集中豪雨

AD1953/08/14 この日の夜から15日朝にかけて,東近畿で集中豪雨。湯殿村@京都で428mmを観測。井手町@京都の大正池の堤防が決壊し,680戸が流出。また稲尾村@滋賀では山崩れで41人が死亡。被害は京都・奈良・滋賀・三重・愛知で290人死亡,139人不明,994人負傷,破損住家1777,浸水家屋21517など

局地的な豪雨のことを「集中豪雨」ともよびます。最近はあまり使われなくなっているような気がしますが。このことばがはじめて使われたのは,上の災害を報じる1953年8月15日付朝日新聞大阪本社夕刊の次の記事ということになっています。

十四日夜中から十五日未明にかけて裏日本から南下した寒冷前線は激しい雷と豪雨を伴って京都,滋賀,奈良府県境付近にあたる木津川上流に集中豪雨を降らせ,同地方各地に死傷者,浸水,流失家屋など多大な被害を引き起こし,三重県下でも同様の被害が起っている。

ところが,この新聞の現物を見てみると(実際にはマイクロフィルムですが),この記事の前にでっかく!?

集中豪雨 木津川上流に

という見出しがあるのです。

「集中豪雨」の用例の最初としてこの記事に触れている本などはかなりありますが,この見出しに触れているものは私の知る限りでは平塚和夫『日常の気象事典』(ただし,私の持っている版では“木津川”が“十津川”と誤植されている。西村京太郎のトラベルミステリーじゃあるまいし(笑))と『NHK 気象ハンドブック』だけです。平塚和夫氏やこの記事を最初に見つけた宮澤清治氏はちゃんと原典にあたって調べたのでしょうけれど,他の著者たちは原典を見ていないのでしょう。

ちなみに,『天気図と気象の本』の旧版(1978年)には,元祖集中豪雨は1958年7月1日付の朝日新聞夕刊の次の記事だと書いてありました。

島根県浜田地方に30日夕方6時から1日午前7時までに 200mm の豪雨があり,とくに夜中の3時から朝7時までに 160mm という集中豪雨が降った。

あることばが最初に使われたのはいつかを調べるのは難しいです。まあ,春一番なんていまだにウソが立派に通用していますし。

さて,このようにして使われはじめた「集中豪雨」にはハッキリとした定義があるわけではありません。一般にはどのような意味で使われているのか,お気に入りの3冊の国語辞典で調べてみました。

広辞苑……局地性の豪雨。積乱雲が狭い地域で次々と発生・発達を繰り返すと起る。梅雨前線・秋雨(あきさめ)前線・台風などが近づいたり通過したりすると起りやすい。

大辞林……比較的狭い地域に短時間に降る豪雨。

新明解国語辞典……短い時間続けて比較的狭い地域に強く降る雨。多く,つゆ時から秋の台風期にかけて降る。〔正式の気象学用語ではない〕

名前どおり『新明解国語辞典』がもっとも明解です。私の感覚にも近いです。

広辞苑』と『大辞林』は「豪雨」が何であるかがわからないとわからない書きかたになっているので,それぞれで「豪雨」を調べると,次のようになっています。比較の意味で『新明解国語辞典』も載せました。

広辞苑……一時に多量に降る雨。大雨。

大辞林……激しく多量に降る雨。大雨。

○新明解……短時間のうちに多量に降る雨。

さらに,「大雨」を調べると,

広辞苑……ひどく大量に降る雨。

大辞林……ある時間はげしく,多量に降る雨。

○新明解……激しく降る雨。

調べれば調べるほどわからなくなっていく国語辞典の特徴があらわれてきました(笑) 続けて「小雨」などをひくと,ますますわからなくなります。まあ,これが辞書ひきの楽しさでもあるんですけどね。

DQNサーファー落雷事故

今年は水による事故が多いような気がしますが,例年,7月下旬から8月上旬にかけては落雷による人身事故が多い時期です。夏休みにはいってちょうどお出かけごろ……ということもあるでしょうが,お天気サイドから見ると,この時期は太平洋高気圧の勢力が一時的に弱まり,上空に寒気がはいって大気が不安定になりやすい,ということができます。ただしこれはあくまでスローガン的なもので,もちろん年によって違います。

