1960年8月23日09時,日本列島は台風に包囲され,「夜聞く,漢軍四面に皆楚歌す」(史記項羽本紀)という状態でした。(天気図参照)
さらに,23日15時にはマーカス島の南東海上で台風18号も発生し,14号から18号まで5つの台風が存在するという前代未聞の事態になりました。
饒村曜『台風物語』によると,当時台風観測を行なっていた米軍の飛行機観測隊もお手上げ,
Physically impossible due to Personnel shortage.
という通知を関係各局に出したそうです。
折しもローマ五輪開幕の直前,1964年東京五輪開催も決まっており,オリンピック気分も盛り上がりつつあるときで,5つの台風を五輪に例える新聞記事もありました。
マリアナ東方海上にあった熱帯低気圧がとうとう二十三日台風十八号になった。日本は十四号から十八号まで台風オリンピックさながら五つの台風の輪にがっちりと囲まれたかたちで,こんな現象は二十五年八月以来のこと。(8月24日付読売朝刊)
この台風は今では「五輪台風」とよばれ,マスコミが名づけたことになっていますが,毎日,朝日,読売,なぜか赤旗(気象関係の記事がよく載っていました)などの新聞を見ても“五輪”や“オリンピック”が出てくるのは上の読売の記事だけで,名づけ親についてはわかりません。
24日09時には大陸に上陸した台風15号が温帯低気圧に変わったため,台風五輪は本物の五輪の開幕を待たずに早くも閉会式を迎えました。