花の猪苗代に猛烈な吹雪

1935年5月3日付福島民報より:

豬苗代町龜ヶ城の櫻花は今が見頃の三十日午前十時頃から,雪が降り出し地方民を驚したが翌一日午前三時頃から雪となり人々が目覺めた頃には木と言ふ木にみな花が咲き,どれが花やら雪やらまつたく見當つかな風景が描き出され午前中ずうつと牡丹の樣な雪が降り續き午後にない猛烈な吹雪と化し櫻花と雪とが入り亂れて飛ぶ有樣は美麗なうちに淒みをおびて一寸形容の出來ない風景であつた

ちなみに,亀ヶ城猪苗代観光協会 猪苗代・磐梯を遊ぶ 史跡によると,

磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏代々の居城でした。戊辰戦争によって建物等は焼失してしまいましたが、明治時代に整備され今ではお城山公園と呼ばれて町民の憩いの場になっています。頂上に米国アラメダ海軍航空隊基地協会より日米友好の証として寄贈された野口英世の胸像があります。

とのことです。

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フェリーから乗客が転落し行方不明に (平家伝説殺人事件)

5月2日,前日の18時20分に東京を出港した高知行きフェリー「しーふらわー号」から男が転落しました。しかし,死体は発見されませんでした。(内田康夫『平家伝説殺人事件』)

平家伝説殺人事件は3回ほど2時間サスペンスドラマ化されました。

  1. 19870908 火曜サスペンス劇場 浅見光彦ミステリー1
    “高知-那智勝浦-名古屋,連続転落死事件の奇妙な符合を追え!!”

  2. 19990702 金曜エンタテイメント 浅見光彦シリーズ8
    “落人の子孫は、村から出ると不幸に!八百年前の恨みが今、蘇る! 故郷も年齢も同じ二人の男が死亡した。密室に秘められたトリック!! おごれる者は久しからず…落人伝説の地によみがえる死者の怨念!! 2年前のフェリーの同乗者を襲う魔物の影”

  3. 20051226 月曜ミステリー劇場 浅見光彦シリーズ21
    “平家の怨念が最後の清流・四万十川を血で染める!?愛に飢えた女の孤独と哀しい運命”

金曜エンタテイメントの長すぎるサブタイトルが異様です(笑)

平家伝説殺人事件は原作ではプロローグに伊勢湾台風が描かれており,これが伏線になっていくわけです。火曜サスペンス劇場と金曜エンタテイメントではきちんと伊勢湾台風として扱われており,とくに金曜エンタテイメントは放送された1999年が伊勢湾台風からちょうど40年目ということもあり,榎木光彦が現地の慰霊碑などを訪れています。

ところが月曜ミステリー劇場では沢村光彦は現地にも行かず,名古屋新聞(?)の見出に出てはきますが,

巨大台風18号 明日にも上陸か
死者は52人に
伊勢湾台風以来の被害に

台風18号の片隅に追いやられていました。

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無冠の貴公子に春が訪れます

タイトルは,「無冠の貴公子」タイテエムが無冠を返上したゴール前での杉本アナの実況です。

1973年4月29日。第67回天皇賞。スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。馬場はかなり悪化しましたが, なぜか発表は“良”のまま。ビデオで見ても,重か,少なくとも稍重くらいの状態にはなっています。

レースはナオキとシンザンミサキが先頭を交代しながら引っ張る形でスローの流れ。タイテエムは中団を進みます。 ところが2周目の3コーナーの坂にさしかかったところでズルズル後退。頂上では後方から2頭目まで下がってしまいました。

そのあとタイテエムが一時“行方不明”になります。いや,見失ったのは杉本アナだけだったのかもしれません。 テレビの画面には外を通って上がってくるゼッケン5が鮮やかに映し出されていました。しかし,杉本アナは「タイテエムもこの集団の中」 と実況しています。

タイテエムは4コーナーを回って大外に出たときには先団をとらえていました。しかし, 最内を回って粘り込みをはかるシンザンミサキの白いままの帽子を除いて(日本短波の高木アナ「白い帽子が印象的」の実況があります), どの馬の勝負服も帽子も泥をかぶって真っ黒。杉本アナは突然現われたタイテエムをにわかには信用できず,なかなか「タイテエム先頭!」 とはいえなかったそうです(杉本氏の著書より)。

