東京湾の高潮

1917年9月25日にフィリピンの東方海上に発生した颱風が,30日の夜半ごろ駿河湾に到来し,沼津付近より上陸しました。

東京では10月1日03時30分,714.6mmHg(約953hPa)を観測,

東京に於て気圧の斯の如き低度に降りしこと中央気象台創立以来未だ嘗て之れあらず (『気象要覧』)

1日03時30分銚子で風速51.8m/s,同じく03時東京で39.6m/sを観測しました。1

東京湾では,台風の中心気圧が低かったことに加え,台風が西側を通ったために南よりの強風が吹き荒れ,さらに大潮(9月30日は中秋の名月だった)に満潮が重なるという最悪の状況となり,記録的な高潮が発生しました。

沿岸一帯もっとも害を被り家屋流出し人畜の死せるもの累々として其惨状見るに忍びざるものあり (同)

このときの最高潮位は東京湾平均海面(T.P.)上3.1mと推定されています。

当時の新聞から見出しをいくつか拾うと(東京朝日)

10月1日付

大暴風雨襲來
市内の被害甚大
東亰の始まつて以來曾てなき猛威を揮ふ

列車悉く立ち徃生
發着列車の所在不明
東亰上野兩驛の混雜

穩原小學校破壞

全市暗黒
電綫切斷して危險限りなし

品川に海嘯起る
海岸の家屋數夛浚はれ死傷者も亦夥しき模樣

月島全く孤立
慘憺たる築地河岸
暴風雨中火亊起こる

洲埼方面の慘状
海と化せる木塲方面
泥舩數十隻吹上げらる

号外も出ています。

深川は水地獄
折柄の滿潮に河川は氾濫
家皆床上に浸水す
避難民叫喚修羅塲の如し

ちなみに,当時はまだ颱風(=台風)ということばは一般化していません。

90年前とはいえ,いまの東京からは考えられない惨状です。ただ,伊勢湾台風なみの高潮が起こればいまでもどうなるかはわかりません。とくに最近は防災というと地震対策に偏る傾向が強いので,高潮は半分忘れられているかも。そういえば,明日から緊急地震速報の一般提供がはじまります。

4日になってもまだ惨状が次々と伝えられていますが,

食料品大暴騰
突拍子な白米相塲
魚類は殆ど皆無
青物は四五倍の値上

というように悪徳商人も目立ちはじめました。こういうヤカラはいつの時代,どこの世界にも現われれるようで,一昨年のハリケーンKatrinaの被害のあと,米国副大統領の息のかかった悪徳企業グループが災害をタネに荒稼ぎをしようとしていたそうです。

この台風によるおもな被害は,死者・不明1304人,負傷2022人,全壊家屋36459棟,半壊家屋21274棟,流失家屋2442棟となっています。

なお,この高潮により,江戸時代以来続いていた行徳の塩田が大打撃を受け,姿を消しました。浦安ディズニーランドが開園したころまであった谷津遊園は,その塩田の跡地につくられたのだそうです。

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  1. ともに補正前の値。 

公営競技と台風

1955年9月29日22時ごろ,台風22号薩摩半島に上陸しました。九州を縦断して日本海に抜け,北海道に再上陸する前後に温帯低気圧に変わりました。

この台風は,どちらかというと日本海を通過中の10月1日に発生した新潟大火で知られていますが,上陸時の中心気圧が940mbと勢力が非常に強かったため,九州から中国・四国地方にかけて暴風と高潮による被害も大きく,それに加えて竜巻が発生したこともあり,死者・不明68人,重軽傷314人など,あまり知られていない台風にしては大きな被害が出ています。

当時,柳井市南浜(ただし現在の地名。当時の地名は知らん(^^;))にあった柳井オートは,高潮による浸水を受け,さらに堤防の決壊も加わり,敷地全体が水没した上にスタンドなどの建物も全半壊しました。

翌年1月にはなんとか開催にこぎつけましたが,折からの経営不振もあり,1957年に山陽オートに移転という形で,事実上廃止されました。

競馬に限らず,競輪にしても競艇にしてもオートにしても,一定水準以上のコースを維持しなければならない上に広大な敷地を抱えているわけで,しかもすぐそばに川や海があったりすることも多く,台風などの自然災害には弱いといえるでしょう。

最近では,レース場の数も減ったせいか,台風による大きな被害は聞きませんが,2004年,台風16号による高潮で高松競輪場のバンクの内側が水没しました。しかし,10月の共同通信社杯競輪(G2)は予定どおり行なわれました。ちなみに,高松競輪と観音寺競輪で2005年1月に「台風災害復興支援競輪」を開催したことは,いつかの日記で書いたような気がします(誰も読んでないでしょうけれど(笑))。

また,2002年には台風6号によって次のようなこともありました。

競争《ママ》馬のひざ付近まで水位

 足利市五十部町の渡良瀬川河川敷にある足利競馬場では、11日午前2時過ぎから放水路の水位が上昇、競馬場東側の厩(きゅう)舎兼住宅11棟が床上浸水した。午前4時ごろには2家族が孤立、市消防がボートで救出した。けが人はなかった。
 厩舎では馬400頭が飼育され、一時は水が馬のひざ付近まで上がってきたという。馬はぬれたエサを食べないため、厩務員は乾いた地面を探して、ぬれた干し草を干し直したり、厩舎にたまった水をくみ出すなどの復旧作業に追われた。
 ある厩務員は「馬が無事だから良かったが、脚に傷があるまま水につかると、そこから菌が入るのではないかと心配だ。しばらく気を抜けない」と疲れた表情で話した。[2002年7月12日19時3分更新]毎日新聞

いまはなき,足利競馬場……。