この時期の落雷死亡事故をざっと見てみましょう。すべてを網羅しているわけではありません。そんな根気はないし,興味も関心もありません。

1955/08/03 長野県伊那富士見台でキャンプ中の中学生4人
1967/08/01 西穂高岳の登山パーティーの11人
1971/08/08 朝日連峰で高校生を引率中の教師1人
1973/08/05 長野県の校庭や水田などで3人
1973/08/06 日光のゴルフ場で2人
1974/08/02 大阪のゴルフ場で3人
1975/08/06 三重県のゴルフ場で2人
1987/08/05 高知でサーファー6人
1991/07/27 宮城県のゴルフ場で1人
1998/08/12 愛知県のゴルフ場で1人
2001/08/04 岡山県のゴルフ場で1人

これを見ると,昔は登山中の事故が多かったのに対し,最近はスポーツ中(とくにゴルフ)の事故が多いように見えますが,一般的な傾向なのかどうかはわかりません。

一般に,落雷事故は人災的な面が大きい場合が多いです。その中でも起こるべくして起こったとしかいいようのないのが,1987年8月5日に高知の生見海岸で起こったサーファーの死亡事故です。

この日,日本海に前線を伴った低気圧があり,前線がゆっくりと南下,その前線に向かって暖かい湿った空気が流れ込んでいました。一方,上空には寒気がはいってきており,上層に寒気,下層に暖湿気流という,大気の不安定の典型的な(というより入門的な)パターンになっていました。このため高知地方気象台は,01時20分に雷雨注意報(今の雷注意報に相当)を発表していました。

ちなみに,内陸部の雷は午後から夜にかけて発生することが多いですが,海岸部では夜間から早朝にかけて発生することがよくあります。これは内陸部の冷えた空気が陸風によって海面上の比較的暖かい空気の下にもぐりこんで持ち上げるから,と考えられています。

さて,5日早朝,生見海岸では激しい雨にもかかわらず,約50~60人がサーフィンをしていました。しかし,雷鳴が聞こえたため20人は岸に上がり,残りは2つのグループに分かれてなおもサーフィンを続けていました。06時45分ごろ,このうちのひとつのグループに落雷,20人ほどが気を失って海に浮かびました。付近の民宿の人や無事だったサーファーらが救助しましたが,6人が死亡,2人が重体,5人が重軽傷を負いました。このとき雷の直撃を受けたのは1人で,あとは海水を伝わる電流に感電したようです。事故の直後,現場の海は不気味に赤茶けて泡立っていました。(以上,高知新聞による)

頭の上で雷が鳴っているのにサーフィンを続けるなどという行為が自殺(未遂)行為以外の何ものでもないことは,少なくともこのときサーフィンを続けていた連中以外には稲光を見るより明らかでしょう。

ところが,なんだかよくわかりませんが,「海には雷は落ちない」という伝説があったそうです。実際,それまではサーフィン中の重大な落雷事故はなかったようです。しかし,裏を返せば雷が落ちるような危険な状況でサーフィンをするようなDQNはそれまではほとんどいなかったといったところなのでしょう。かりに海に雷が落ちなくても,人や船には落ちます。

一般論でいえば,事故がないからといって安全だとは必ずしもいえません。安全でないからといって事故が起こるとは限らないからです。

産業災害では,「ハインリッヒの法則」とよばれる有名な経験則があります。

1件の重大災害の陰には29件のかすり傷程度の軽い災害があり,さらにその陰には300件のケガはないもののヒヤッとした体験がある。

そのままあてはまるかどうかは別として,こういった無謀事故を考えるときの参考にはなるでしょう。

ちなみに,この朝,生見海岸に近い東洋町の甲浦漁協では,大雨と激しい雷雨のために出漁を取りやめたそうです。「午前四時ごろから生見の沖台方面に出漁するのだが,今年一番の激しい雷雨が休漁させた」(高知新聞)

