1941年11月28日06時40分ごろ,豊橋市を竜巻が襲い,郡是製糸工場の宿舎が倒壊して女子工員2人(3人?)が死亡したのをはじめ,全体で死者12人,重傷者10人,全壊家屋22戸,半壊家屋210戸などの被害がありました。
当時の資料や新聞にある“風速60メートル”というのが本当だとすれば,藤田スケールでF2クラスの竜巻だったことになります。名古屋新聞には“風の戦車”という表現が使われており,時代を感じます。
この竜巻は寒冷前線の前面の暖気内で発生したようで,同じ日,東京では“生暖かい雨”が強風を伴って豪雨となり,南部と江東方面で浸水が発生,“城東電車”が運転をストップしています。
やがて無謀な開戦とともに気象管制がはじまるので,これが敗戦前最後の気象災害報道となりました。
ちなみに,豊橋はこのあとも1969年12月と1999年9月に強い竜巻に襲われています。とくに1999年の竜巻の強さはF3で,日本で観測されたF3の竜巻は1990年12月に千葉県茂原市を襲った竜巻,2006年11月に北海道佐呂間町を襲った竜巻とこの豊橋の竜巻の3つだけです。