうか……(笑)

さて,1979年5月のことです。26~27日にかけて日本列島上空に寒気が流れ込み,あちこちで竜巻,降雹,落雷が起こりました。降雹は30府県,竜巻は埼玉・茨城の2県,落雷は13府県で被害がありました。

とくに目立つのが落雷による死傷事故です。9人が死亡し,8人がけがをしました。

26日は郡山でサッカーの試合中の大学生が雷の直撃を受けて死亡,神戸では野球の試合中に二塁を守っていた会社員がやはり直撃を受けて死亡しました。その他岡山,秋田,大阪の各府県で1人ずつ,この日だけで合わせて5人が落雷で死亡しています。

27日も,宮城県のゴルフ場で高さ12mの松の木への落雷の側撃で1人死亡,福島県浪江町では運動会の最中にPTA副会長が直撃を受けて死亡,尾瀬では登山者が死亡しました。

飛行機にも落雷がありました。27日16時半ごろ,大阪行きJALジャンボ機が羽田を離陸して間もなく左翼先端に落雷を受けましたが,支障がないとわかりそのまま大阪へ飛んでいきました。

ダービーは27日,こうした異常な天候の中で行なわれたわけです。しかしとくに天気の影響は見られず,カツラノハイセイコがリンドプルバンの猛追をハナ差しのぎきり,6年前の同じ日に3着に敗れ去った父の無念を晴らしました。

ついでに,ダービーや雷とは直接関係はありませんが,2人の女子大生が阿寒湖で手に手を取り合って心中,スナックのママ(39)が女子高生(16)に「彼との交際をヤメレ,ゴルァ」とナイフで腹を刺された――というような記事も当時の新聞にあります。

にほんブログ村 競馬ブログ 競馬コラムへ
にほんブログ村

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

桜の枝に雪が満開(1988年)

1988年4月7日の夜から降りはじめた雪はやむことなく降り続き,8日朝には積雪9cmに達しました。これは4月の東京としては1908年の20cmに次ぐ史上2番目の記録です。

この雪の影響で,関越,東北,常磐の各自動車道が一部で通行止めになったほか,JR各線や私鉄で運休や遅延を生じました。また,羽田空港で2cmほど雪が積もったため離着陸が乱れ,国内線11便が欠航しました。

もちろん東京で雪が積もれば相次ぐスッテンコロリン,36人がけがをしました。

東京では2日にすでにソメイヨシノが開花しており,5~6分咲きのサクラの枝や花の上に雪が積もりました。なかなかみごとな光景でした。残念ながら枝折れを起こした木もあったようです。

この年のプロ野球の開幕はセ・パとも4月8日でした。西武球場での西武-南海戦は積雪のため中止になりましたが,この年から登場した屋根つき球場がさっそく威力を発揮,巨人-ヤクルト戦は予定どおり行なわれました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

白木屋の大招牌落ち 慶應生徒の重傷(1919年)

1919年3月20日付東京日日新聞より:

昨夜東京に 大疾風襲来

昨夜七時頃より疾風起りて猛烈に吹捲くり市内各所の招牌屋根等を吹き飛ばし電燈線も所々に故障を生じ品川附近は雹さへ降りたり同夜九時中央氣象臺の報告に據れば十九日夕刻西空に雲現はれ東方に向かつて擴張し來り恰も雷雨の襲來せんとする模樣ありしが午後七時廿分頃より急風起りて砂塵を飛ばし猛烈なる勢いを以て吹募り八時には風速廿二米突に逹し夫より漸次衰ふるに至り又八時頃より雨を伴ひ八時十五分より雷雨となれり

午後7時ごろ,白木屋呉服店の2階に掲げてあった大きさ2間半×2間の大看板が吹き落とされ,通行中の慶應普通部の生徒♂(17)の頭を直撃,生徒は重傷を負いました。

この“疾風”は日本海から北海道に進んだ低気圧(いわゆる日本海低気圧)と寒冷前線の通過によるもののようで,関東地方から北海道にかけて銚子23.5m/s,前橋26.8m/s,秋田26.7m/s,函館21.4m/s,寿都27.3m/sなどの強風が観測されています。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

3月の最深積雪(1969年)

1969年3月12日の東京は,未明から雪が降りはじめ,15時には積雪が30cmに達しました。これが東京における3月の歴代最深積雪になっています。

というわけで,昨日の日記で紹介した気象庁の名誉回復をかけた思い切った雪予報は当たったかに見えますが……。

予報吹き飛ばす猛吹雪
気象庁また降参
“天気図づくりに数時間”
台湾坊主大あばれ
気象庁でもさる四日の“大はずれ予報”に泣いたばかりなので,昨日の十一日午後には「雪」をいち早く予報したものの「これほど降るとは……」と大あわて。(12日付読売新聞夕刊)

この大雪のため,例によって国電(当時)はポイント故障が相次ぎ,ダイヤは大幅に乱れました。「国鉄運休は史上最大」(13日付日経朝刊)ともいわれています。懐かしの玉電(東急玉川線)はラッセル車がなかったため,世田谷区三宿付近で13台が立往生したほか各地で電車が閉じ込められ,運転が不可能になりました。

一方,雪の影響を受けなかった地下鉄は“殺人ラッシュ”。窓が割れ,けが人続出,機動隊まで出動する始末でした。とはいうものの,殺人というわりには誰も死ななかったようです。

またこの日,東大人文系大学院(修士課程)の入試が,反代々木系学生の妨害を避けるため,学内ではなく代々木ゼミナールで行なわれましたが,この雪の影響で試験は20分遅れてはじまりました。地方からの上京組も多く,「この雪だし,場所はわからないし……」とボヤく学生も多かったとか。

