スマトラ島沖のインド洋で発生した地震による津波から2年たちました。
というわけで,一昨年メルマガに書いた「津波ア・ラ・カルト」をほとんどそのままお届けします(笑)
●津波とは
津波は波長の非常に長い波です。変動した海底の範囲の大きさにもよりますが,数10km~数100km程度です。したがって,
波といっても風によって起こるふつうの波(風浪やうねり)とはかなり性質が異なり,潮汐によって起こる波や高潮に近い性質をもっています。
日本では数十年くらい前まで,高潮と津波はとくに区別されていませんでした。
●津波の速さ
津波の波長は海の深さに比べて非常に長いため,浅水波とよばれる波の性質をもちます。
浅水波の特徴は波の速さが深さのみによって決まることで(波長によらない),海の深さをh(m)とすると,次の式で計算できます。
c = (9.8 * h)^(1/2)
例えば,h~3000(m)(海の平均的な深さ)を代入すると,c~170(m/s)≒620(km/h)となり,
ものすごいスピードであることがわかります。
1960年の「チリ地震津波」は,地震発生から約23時間後に地球の裏側の日本の沿岸に到達し,
死者不明者142人など大きな被害をもたらしました。はるか彼方からやってきた津波が非常に強力だった原因としては,
地震の規模がきわめて大きかったこと(観測史上最大のモーメントマグニチュード9.5),日本は震源からほぼ地球の反対側にあるため,
いったん広がった津波が収束する位置にあったこと,ハワイ諸島が日本に波を集めるレンズの役割を果たしたこと……などがあげられます。
●津波は岸に近づくと高くなる
海のど真ん中で津波に遭遇したとしても,ほとんど影響はありません。
数10km~数100kmの範囲でせいぜい数メートルくらいしか海面が変化していないのですから,おそらく誰も気づかないでしょう。
ところが津波が岸に近づくと,水深が浅くなるため,スピードが遅くなります。そのため,分散していたエネルギーが集中することになり,
波高が高くなるとともに強力な破壊力をもつことになります。波の前面が切り立って段状になることもよく見られます。
去年のスマトラ沖地震でも,ドイツ人観光客が撮影したビデオに段状になった津波の前面が写っていました。ちなみにこの人,
“tsunami”ということばを知っていましたが,どこで知ったのか興味があります。というのも,
ヨーロッパでは津波による被害が最近ではほとんどなく,大きな被害は1755年の「リスボン地震」にまで遡るからです。なお,
地震津波ではありませんが,
サントリーニ火山のカルデラ生成に伴って発生した津波によるミノア文明の崩壊がアトランティス大陸伝説のもとになった……
という説があります。
津波の高さは,V字形に開いた湾の奥のほうほど高くなる傾向があります。これは左右から波が集まってくると考えれば理解しやすいでしょう。
また,津波の周期と湾の固有の周期が近いと,共振が起こって津波が異常に高くなることがあります。
●津波の高さと遡上高
新聞やテレビなどの報道に見られる“津波の高さ”は,波の高さなのか“遡上高”なのかわからないことがあります。というより,
遡上高を津波の高さといっているケースが多いように思われます。遡上高は陸上の何メートルの高さまで津波が到達したかということで,
一般に波の高さの2~4倍あるいはそれ以上になります。
1771年の「八重山地震津波」では,石垣島を襲った津波の最高遡上高が85mに達したという記録があります。
この記録はギネスブックに載っているという話ですが(σ(^^;)は確認していません),実際にはそんなに高くはなかったようです。
それでも40mくらいはあったようです。
なお,地震津波以外では,1958年にアラスカ南部のリツヤ湾で地震による岩石崩壊によって高さ520mの津波が発生したことがあります。
●津波は引いてから押し寄せる?
津波はいったん引いてから押し寄せる……とよくいわれますが,引いてから押し寄せることもいきなり押し寄せることもあります。
●歴史上の津波
国内の文献でもっとも古い津波の記録は,684年の「白鳳南海地震」(「南海地震」の最古の記録とされています)
のときに土佐国を襲った津波です。『日本書紀』には被害として「調運ぶ船,多に放れ失せぬ」とあるだけですが,
多くの人命が失われたことは想像に難くありません。朝廷としては“租庸調”にのみ関心があったのでしょう。
1498年の「明応東海地震」(何回か前の「東海地震」)に伴う津波では,淡水湖だった浜名湖が海とつながり,
鎌倉の大仏の大仏殿が流されました。大仏さんはさすが修行を積んでいる?!とみえて(といっても座っているだけのような気がしますが(笑))
,踏みとどまったらしいです。
また,同じく「明応東海地震」による津波で,日蓮の生家跡に建てられた誕生寺が流されて海に沈みました。
しばらくして別の場所に再建されましたが,1703年の「元禄地震」(ひとつ前の関東地震といわれます)による津波で,
またもや流されました。というわけで,現在,天津小湊町にある誕生寺は3代目という話です。「日蓮の生まれ給いしこの御堂」は海の中です
(内田康夫『日蓮伝説殺人事件』参照)。
●最後に
津波ということであれば,明治(1896年)と昭和(1933年)の三陸地震津波や北海道南西沖地震(1993年),“秋田沖地震”
(1983年)などに触れるのがふつうでしょうが,古い話好きのσ(^^;)的には新しすぎるので,取り上げませんでした。
古い話ということでいえば,1341年に十三湊を滅ぼしたとされる津波については,興味はあるものの,
信憑性が疑わしいのであえて取り上げませんでした。