杉野はいずこ 杉野はいずや

 

AD1904/03/27 第2回旅順口閉塞作戦。広瀬武夫少佐が壮烈な戦死(死後中佐に昇進)

『広瀬中佐』という唱歌がありまして,なぜか小学生のころから知っていました(笑) もっとも,どうも『勇敢なる水兵』と状況を混同していたきらいはあるのですが(笑)

その『広瀬中佐』に「やみをつらぬく 中佐の叫び/杉野はいずこ 杉野はいずや」というフレーズがあります。この杉野さんっていったいどうなったんだろう? とずうっと疑問に思っていました。

この件について林えいだい『杉野はいずこ』によると,杉野孫七一等兵曹は東郷平八郎司令長官の報告書(どうせ部下が書いたんでしょうけれど)にも「戦死せるものゝ如く」とあって実は今流のいいかたでいえば行方不明なのです。しかし,広瀬「中佐」を軍神扱いする以上,杉野「上等兵曹」も戦死していないとサマにならないわけです。

そういうこともあり,杉野さんについては日露戦争直後から生存説が流布していたようです。ただし,かりに生存していたとしても,軍神扱いをされていた本人に生きていられては当時の軍部としては困るわけで,帰国はかなわず,杉野孫七という個人がこの世からいなくなったことには変わりありません。

ちなみに,広瀬中佐はロシアに滞在したこともあり,ロシアに恋人もいたそうです。