シツコイようですが,こんな中でサーフィンを続けるなんてのは狂気の沙汰です。こんなDQNが引き起こした事故の処理に税金が使われるのは納得できません。かかった費用は本人か遺族に請求すべきです。

台風は沖縄には上陸しない

沖縄本島地方が台風4号の暴風域にはいるのも時間の問題という状況です。十分にお気をつけください。なんてとおりいっぺんのことばですがm(_ _)m

さて,台風がいくら沖縄に接近しても,台風が沖縄に上陸することはありません

それは,上陸とは「台風の中心が北海道・本州・四国・九州の海岸に達した場合」と気象庁で定義しているからです。

一方で,「台風の中心が小さい島や小さい半島を横切って短時間で再び海上に出る場合」を通過といっています。沖縄などの場合はこちらが該当します。

まあ,個人で使う分にはどうでもいい話です。

台風3号発生

05日09時 台風3号Torajiが発生しました。


●位置
 トンキン湾
 北緯 20度10分
 東経108度35分
●進行方向と速度
 北北西に15km/h
●中心気圧
 996hPa
●中心付近の最大風速
 18m/s
●暴風半径(風速25m/s以上)
 なし
●強風半径(風速15m/s以上)
 南西側220km
 北東側150km
●今後の予想
 06日09時
  ※熱帯低気圧に変わる
  中心
   華南
   北緯 22度20分
   東経107度55分
  予報円の半径 170km
  中心気圧 998hPa

ちなみに,Toraji(気象庁推奨の読みは“トラジー”)は北朝鮮が提出した名前で,“人知れず咲く美しい花”ということらしいです。そういえばキムちゃんがテポドーンとやってみちゃったのは去年の今日でした。

メイストーム・デーのメイストーム

今日5月13日はメイストーム
デー
です。詳しくは↓
http://blog.notenki.net/2006/05/post_6f31.html

例によって以前メルマガを発行していたとき,メイストーム・デーに低気圧が日本付近を通過したことはないか調べたことがあります。

1968年,1976年,1980年,1988年,1995年,2004年などがめぼしいところですが,
1968年と1988年以外は低気圧がそれほど発達したわけではなく,メイストームといえるほどではありません。

調べてわかったことですが,なぜかこの日は移動性高気圧におおおわれることが多いです。そのせいで,
東京では特異日というほどではないにしても晴れが多いです。別れ話を切り出すなら,
メイストームのドサクサまぎれより,さわやかな“五月晴れ”のもとでのほうがカラッとしていいかもしれませんね。

どうでもいいですが,「さわやかな“五月晴れ”」は575の定型詩にケンカ売ってます(笑)

定着するか?「平成18年豪雪」

去年の明日のニュースから:

◎「平成18年豪雪」命名を検討=今冬の大雪、43年ぶり-気象庁 (時事通信社 -2006年02月22日 12:20)

 気象庁は22日までに、今冬の大雪について「平成18年豪雪」と命名する方向で検討を始めた。死者数が21日現在で134人と戦後2番目に多くなっていることなどを考慮した。命名が決まれば「昭和38年1月豪雪」(三八豪雪)以来、43年ぶりとなる。 

時事通信社

もっとマシな名前はないのかとか,さんざんいわれていました。確かに,だからなんだよ,もっと真面目に“検討”しろよ,といわれてもしかたがないいかにもお役所的な名前です。

今のところ“去年の豪雪”とかいわれているだけですが,将来的には三八豪雪五六豪雪のように通称は一八(イッパチ,イチハチ)豪雪になるのでしょうか。

一部でそうよばれることはあっても,おそらく定着はしないでしょう。三八にしても五六にしても一八にしても枠番連勝複式みたいで,3連単の時代にはそぐいません(笑)

 