ちなみに,“反代々木系”といっても別に“親身の集金 日々是決算”の予備校に反対していた集団でないことはいうまでもありません。

反代々木系といえば,日大の反代々木系のボス,日大全学共闘会議議長の秋田明大(23)という人物が,渋谷区神宮前の知人宅に潜伏中,雪かきをしているところを通報され,逮捕されたのもこの日でした。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

江戸の桜田 雪が降る(1860年)

万延元年三月三日の上巳の節句,早い話がひな祭り,頃は五ツ半時(午前9時ごろ),あかりをつけましょ ぼんぼりに――ではなくて,総勢60余人からなる大老井伊掃部頭直弼の行列が桜田門外にさしかかったとき,お花をあげましょ 桃の花――でもなくて,18人の水戸浪士らが行列に襲いかかり,五人ばやしの 笛太鼓――いいかげんシツコいですが,早い話が大老を暗殺しました。世にいう桜田門外の変です。

赤穂浪士の討ち入りや二・二六事件の襲撃のときは実際には雪は降っていなかったのですが,このときは実際に雪が降っていました。ただ,ドラマや映画で描かれているような“大雪”ではなかったようです。と,見てきたようなことをいう>σ(^^;)

60余人ものお供の者がついていながら大老をむざむざ討ち取られてしまったのは,すべてが戦闘員というわけではなかったからということもあるでしょうが,もっとも大きな理由は,この日は朝から雪が降っていたため,雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったからといわれています。さらには,テロ集団がまさか白昼堂々と襲ってくることはないだろうという,油断というより固定観念のようなものがあったのかもしれません。

万延元年三月三日は今の暦では1860年3月24日にあたります。晩雪ではありますが,現在の平年値でも東京の終雪は3月11日,3月の降雪日数は2.2日ですから,とくに珍しい現象というほどではありません。ちなみに3月の最深積雪は1969年に記録した30cmです。

なお,藤原ハカセによると,この日赤い雪が降ったといって江戸の人が騒いだそうです。(1925年1月31日付東京朝日)

井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ

桜田門外の変のあと,文久二年正月十五日に老中安藤信正がやはり水戸浪士らに襲われる坂下門外の変が起こりました。このときは老中側のテロ対策が抜かりなかった……というよりも襲撃側の計画がかなりズサンだったらしく,老中は軽傷を負っただけで,襲撃側が全滅しました。この日は現在の暦では1862年2月1日にあたり,時期から見て雪が降っていたかも……と思ったのですが,どうやら雪が降っていたという記録はないようです。

これは今の桜田門。邪魔な“内堀ランナー”の通り道になっています。

筆者は桜田門と聞くと桜田門外の変よりもむしろこれが真っ先に思い浮かびます。

土曜ワイド劇場や今はなき火曜サスペンス劇場の見すぎなのでしょうねえ。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 テレビブログ 推理・サスペンスドラマへ

【付記】写真を追加。それに伴い一部書き換えました。[2015/03/02]

新幹線より雪に弱い気象庁 (1969年)

現在,外は雪です。

大手町の気温は朝から少しずつ下がってきて,11時現在2.0℃です。

雪といえば,40年前の今日,つまり1969年2月27日は東京で雪が降りました。最深積雪は7cmとたいしたことはなかったのですが,かなり混乱したようで,28日付毎日新聞朝刊には

7センチの雪でダウン マンモス東京

帰宅の足混乱,商店も早じまい

対応施設さっぱり 過密すぎる人と車

などと書かれています。

前日夕方発表の気象庁の予報は

北東のち北寄りの風曇,日中時々晴

で,みごとな大ハズレでした。

さらに3月4日,東京地方は史上初の大雪警報が出る大雪となったのですが(東京の最深積雪19cm),それもハズしており,新幹線より雪に弱い気象庁のレッテルが貼られることになりました。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

白虹日を貫く(1936年)

井伏鱒二の『荻窪風土記』の「二・二六事件の頃」の章に次のようにあります。

……その前日,二月二十五日,私は都新聞学芸部を訪ねた。寒い日であつた。三宅坂のところからお濠の方を見ると,野生のカモの他にユリカモメがたくさん何百羽も集まつてゐた。お濠の水に浮いてゐるのもあり,あたりを乱舞してゐるのもあつた。海上が荒れるかどうかして,陸のお濠に避難してゐたのだらう。空は青く晴れ,皇居の上に出てゐる太陽を白い虹が横に突き貫いてゐるのが見えた。虹は割合に細く,太陽の直径の三分の二くらゐの幅である。不思議な現象だと思つたので,都新聞で用談をすませた後,学芸部長の上泉さんに白い虹のことを話すと,三省堂の「広辞林」を出して頁を繰つて見せた。

白い虹が太陽を貫くと,「白虹,日を貫く」と言つて兵乱の前兆だと言つてある。史記の鄒陽伝に出てゐるといふ。

この白虹は幻日環だと思われます。幻日環というのは太陽の両側に伸びて見える光の筋のことで,静かな大気中を落下する氷晶の鉛直面での太陽光の反射による現象です。かさ(22度ハロ,ごくまれに46度ハロ)や幻日などとといっしょに見えることもあります。

ただ,この日“白虹日を貫く”のを見たというのはこの『荻窪風土記』にしかないこと,また同じ作者の『黒い雨』にやはり“白虹日を貫く”のを見たという記述があるのに,元にした『重松日記』にはその記述がないことなどから,二・二六事件前日の“白虹日を貫く”は井伏鱒二の創作なのではないかと思います。

ちなみにこの日と前日,中央気象台の観測原簿には古来瑞兆とされる「彩雲」が観測されたことが記録されています。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村