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1973年 4月29日(祝) 3回京都4日  天候: 雨   馬場状態: 良
9R  第67回天皇賞
5歳以上・オープン  芝 3200m   15頭立
------------------------------------------------------------------
着 枠 馬 馬名                 性齢 騎手    斤量 タイム 人 廐舎
------------------------------------------------------------------
 1  3  5 タイテエム           牡5 須貝彦三  58 3.25.0   1 橋田俊三
 2  4  6 カツタイコウ         牡6 加賀武見  58 11/2    7 柄崎義信
 3  1  1 シンザンミサキ       牡5 久保敏文  58 2       8 久保道雄
 4  3  4 ナオキ               牡5 佐々木昭  58 アタマ   9 田中康三
 5  2  3 オンワードガイ       牡6 蓑田早人  58 11/4    2 森末之助
 6  7 12 ミリオンパラ         牡6 戌亥信昭  58 1/2     15 戌亥信義
 7  2  2 アイチアサホマレ     牡6 西谷達男  58 1      12 上田武司
 8  7 13 ハマノパレード       牡5 田島良保  58 3/4      5 坂口正二
 9  6 11 ユーモンド           牡5 福永洋一  58 11/2   11 武田文吾
10  6 10 エリモカップ         牡6 松田幸春  58 1/2      4 大久保正
11  5  8 トーヨーハヤテ       牡5 稲部和久  58 1 1/4  14 諏訪佐市
12  4  7 メトロオーカン       牡6 武邦彦    58 クビ    10 中村好夫
13  8 15 ランドプリンス       牡5 川端義雄  58 11/2    3 高橋直
14  5  9 シングン             牡6 吉岡八郎  58 1      13 坂口正二
--  8 14 スガノホマレ         牡5 野平祐二  58 競走中止 6 秋山史郎
------------------------------------------------------------------
LAP :13.2-12.5-12.4-12.7-12.7-12.8-13.3-14.2-13.2-12.8-13.2-13.0-
 12.3-12.4-12.1-12.2
通過:38.1-50.8  上り:49.0-36.7
単勝 5 \280    複勝 5 \130 / 8 \390 / 1 \410
枠連   3-4 \1520
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観測史上もっとも早い台風の上陸(1956年)

1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。

25日付朝日新聞夕刊より:

台風三号 消える

台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。

「気象要覧」(1956年4月)より:

台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島と宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。

今の気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。

気象庁のベストトラックデータは次のようになっています。

56042400 002 9 248 1249  996
56042406 002 9 258 1260  997
56042412 002 9 272 1270  997
56042418 002 9 300 1285  997
56042500 002 2 315 1315  998

ついでに気象庁のサイトにある台風経路図も載せておきます。

このように気象庁では台風のままで大隅半島に“上陸”したように解析しており,これが観測史上つまり1951年以降ではもっとも早い台風の上陸ということになっています。

ところで,JTWCによるこの台風のベストトラックデータは次のようになっています。

WP, 03, 1956042400,   , BEST,   0, 248N, 1248E,  70
WP, 03, 1956042406,   , BEST,   0, 260N, 1261E,  60
WP, 03, 1956042412,   , BEST,   0, 275N, 1278E,  60
WP, 03, 1956042418,   , BEST,   0, 289N, 1290E,  45
WP, 03, 1956042500,   , BEST,   0, 306N, 1304E,  30

非情にも(?!)大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。

空馬1着

1912年4月21日,好天に恵まれた目黒競馬場。呼び物は第8競走「内国産馬優勝競走」(距離1マイル半)。前年5月の帝室御賞典(目黒)をレコード勝ちし秋の優勝内国産馬連合競走も圧勝したラングトンと,1週前の帝室御賞典をレコードで勝ったコイワヰの一騎討ちに注目が集まりました。

