児島高徳

戦前は――といってももちろんイラク戦争や湾岸戦争前ではなくて第二次世界大戦前ですが,超有名だったらしい人物です。「♪船坂山や 杉坂と/御あと慕いて 院の庄……」ではじまる唱歌「児島高徳」もあります。ただし,『太平記』にしか登場せず,実在した人物かどうかは不明です。

時は元弘二年三月なかば,児島高徳とその一党は隠岐に流される後醍醐先帝を奪還する機会を虎視眈々と窺いますが,情報が間違っていたり,警備が固かったりしたため奪還をあきらめ,せめて奪還の意志だけでも先帝に伝えようと思い,宿泊している建物の庭にある大きな桜の木の幹に10字の詩を刻みました。

天莫空勾践  天,勾践を空しうする莫れ
時非無范蠡  時(に)范蠡無きにしも非ず

元弘二年三月なかばは今の暦では1332年4月上旬~中旬にあたります。『太平記』にとくに記述がないところをみると,桜の花はまだ咲いてはいなかったのでしょう。また,江戸時代の詠史川柳に

三郎は毛虫を筆で払ひ退け

というようなのがありますが,まだ毛虫はついていなかったと思われます。

ついでに,『太平記』には「御警固の武士共、朝に是を見付て……」とあるので,高徳は夜のうちに10字の詩を幹に刻んだものと思われます(まあ,いくらなんでも真っ昼間にはやらんでしょう)。真っ暗な中でよく刻めたものです。とくに“蠡”なんてかなり難しかったに違いありません。