バレンタインデーの春一番

東京でバレンタインデーに春一番が吹いたことは,過去に1965年と2004年の2回あります。

まず1965年から。

1965年2月14日の朝日新聞夕刊に「ポカポカと“春一番”」とあります。しかし,記事の中に“バレンタインデー”ということばはひとことも登場していません。

“バレンタイン”が新聞の見出しに初登場したのは,検索しやすい朝日新聞で見てみると,1963年2月15日の次の記事です。

  「恵まれない子どもたちのために愛の募金を」――と十四日中央区銀座四丁目の三愛ドリームセンター前などに「愛の募金箱」が置かれ,町をいく人の足を止めた。

   この日はカトリックの聖人バレンタインの日で,一般に“愛の日”とされるのがならわし。その愛を気の毒な子どもたちへも,と同店の店員さんがタスキをかけて立ち,小さなスミレの造花を道行く人に配りながら募金を呼びかけた。当方スター藤山陽子さんらも応援にかけつけたが,募金に応じたのはやはり若い人たちが圧倒的に多かったという。

このように,当時はまだ「バレンタインの日」でした。“バレンタインデー”の初登場は,1973年まで下ります。

ちなみに,1965年のバレンタインの日,南からの暖かい風によって山中湖の氷上スケート場で氷にヒビがはいり,幅1km,長さ2kmの氷が200人を乗せたまま沖に流れ出るというハプニングが起こりました。

お次は2004年。

バレンタインデーもすっかり定着していたはずですが,バレンタインデーと春一番を絡めた記事は比較的少なく,σ(^^;)が集めた限りでは次の神奈川新聞くらい。

   関東では十四日、昨年より十八日早く春一番を観測。横浜では瞬間最大風速二十四・三メートルの強い南西風が吹いた。

   午後二時半に最高気温十五・四度を記録(横浜地方気象台調べ)、平年より五度高い陽気となった。山下公園では、風にコートをはためかせ散策する人でにぎわった。夕方になっても、多くの人がベンチに座り、眼前の豪華客船のまばゆいライトアップを楽しんでいた。
   同日はバレンタインデーとあって、薄暮に浮かぶ客船を前に彼女からチョコを贈られていた会社員男性(29)は「春ももうすぐですね」と話していた。

せっかく育んだ愛が風によって吹き飛ばされてしまわないように,くれぐれもお気をつけください。

もっとも,今回乗り切ったとしても,5月13日にはもっとこわいメイストームデーが待ちかまえています(笑) メイストームデーについて詳しくは↓
http://blog.notenki.net/2006/05/post_6f31.html

 

東京の2月の雪 (part 2)

前回に引き続き,東京での大雪によるドタバタです。ただし今回はランク順ではありません。

●1951年2月15日

この日,東京で歴代4位となる積雪33cmを観測しました。

朝日新聞によると,状況は次のとおりです。

中央気象台十五日午前二時発表=八丈島付近にある九七六ミリバールの強い低気圧はますます発達しながら毎時五十キロの速さで北東に進んでいる。このため東京地方は風速二十五メートルを越(ママ)える暴風雪となり,瞬間風速は三十メートルを越(ママ)えるところもあり,積雪量は三十センチを越(ママ)え,各所に深い雪だまりを作っている。

ここまで中心気圧の低い低気圧が関東南岸を通過することはあまりなく,中央気象台でも“東京地方では前代未聞”として注意を呼びかけていました。

この暴風雪のため,東海道線はストップ,4年ぶりに都電にラッセル車が出動しましたが,一部ラッセル車もきかない箇所もありました。

時間は前後しますが,夕方7時ごろ,上野公園のスロープにスキーヤーが数人現われ,“汽車節約のゲレンデ”とシャレこんでいたものの,間もなく猛吹雪で退散したそうで(朝日新聞より),見かけによらず根性なしの連中でした(笑)

また,時間帯はよくわかりませんが,銀座でもスキーが楽しめたそうです。

暴風雪は15日朝には過ぎ去り,春の日が射して気温は7.1℃まで上がり,雪の街は一転して泥の街と化しました。丸の内,浅草などの映画館は午後からの営業となりましたが,出勤してもろくに仕事のないサラリーマンや休講の学生などでけっこう賑わったそうです。また,この日デパートでいちばん売れたのはスコップだったとか。

