タイトルは,1952年1月15日付朝日新聞の見出しです。続けて
新年からもう76名
昨年中に千名 15-19歳が大部分
とあります。
さて,日記にしるされた恐怖の文字 – 能天気Express(Hatena版)で書いた「三鷹女子中学生失踪事件」ですが,14日になって急展開します。
12日に失踪して誘拐された疑いもある智佳子さん(=仮名)が新宿の旅館で無事保護されたのです。智佳子さんの語る足取りはおおよそ次のとおりでした。
- 12日朝ピアノのおけいこに行く途中,40過ぎの大阪弁の男に捕まった。そして四谷付近の家に連れて行かれた。
- その家には不良っぽい男が4人ほどいて,「両親に,金を持って助けに来てください,と書け」と脅された。
- 書かずにがんばっていると,夜8時ごろ男たちは外に出て行った。そのすきに逃げたが捕まった。
- 13日になって再びすきを見て逃げ出し,四ツ谷駅から国電(=死語)に乗り,新宿の旅館に泊まった。
まあ,女子中学生や女子高校生がストーカーに捕まったとき真っ先にされることはだいたい決まっているので(<おい(^^;)),かなり無理のある供述であることは本人以外には誰でもわかるでしょう。
警察もそういう見かたをしたかどうかはわかりませんが,裏づけ捜査を行なったところ,四ツ谷駅付近には智佳子さんが述べたような家はない,智佳子さんと思われる少女が京都駅前の旅館に宿泊した……というような事実が判明しました。それに基づいて事情を聞いたところ,智佳子さんは次のように白状しました。
- ストーカーされていたのは作り話で,家出するための口実だった。
- 智佳子さんは養女で,生みの親に会いたかった。ただ,そこに行くと家出がバレるので,遠く離れたところに行って自活するつもりだった。
智佳子さんは水戸市内に住むY氏の四女で,9歳のときに子どものいない実弟の大手建設会社役員の家に養女にはいったそうです。よくはしてもらっているものの実家も懐かしく,それが募っての計画的家出――というのが真相でした。