スタート直後はラングトンが逃げ,コイワヰは4番手。1マイル付近では両馬の併走になりましたが,ゴールが近づくにつれてコイワヰがラングトンをぐんぐん引き離し,ゴールインしたときには8馬身もの差がついていました。タイムはそれまでの記録を約3秒上回る2分45秒23/100のレコードでした。

ところでこの日,観衆が沸いたレースがもうひとつありました。第7競走「濠洲産抽籤新馬優勝競走」(距離1マイル1/8)。22日付時事新報より:

・・・第七回目には中途木村氏の持馬キンデンの騎手川崎落馬したるに馬は一切お構ひなく落ちたのは騎手の勝手と計り他の五頭と優劣を競ひ素より空馬の見事なる快足力を出して第一着となりたる滑稽は曾つて前例のなき事とて馬見取内は拍手喝采歡聲暫くは鳴りも止まざりき

いわゆる空馬1着の最も古い例だと思います。

空馬1着といえば,1985年の札幌日経賞のギャロップダイナは同じ年の秋天とともに今でも語り草になっています。

2008年エリザベス女王杯のポルトフィーノは大外を回っての“圧勝”劇でしたが,鞍上のジャマ者がいなくなったからのびのびと走れたのかもしれません。それが証拠に次走の阪神牝馬Sでは……(以下略

最近では去年の全日本2歳優駿が記憶に新しいところです。

上の記事などを見ると,空馬1着で盛り上がるのは今にはじまったことではなく,明治の昔からそうだったことがわかります。

ちなみに,空馬1着の第1号(?)となったキンデンの馬主は木村政次郎,通称「ドロ政」という人物で,ググってみるとかなりのトンデモ人物だったようです。

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三田から芝口,新橋に旋風が走る(1892年)

1892年4月1日付讀賣新聞より:

◎大旋風《おおつむじ》

昨三十一日午后一時頃俄然芝愛宕下通の各所の火の見にて三聲の警鐘を打ち出したるが人人驚きて外面に出れば南に方ッて黑煙捲起り如何にも凄じき有樣なるより近傍の消防夫は喞筒《ポンプ》を曳て駈け付るなど一時は非常に混雜なりしが火元は更に分らず黑煙も須臾にして消失せし由之れ全く火事ならずして三田邊より來りたる大旋風が露月町の裏手なる焦土を捲き揚げたるにて此旋風は芝口一丁目の横町より新橋停車場の派出所に突當り左折して遞信省農商務省の間を過ぎ築地の方に吹去りたり其勢ひ頗る猛烈にて砂石を捲き上げ市街各所の硝子戸を破砕せしものさへありしと

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本当の「啓蟄」?

先日,不倫が取りざたされているお天気おばさんの書いた『半井小絵のお天気彩時記』がブックオフにたまたまあったので,105円だったし,買ってみました。パラパラッとめくったら,「啓蟄――さらば,冬ごもり」に次のような一節が。

実際,虫が活動するのは4月の声を聞いてから,1日の最高気温が15℃くらいのころですので,旧暦ならドンピシャリ,現在の暦では,本当の啓蟄は1ヵ月ほど先なのです。薄手のコートもそれまでお預けです。

このおばさん,もしかして啓蟄には“旧暦の啓蟄”と“現在の暦の啓蟄”があると思っているのでしょうか。そうでも解釈しない限り意味不明です。二十四節気が何なのか理解していない?

さらに適当にページをめくったら,他にもわけのわからない箇所が多々見つかりました。よくもまあ恥ずかしげもなくこんな本を出版しましたねえ……。

2006年に出版された本なので,この点についてすでに指摘している人がいるかも知れないと思ってググったら,やはりすでにいらっしゃいました。

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稲村ジェーンのナゾ

稲村ジェーンジェーン台風については稲村ジェーン | Notenki Express 2014ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件 | Notenki Express 2014で取り上げていますが,ググっていろいろ見てみると,例えば稲村ジェーン | Movie Walkerにはひとこともジェーン台風は登場せず,「20年前に伝説の大波に乗った」とあるだけ。

また,Wikipediaによると,舞台は1965年らしい。

このあたりは映画を見ないことにはなんともいえませんが,もしかするともともとジェーン台風は関係ないのかも知れません。

1965年の20年前というと1945年。こんなときにのんきに波乗りをやっていた人間がいたとは思えません。サーフボードはどこから調達したんでしょう?