●1967年2月10~12日

10日未明から降りはじめた雪は,南岸に前線が停滞したこともあり,12日まで降り続きました。降雪の深さは10日2cm,11日16cm,12日6cm,最深積雪は10日1cm,11日17cm,12日21cmとなっています。

また,北高型の気圧配置のために北から冷たい空気が下層に流れ込んできて気温が上がらず,11,12日の最高気温はそれぞれ0.0℃,-0.2℃で,これは1956年以降,東京の低い最高気温の2位と1位の記録です(気象庁天気相談所調べ)。また,2日連続で最高気温が0℃以下というのはもちろん新記録で,これ以降もありません。

この雪のため,羽田空港は一時全面閉鎖,“空港雪原”の上を除雪車が雪煙を上げながら走り回っていました。また,例によって東海道新幹線は遅れが相次ぎ,国電も運休が続出しました。

熱海では,交通止めで立往生したドライバーが通常1泊2000円程度の中級旅館に泣く泣く6000~8000円も払って宿泊する姿も見られました。

12日の東京競馬は中止となり,これは中央競馬会発足以来初の雪による東京競馬の中止となりました。ちなみに,東京競馬以外では中京競馬が1965年12月に雪のために中止になっています。

明けて13日は朝から久々の青空が広がりましたが,最低気温は-4.0℃まで下がり,国電各線は冷え込みと積雪のためにポイント故障やドア故障が相次ぎ,連休明けの通勤の足が大混乱しました。

●1994年2月12日

最近ではいちばんの大雪で,最深積雪は1969年以来となる23cmを記録しました。例によって交通は大混乱,佳境にはいっていた大学入試も大きな影響を受けましたが,3連休の最中であったため,雪の量の割には混乱は少なかったようです。

ちなみに,σ(^^;)は食料調達のほかはずうっと家にいて,パラボラアンテナに積もった雪をはらった後,リレハンメル冬季五輪の関連番組をほとんど一日中見ていました。だから,この日の雪は単独ではほとんど印象がなく,リレハンメル五輪とつながって記憶されています。

●1996年2月17~18日

17日から雪が降りはじめ,18日には最深積雪が14cmになりました。横浜では22cmを記録しています。

この雪のため,15,000人が参加する予定だった青梅マラソンは,30回目にして初の中止になりました。

また,どんなことがあっても試合を行なうというタテマエだけは立派なラグビーの,しかも国内最高峰である日本選手権の決勝が順延になるという珍事が発生,「ラグビー本日スノーサイド」とお寒いオヤジギャグのネタになりました。ラグビーの日本選手権はこの2年後にも1回戦がやはり雪のために順延になっていますから,どんなコンディションでも試合をやるとは二度と口にできないでしょう(笑)

前日の17日には,北海道・豊浜トンネルの崩落によって押しつぶされたバスに閉じ込められた乗客の救出作業が行なわれ,また,ニューギニア近海で発生したマグニチュード8.0の地震に伴う津波警報が発表されました。それに加えての大雪で,テレビから目の離せない2日間でした。

早すぎた“春一番”

春一番についてはいずれ詳しく書くこともあると思いますが,簡単にどういうものかというと,
現在では次のような基準が決められています。

立春から春分までの間で,日本海で低気圧が発達し,はじめて南寄りの強風(東南東から西南西,8m/s 以上)が吹き,
気温が上昇する現象

現在発表しているのは,本庁(東京),鹿児島,福岡,広島,高松,大阪,名古屋,新潟の各気象台です。
気象台によって若干基準が違うようですが,立春から春分までというのは共通しています。

“立春から春分まで”というのがポイントです。1日でも違うといくらそれらしくても春一番とは認定されません。

1988年の今日,東京で最大瞬間風速21.8m/s(SW)の風が吹き,最高気温も14.9℃(前日比+6.4℃)まで上がったのですが,
2日ばかり早かったため春一番にはならず,2月5日に最大瞬間風速23.0m/s(SW),
最高気温19.7℃(前日比+11.0℃)が観測され,こちらが春一番となりました。まあ,
確かに5日のほうが春一番らしいといえばらしかったのですけどね。

