メイストーム・デー

きょう5月13日はメイストーム・デーです。

この日に何かきっかけになるような事件や災害があったわけではなく,2月14日のバレンタインデーから88日後にあたり,“八十八夜の別れ霜”のごとくそろそろ別れ話が出てくるころ,裏を返せば別れ話を切り出すには手ごろな時期ということです。誰が考え出したのか知りませんが,よくできていると思います。

別れを告げるにせよ告げられるにせよ,備えあれば憂いなしです(ホントか?)。たとえきょうは乗り切ったとしても,次なるXデーに備えて今から準備しておきましょう。

ちなみに,八十八夜は立春から数えて88日目,つまり89日後で,バレンタインデーから数えて88日目は前日の5月12日です。メイストーム・デーを考えた人はあまり深くは考えなかったのでしょうねぇ。

ついでに,1961年5月12日付読売新聞夕刊より:

五月のアラシ けさ最大風速20メートル

○…けさ出勤間ぎわの午前9時ごろから東京地方では横なぐりの強風とともにはげしいにわか雨があり,サラリーマン,BGなどがズブぬれになった。これは一昨日から記録破りのむし暑さをつづける“天候異変”とつながる現象。

○…日本海から北海道にかけて大きな低気圧があり,この谷間に向かってしめっぽい南の風が吹き込んでいるためだ。強風はけさ五時には瞬間二十・一メートルにもなる“メー・ストーム”(五月のアラシ)となった。

これが私が調べた範囲でのメイストームの新聞初出です。

ゴールデンウィークとお天気

今日から世の中はゴールデンウィークだそうで。NHKではいつのころからか大型連休といってゴールデンウィークとはいわなくなりましたが,NHK的には小型連休ってのもあるんでしょうか。

ゴールデンウィーク”(以下GWと略します)は,1951年ごろから映画業界で使われはじめたことばのようです。娯楽の少なかった当時は,映画が身近なレジャーだったのでしょう。今流でいえば“安近短”,なんてもう死語かも。

新聞への初登場は朝日新聞に限れば1953年5月8日で,

邦画に押された洋画
ゴールデン・ウィークの興行成績
東京の映画街 トップは東宝の「妻」

と書かれています。このとき公開されていた映画は,邦画では「妻」の他に「花の講道館」「姉妹」「山下奉文」「池田屋騒動」など,洋画では「地上最大のショウ」「可愛い配当」「栄光何するものぞ」「果しなき蒼空」「底抜け落下傘部隊」などで,もちろんσ(^^;)はどれひとつとして知りません(笑)

翌年,1954年4月20日夕刊にも「てんやわんやの宣伝戦」という見出しでGWの映画の話題があり,君の名は(第三部)と七人の侍が激戦になりそうだと書かれています。このふたつの映画なら映画オンチのσ(^^;)でも知っているし,観たこともあります(テレビでですが)。

遭難事故

GWの時期の記事を見ていて目につくのはそうなんです……ではなくて遭難です。とくに山での遭難,いわゆるパンパカが目立ちます。もっとも,いくら人出が多いからといってディズニーシーあたりで遭難する人はいないでしょう,ふつ~。というより,あれだけ人が多ければ1人や2人いなくなってもわからない?! しかも夢の世界だし……。

そのパンパカですが,最近になって起こりはじめたわけではなく,GWの歴史とともにあるようです。1958年が“空前の登山ブーム”だったそうで,そのあたりから記事がぼちぼち目立ってきます。

そして1965年,低気圧が太平洋岸を発達しながら通ったために山は「猛ふぶき 死の春山」(朝日新聞)になり,15件の遭難が発生し,少なくとも55人が死亡しました。これに対しては当時も無謀登山だという批判があったようで,

県山岳遭難防止協会の関係者は「こんな日にまさか行動するバカものはいまい」とみていたが,この常識を裏切る遭難が続出した。(朝日新聞)

このように,バカものは最近になって現われたわけではなく,昔からいたことがわかります。

その後も1972年,1989年,1992年,1993年などに大量パンパカが起こっています。いずれも上空に寒気がはいっているという共通点があります。上空に寒気がはいると,山の上は冬に逆戻りです。また,大気が不安定になって雷も発生しやすくなります。

1972年は3月に富士山での大量パンパカがあったばかり。「実力相応の山選べ」との警告も出ました。

ちなみに,いろいろエラそうなことを書いているσ(^^;)は,パンパカの可能性は限りなくゼロに近いです。山にはまったく興味がないからです。登って下りてくるだけという,無駄なことはしません(笑)

予報がハズレて予定が狂った?!