1945年には“大型”としては申し分のない枕崎台風がやって来ましたが,沖ノ鳥島のはるか南海上から時計回りのコースを描いているので,稲村ヶ崎にいい波をもたらしたとは考えにくいです。

なお,ちょっと前の湘南海岸がどんなところだったかについては,片瀬海岸モモ切り魔 | Notenki Express 2014をご覧ください。

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4月29日は春天の日

古い人間なので,4月29日は春の天皇賞……という条件反射がいまだに起こります。歴史を見てみると1957年以降,ストなどで順延した年を除けば1990年まで連綿と4月29日に行なわれてきたので,しかたがないでしょう。4月29日は昭和の日などというくだらない名前ではなく,春天の日あるいは天皇賞の日と名づけましょう(笑)

4月29日に行なわれた天皇賞の中から6レースほど。

  • AD1973/04/29 第67回天皇賞,突然降り出した激しい雨の中,2周目の3角の坂で最後方に下がったタイテエムが,直線大外から先頭に立つ。「四白流星,無冠の貴公子に春が訪れます」(by 杉本アナ)
  • AD1976/04/29 第73回天皇賞,エリモジョージが逃げ切り,なんにもないえりもに春を告げる
  • AD1977/04/29 第75回天皇賞,4歳時無冠に終わったテンポイントが夢に見た栄光のゴールを駆け抜ける
  • AD1978/04/29 第77回天皇賞,グリーングラスが亡きライバル,テンポイントに捧げる勝利
  • AD1981/04/29 第83回天皇賞,カツラノハイセイコが直線で馬群を割って先頭に立ち,父の果たせなかった天皇賞を制覇。「見てくれ,この根性だ」(by 杉本アナ)
  • AD1985/04/29 第91回天皇賞,シンボリルドルフ,シンザンに次ぐ史上2頭目の五冠馬に

お天気屋の立場からもっとも興味深いのは1973年のレースで,スタートの50分ほど前から雷を伴った激しい雨が降りはじめました。いわゆる熱界雷です。馬場はかなり悪化しましたが,なぜか発表は“良”のままでした。成績公報の天候はさすがに“雨”になっています。

シンザンミサキの最後まで白いままの帽子が印象的でした。詳しくは無冠の貴公子に春が訪れます | Notenki Express 2014をご覧ください。

最近では

  • AD2001/04/29 第123回天皇賞・春,テイエムオペラオー,史上初の天皇賞3連覇,G1の6連勝

このレースもスタート前に(というより昼ごろから)雨が降り出しました。これは低気圧の接近によるものでした。

ところで,敗戦前の1935年から1938年までは4月29日に東京優駿(大)競走が行なわれていました。

  • AD1935/04/29 第4回東京優駿大競走(東京競馬場)2戦2勝のガヴアナーが優勝。ガヴアナーは2週間後の調教中に骨折し安楽死。さらにその数日後,担当していた廐務員も事故死
  • AD1937/04/29 第6回東京優駿大競走(東京競馬場),ヒサトモが制し,牝馬として初の東京優駿の勝ち馬となる

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ガッツボーズ列伝

今日はガッツポーズの日なので,ハードディスク内のテキストファイルなどから“ガッツポーズ”を検索してみました。

競馬と箱根駅伝がやたら多いのですが,そういう記事を多く収集しているからでしょう(笑)

まずはあのテイエムオペラオーのジャパンカップ(2000年):

「僕がミスさえしなければ大丈夫だと思っていた。本当にすごい馬です。最後も抜かせないと信じていた」と和田が歓喜のガッツポーズをすれば,岩元師も「一瞬,負けも覚悟したけど,最後の最後で抜け出してくれた。いい根性しとるわ。この馬には頭が下がる」と満面の笑みで最大級の賛辞を贈った。

現場で見ていました。

よくガッツポーズをする池添騎手。聖剣デュランダルが木枯らしを切り裂いたマイルチャンピオンシップ(2003年):