1986年には2月3日に最大瞬間風速15.7m/sの風が吹き最高気温も前日より5.3℃高い14.5℃まで上がりましたが,
たった1日違いで春一番とはなりませんでした。

現在のような基準ができる前はもっとおおらかで,1966年2月3日付朝日新聞夕刊に「18.9度 節分に「春一番」」
という見出しがあるように,節分に吹いたこともあります。ただし,この年の春一番の公認記録はなぜか2月10日となっています。
これはおそらく現在の基準で再鑑定されたものでしょう。

あなたの知らない死語の世界

「MK5」「チョベリバー」などのように?! いつの間にやら使われなくなったお天気用語を少ないながら集めてみました。なお,「大陸せん風」や「颶風」などかなり昔に死に絶えたことばは入れてありません。

●台湾坊主

台湾付近で発生する低気圧です。急速に発達しながら日本の南岸沿いを通ると,強風などで大荒れの天気をもたらしたり,コースによっては太平洋側に“大雪”を降らせたりすることもあります。

最も有名な台湾坊主は「昭和45年1月低気圧」でしょう。当時の新聞には

“台湾坊主”ひとあばれ
“台湾坊主”各地で大暴れ

などの見出しが大きく躍っています。

「台湾坊主」がいつから使われなくなったかは定かではありません。ただ,『NHK最新気象用語ハンドブック』(1986年)には「「台湾坊主」は使わない」とあるので,1980年代までは使われることもあったのでしょう。『新版 NHK気象ハンドブック』(1995年)にはなんにも書いてないので,この時点までにほとんど死滅したと思われます。朝日新聞の見出しでは,1975年が最後です。

最近は「東シナ海低気圧」といわれることが多いです。また,日本の南岸を通る低気圧は「南岸低気圧」とよばれます。面白みのない名前です。

●弱い熱帯低気圧

今回取り上げた死語の中ではもっとも最近まで生きていたことばです。中心付近の最大風速が17m/s未満の熱帯低気圧のことでした。

1999年の夏,弱い熱帯低気圧のもたらした大雨によりDQNの川流れをはじめとする増水事故が頻発したのをきっかけに,翌2000年から廃止されました。同時に「弱い(台風)」「小型の(台風)」なども廃止されました。

それからというもの,たんに熱帯低気圧といった場合,総称なのか元“弱い熱帯低気圧”のことなのかわかりにくくなりました。また,やたらと“ただの台風”が増えることにもなりました。

ちなみに,σ(^^;)は元“弱い熱帯低気圧”を“ただの熱帯低気圧”,強さや大きさの表示がない台風を“ただの台風”とか“ノーブランド台風”とかよんでいます。

ついでに,気象の本は売れないので,ちょっと古い本がそのまま書店に並んでいたりすることも珍しくありません。それらの本には1999年までの台風分類表が載っていることもあるので,注意しましょう。

●暴風雨警報

1988年に廃止されました。替わって「暴風警報」が新設されました。それ以前は「暴風警報」はなく,雨に関係なく「暴風雨警報」でした。同時に「風雨注意報」も廃止されました。

なお,「暴風雪警報」「風雪注意報」は残っています。

●異常乾燥注意報・異常低温注意報・雷雨注意報

1988年から“異常”がつかなくなりました。また,「雷雨注意報」も「雷注意報」に短縮されました。

●暖冬異変

1970年代まではよく使われていました。最近は暖冬が当たり前になったので,いつの間にか死語になってしまいました。朝日新聞の見出しで見ると,1993年を最後に使われていません。

●地球の寒冷化

1980年代の前半くらいまでは,地球はだんだん寒くなるぞ~ゴルァ,といわれていました。いつの間にか温暖化教に主流の座を奪われました。いわゆる死語とは違うかもしれませんが,ついでに入れておきます。