ハチ公が大ブレーク

1932年10月4日付の東京朝日新聞朝刊に「いとしや老犬物語」というタイトルの記事が載りました。

いとしや老犬物語
今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間

東横電車の澁谷驛,朝夕眞つ黒な乘降客の間に混つて人待ち顏の老犬がある,秋田雜種の當年とつて十一歳の――ハチ公は犬としては高齡だが,大正十五年の三月に大切な育ての親だつた駒場農大の故上野教授に逝かれてから,ありし日のならはしを續けて雨の日雪の日七年間をほとんど一日も欠かさず今はかすむ老いの目をみはつて歸らぬ主人をこの驛で待ちつづけてゐるのだ,・・・・
(※上野教授が亡くなったのは正しくは1925年5月21日です)

定説では,「日本犬保存会の斉藤弘吉が、渋谷駅で邪険に扱われているハチを哀れみ、ハチのことを東京朝日新聞に寄稿した。これが「いとしや老犬物語」として新聞に載り……」(Wikipedia)ということになっています。

ところが,そうだとするとおかしな点があります。上の記事を見てください。「秋田雑種」とあります。この時点ではハチ公は雑種と認識されていたのです。「日本犬保存会」の斉藤弘吉なる人物はハチ公を純粋な秋田犬だと思っていた人物だそうですから,その人の投稿なら,あるいは息のかかった記事ならば,「秋田雑種」などという語句はあり得ないはずです。まあ,ふつうに考えれば,ハチ公が秋田犬ではなかったひとつの根拠でしょう。

ハチ公が純粋な秋田犬であると紹介しているブログやホームページでは,あとで訂正記事が載ったとか,斉藤弘吉なる人物の反論が載ったとか書いてあったりしますが,何日付の何新聞とソースをきちんと書いてあるものを見たことがありません。そんな記事ホントにあったのでしょうか。(訂正記事ではなくたんに秋田犬とか秋田種とか書いてある記事ならば複数存在するのは知っています)
それに,そもそも昭和1ケタの時代に“純粋な秋田犬”なるもの存在したのでしょうか?
この記事については,渋谷駅前の焼き鳥屋の常連客だった連合通信社会部の細井芳蔵記者が書いたとする説もあります。こちらのほうが筋が通っています。

いずれにしても,この記事のおかげでハチ公はブレーク,渋谷駅には「ハチ公音頭」が流れ,駅前ではハチ公まんじゅうにハチ公せんべいが売り出され,ハチ公そばの店までできました。今の渋谷からは想像できません。当時の渋谷が田舎だったということでしょう。

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