豊橋市で竜巻 (1941年)

1941年11月28日06時40分ごろ,豊橋市を竜巻が襲い,郡是製糸工場の宿舎が倒壊して女子工員3人1が死亡したのをはじめ,全体で12人が死亡しました。12人というのは明治以降の竜巻による死者の数では2番目ですが,なぜかあまり知られていません。

1941年11月29日付名古屋新聞より:

今曉,豊橋に大旋風
死傷百五十名 倒壊三百七十戸

二十八日朝六時四十分ごろ豐橋市に秒速六十メートル(推定)の豪雨を伴ふ大旋風が襲來倒潰家屋四十四戸,半壞家屋三百三十戸,小破損家屋千餘戸を出し,下敷きとなった壓死者十二名,重傷三十名,輕傷百十三名を出した

“風速60メートル”が本当だとすれば,藤田スケールでF2クラスの竜巻だったことになります。同紙面の別の見出しでは“風の戦車”という表現が使われており,時代を感じます。

この竜巻は寒冷前線の前面の暖気内で発生したようで,同じ日,東京では“生暖かい雨”が強風を伴って豪雨となり,南部と江東方面で浸水が発生,“城東電車”が運転をストップしています。

やがて無謀な開戦とともに気象管制がはじまるので,これが敗戦前最後の気象災害報道となったと思われます。

ちなみに,豊橋はこのあとも1969年12月と1999年9月に強い竜巻に襲われています。とくに1999年の竜巻は日本で観測された4つのF3クラスの竜巻のひとつです。

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  1. 2人という資料もあります。