マイあさラジオ

昨日からNHKラジオ第1放送の早朝の番組がリニューアルされました。その名もマイあさラジオ。私的にはイマイチな名前ですが,評判はどうなんでしょうねえ?

リニューアルされたといっても,内容はあんまり変わっていないようです。まあ,全部の時間帯を聞いているわけではないので,後半は変わっているのかもしれません。

変わってないといえば,「今日は何の日」のコーナーのBGMは引き続きフランク・ミルズ(Frank Mills)の「詩人と私(The Poet And I)」なんですね。

「今日は何の日」は1997年の「おはようラジオワイド」からはじまったはずですが,そのときのBGMが「詩人と私」でした。次の年に別の曲に変わりましたが,1999年の「ラジオあさいちばん」から「詩人と私」が復活し,今までずうっと続いています。

ついでに,NHKラジオ第1放送の歴代の早朝番組をあげておきます。当社調べなので,間違っているかもしれません。

放送期間 番組名
1948-1987 早起き鳥
1987-1992 今日も元気で
1992-1997 おはようラジオセンター
1997-1999 おはようラジオワイド
1999-2015 ラジオあさいちばん
2015- マイあさラジオ

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数寄屋橋での出会い (1945年)

1945年5月24日の夜,米軍による爆撃の最中の数寄屋橋で後宮春樹と氏家真知子が出会い,半年後の11月24日の夜にこの橋の上での再会を約束するというのが,映画君の名はの冒頭のシーンです。放送時間中は女湯が空になったという都市伝説のあるラジオの連続放送劇も同様なんだと思いますが,聞いたことはありません。

しかし,実際には5月24日の夜には空襲はなく,このころ東京に空襲があったのは24日未明と25日夜~26日未明でした。

このうち数寄屋橋付近に空襲があったのは25日夜~26日未明です。

奥住喜重・早乙女勝元『新版東京を爆撃せよ―米軍作戦任務報告書は語る』によると,この作戦命令は第21爆撃機集団野戦命令79号で,発令は25日02時00分(日本時間),爆撃は25日22時38分にはじまりました。

原作者が日にちを間違えたのか,そうでないとすればなんらかの理由で変えたのでしょう。

ちなみに,1991年にNHKの連続テレビ小説で「君の名は」(ヒロイン鈴木京香)が放送されたときは“5月のある日の夜”にボカされていました。

さて,半年後の11月24日,下心いっぱいの春樹は約束どおり数寄屋橋のたもとの交番の前に行きますが,真知子にスッポカされます。それもそのはず,この交番は1944年6月から1946年6月まで閉鎖されていたため行きたくても行けなかったのです。ではなくて,確か四ツ谷の家が空襲で焼けたため佐渡の親戚宅に身を寄せていたのではなかったかな。

あきらめのつかない春樹は,未練がましく1年後の1946年11月24日にその場所に行ってみると,なんとそこに真知子があらわれるというつくられたような展開。再会を約束したときに今年会えなかったら来年,来年会えなかったら再来年……と春樹がいっているので,まあ不自然ではないですが。

春樹がシメシメと思ったのつかの間,真知子から重大発表が!!

……私,明日……明日……結婚するんです。

ここから春樹の人妻追っかけ人生がはじまります。

次の写真は現在の……ではなくて(笑)5年前の数寄屋橋。

DSCF0961

それにしても,この君の名はにしても愛染かつらにしても独身男が人妻を追っかけるという話なのはどうしてなんでしょうねえ? しかも「愛染かつら」の高石かつ枝は子持ちだし……。真知子もどこかで妊娠するんですよね,確か。

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「えり子と共に」放送開始

1949年10月5日21時,NHKラジオで連続放送劇「えり子と共に」の放送がはじまりました(ちなみに,原作のタイトルは「えり子とともに」)。

放送時間ははじめは毎週水曜日の21時からでしたが,途中で21時15分に変わり,最後は木曜日の20時30分に移動して,1952年4月10日から女湯が空になったという都市伝説をもつ「君の名は」に続きます。

「えり子と共に」は歴史で学んだだけで,どのようなストーリーだったのか,ほとんどわかりません。聞くところによると,「君の名は」のような波瀾万丈の物語ではなく,新しい時代を生きる女性を描いたドラマだったようです。最終回の最後の部分だけ何かの番組で聞いたことがありますが,たしか結婚するところで終わっていました。のちに映画にもなったようですが,ラジオドラマとはちょっとストーリーが違うようです。

「えり子と共に」自体はほとんど忘れ去られているドラマですが,今でも歌い続けられている挿入歌があります。「雪の降る街を」です。

1951年12月26日放送の第114回のリハーサル後に,どうやら時間が余りそうだということで,急遽つくられた曲だそうです(作詞:内村直也=原作者,作曲:中田喜直)。

えり子さんが勤めている会社で本社と工場の対立があり,その宥和を図ろうと,会社の正月の演芸大会に本社と工場の混成メンバーで劇をやる運びになります。劇のタイトルは「花咲く丘」。その劇に登場する歌が「雪の降る街を」で,練習中の場面で花売り娘役の女性社員が歌うのが最初です。そしてこの回の最後に全員の合唱が流れ(このあたりで時間調整をしたのでしょう),えり子さんの年末のあいさつになります。

来年はどういう年になるでしょうか,みなさまの処へも,幸福のビニールが訪れますことをお祈りして……

というわけで,えり子さんがスキーに行ったり,雪国を訪ねたりする場面で流れたわけではなく,特定のモデルもないそうです。

ちなみに,「えり子と共に」の放送期間中,えり子さん役の阿里道子さんと音楽担当の芥川也寸志氏の間のスキャンダルが発覚(これが原因かどうかは知りませんが,途中から音楽担当が中田喜直氏に変更になりました),また阿里道子さんがストーカー被害にあったりしたこともありました。

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