大蔵省炎上 (1940年)

♪あゝ 一億の民は泣く~と歌われた紀元二千六百年の1940年6月20日21時53分,麹町区大手町の逓信省航空局新館に落雷して炎上,火はみるみる広がり,航空局新館・旧館,農林省営林局,神田橋税務署,対満事務局,厚生省,大蔵省などが全焼しました。中央気象台の一画も焼けました。

「気象要覧」によると,このときの雷雲は17時30分ごろ荒船山の東斜面に発生し,御荷鉾山→群馬県藤岡町→熊谷市鴻ノ巣町→大宮町→浦和市と移動してきたもので,東京市で大暴れしたあと,23時10分ごろ千葉県勝浦町沖の太平洋で消滅しました。ひとつの雷雲がこのような長時間にわたって存在し続けるとは考えにくいので,おそらくマルチセル型だったのでしょう。

この年は奇しくも平将門公の没後1000年にあたっており,雷が落ちたのは将門公の首塚の近くでした。もともと大蔵省はこの首塚を取り壊そうとした経緯があるので,将門公のたたり再燃と噂されました。平将門は菅原道真の生まれ変わりという説もあるそうで,そうだとするとたたりの手段に雷を使ったというのも説明がつきます。

ちなみに,大蔵省本庁舎に落雷したとする文献やサイトがありますが,誤りです。そちらのほうが話としては面白いですが。

※この記事は大蔵省炎上 | 能天気Express Hyperほとんどそのままです。

付記

国会図書館の近代デジタルライブラリーで中央気象台彙報. 第17冊 昭和15年6月20日關東地方の大雷雨 雷雨報告という文献が公開されています。

20140620-1

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