ゴールを過ぎた瞬間,池添騎手は何度も派手なガッツポーズ。左手人差し指を突き立て,「この馬が1番や!」とアピール。そんな興奮状態は馬上から「メッチャ最高!」と雄叫びを上げながら検量室に引き揚げて来るまで続いた。

2008年のオークス:

トールポピーでレースを制した池添は鞍上でガッツポーズ

これを見て,馬から引きずりおろして袋だたきにしてやりたいと思った人は多かったことでしょう。社台の馬だから降着にならなかったともいわれています。

一方で,ガッツポーズがなくても記事になることがあります。2002年のフェブラリーステークス。

四位騎手にガッツポーズはなく,風のように駆け抜けたゴール板。世界を転戦するアグネスデジタルは史上初,GI4連覇の偉業をいとも簡単になし遂げた。

競馬のガッツポーズといえば,第1回黒船賞でリバーセキトバに騎乗していた北野騎手の「早すぎるガッツポーズ」は有名です。他には1995年春天での蛯名騎手の「幻のガッツポーズ」もありました。(残念ながらともに記事はありません)

箱根駅伝からは2006年の大手町:

悪夢も呪縛(じゅばく)も,一丸となって断ち切った。順大の10区,松瀬元太(4年)が大きなガッツポーズをとって,ゴールへ飛び込む。往路に続き,復路も制す完全優勝。あれから365日…。長く暗いトンネルからついに抜けるときがやってきた。

懐かしいアテネ五輪(2004年)からは女子柔道:

 つり手を取り,引き手の右手が相手の袖をつかんだ瞬間だった。豪快な上野の袖釣り込み腰がボス(オランダ)の1メートル83の長身をゆっくりと回転させた。きれいな,金メダルにふさわしい,完ぺきな一本。ガッツポーズし,跳びはねた。開始線に戻った上野の目に,涙があふれてきた。

刻一刻と迫るその瞬間を待つ間,塚田は「絶対に離すもんか」と力を込めていた。決勝は,ベルトランに大外刈りで技ありを奪われ,抑え込まれた。すぐに逃げた。すかさず後ろけさ固めに移行した。大ピンチがチャンスに変わった運を逃すわけにはいかない。ブザーとともに,相手の体の上で塚田はこん身のガッツポーズをした。

いやあ,ベルトランさん,重かったでしょうねえ(^^;)

ちなみに,「最高でカネ,最低でもカネ」のおばさんについてはσ(^^;)のハードディスク内に記事はありません。ガッツポーズをしたかどうか知りません。

試合前にガッツポーズを求められることもあります。トリノ冬季五輪に臨む女子カーリングチーム。(写真は掲載しません)

記者会見後にガッツポーズするカーリング女子の日本代表。
(左から)小野寺歩,林弓枝,本橋麻里,目黒萌絵,寺田桜子の各選手=2月10日,トリノ市のメーンメディアセンター(共同)

外国人もやるみたいです。2005年のF1ブラジルGPのアロンソ。

伸ばしていたひげをそり,5番手から気合を込めてスタートしたアロンソ。6月のカナダGP以来8戦ぶりの今季7勝目に派手なガッツポーズで喜びを表現した。2位のシューに決定的な10ポイント差をつけ,2年連続総合王者に王手をかけた。

2006年のドイツW杯。

「今のチームには,何かをやってのける力がある」と信じていたクリンスマン監督が,ガッツポーズをくり返して喜びを爆発させた。決勝トーナメント1回戦のウクライナ-スイスに続く今大会2度目となったPK戦決着。ドイツが4強へ駒を進めた。

最後に,世の中には絶対にやってはいけないガッツポーズがあります。

2000/03/22 山口県光市で1999/04に主婦と幼児が殺害された事件で,殺人罪などに問われ,死刑を求刑された同市の殺人鬼,福田孝行(犯行当時19)に対し山口地裁,無期懲役判決というあまりにも軽すぎる判決。なお,無期懲役の判決が下されたとき,傍聴席の被害者の遺族の見ている前でバカ弁護人・中光弘治がガッツポーズをしたという

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