皇極天皇四年六月十二日,飛鳥板葺宮の殿中において,中大兄皇子が蘇我入鹿に突然,
この間の遺恨おぼえたか!!
と斬りかかりました。留守居役の中臣鎌足も
殿中でござる!!
と止めにはいるふりをして中大兄に加勢して蘇我入鹿にひと太刀ふた太刀浴びせたものだから,蘇我入鹿は
話せばわかる!!
と抵抗することもできずその場で絶命しました。
これが世にいう乙巳のクーデターです。なんかちょっと(かなり?)違うような気が……。
ちなみに,『日本書紀』のこの日の条に
是日雨下潦水溢庭
とあります。時期的に梅雨末期にあたり(ユリウス暦で645年7月10日),飛鳥付近にいわゆる梅雨末期の豪雨でもあったのかもしれません。