近時本邦に襲来したる颶颱中最も顕著なるものの一

1899年10月7日,「近時本邦ニ襲来シタル颶颱中最モ顕著ナルモノゝ一」つが潮岬の南方から接近,14時ごろ沼津付近,15時20分ごろ東京付近を通り,夕方には太平洋に去っていきました。

東京では15時に気圧722.8mmHg≒963.7hPaを観測,この気圧は現在でも東京の日最低海面気圧の第3位にランクされています。なお,「中央気象台年報」によると15時20分に最低気圧722.6mmHgが観測されているんですが,こちらが採用されていない理由は不明です。

この最低気圧を観測した前後にそれまでの15m/s内外の風がウソのように静まりました。しかし2,3分で再び急に強くなり,15時55分に最大瞬間風速39m/sを観測しました。

この台風により,東京市(当時)では不明1,負傷5,家屋全壊92,同半壊22,同破損2306,同浸水18998などの被害が出ています。

東京以外では,利根川の権現堂堤の決壊,駿河湾相模湾の高潮による被害などもあったようです。静岡・田子浦村では“海嘯”により100人あまりが死亡したと当時の新聞にあります。

この台風で最も有名なのは,箒川鉄橋列車転落事故でしょう。Wikipediaによると次のような事故のようです。

当時日本鉄道の路線だった東北本線矢板~野崎間で発生した明治時代最大の鉄道事故である。当日、折からの台風接近による強い風雨をついて、上野発福島行きの貨車客車混合第375列車(機関車2両+貨車11両+客車7両)は矢板駅を約1時間遅れで17時頃発車した。箒川鉄橋を通過中突風にあおられ、この瞬間貨車最後尾の緩急車の連結が外れて緩急車とその後ろの客車7両が鉄橋上で転覆、そのまま箒川へ転落した。増水した川の濁流で貨車・客車は砕かれ、一部の遺体は下流の茨城県まで流されたという。死者19名、負傷者38名。
対策として、大雨・強風時などに運転抑制を行うことが検討されたが、運転抑制するべきか判定が難しく具体化までまだ時間を要した。
現在、鉄橋の両詰には事故を悼んだ慰霊碑が残されている。

この事故の発生時刻についてはWikipediaだけではなく何を見ても書かれていないのですが,誰も調べていないのでしょうか? それともそもそも不明なのでしょうか?

ちなみに箒川鉄橋では,1950年1月10日にも強風によるとみられる列車転落事故が起こっています。

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