天気予報がハズレるのは珍しくもなんともないですが(とくに週間予報は),1978年のGWの天気予報は,序盤(29~30日)はまずまずだったものの,そのあとはこれでもかというほどハズレまくり,哀愁が漂うほどでした。

これに対し,気象庁は「“はずれ”というよりは“ズレ”というべきですが」などというしょうもない弁明をしましたが,ズレでもなんでもはずれははずれです。競馬の予想屋と違って気象庁は往生際が悪いです。自分のフトコロが痛まないからねえ。

この年は28日に29日~7日までの予報,つまり10日先までの予報を発表しています。気象庁は現在は晴れとかくもりとかの予報については7日先までしか発表しませんから,精度はともかく,今よりもサービスがよかったことになります。

ちなみに,現在は民間気象会社にも10日先までの予報が認められていて,それはそれはスバラシイ精度です。信用するとエラい目が見られます。7日先と8日先の間で時空の谷間を通過するんじゃないかと思われるほど全然違うことも多いです。

連休明けの灼熱地獄

1992年。連休明けの5月6日,この年から登場したのぞみ型車両を使った「ひかり238号」が名古屋-三河安城間で故障し停車しました。気温が30℃以上にも上がった車内には「新しい車両なので,ブレーキの直しかたがわかりません」というふざけたアナウンスが……。よくもまあ暴動が起こらなかったものです。

観測史上もっとも早い台風の上陸(1956年)

1956年4月25日,台風3号Thelmaが九州に上陸してすぐに消滅しました。

25日付朝日新聞夕刊より:

台風三号 消える

台風三号は二十五日朝九州の南沖まできて消えた。中央気象台の観測では朝六時,台風の名残りとみられる小さい低気圧が宮崎県沖にあるが,陸地では風もなく所によってにわか雨が降っただけ。しかしこのように四月中に台風が日本に近づいたのは,大正六年以来三十九年ぶりという珍しい記録を作った。
なお台風とは別に二十五日朝,朝鮮海峡の低気圧が裏日本ぞいに東進しはじめたので,天気は西日本からくずれ,低気圧に吹き込む南風で蒸し暑くなった。
このため,二十五日午前十一時半「東京地方は今夜から二十六日にかけて南寄りの風が強くなる」との強風注意報が出た。

「気象要覧」(1956年4月)より:

台風第3号は・・・(中略)・・・その後ルソン島に接近するにつれて次第に衰え,ルソン島中部を通過して南支那海に出た22日朝には中心示度は990mb前後に衰弱した。台風は同日の午後から翌朝にかけて北東に転向し,そのころ中心示度は一時深まつたが,石垣島宮古島の間にあつた24日9時ごろは中心示度は996mbと再び衰えた。25日早朝,台風は大隅半島南部を通過し,同日9時過ぎに宮崎市の南東海上で消滅した。

今の気象庁用語からすれば,上陸というより通過といったほうがいいかもしれません。

気象庁のベストトラックデータは次のようになっています。

56042400 002 9 248 1249  996
56042406 002 9 258 1260  997
56042412 002 9 272 1270  997
56042418 002 9 300 1285  997
56042500 002 2 315 1315  998

ついでに気象庁のサイトにある台風経路図も載せておきます。

このように気象庁では台風のままで大隅半島に“上陸”したように解析しており,これが観測史上つまり1951年以降ではもっとも早い台風の上陸ということになっています。

ところで,JTWCによるこの台風のベストトラックデータは次のようになっています。

WP, 03, 1956042400,   , BEST,   0, 248N, 1248E,  70
WP, 03, 1956042406,   , BEST,   0, 260N, 1261E,  60
WP, 03, 1956042412,   , BEST,   0, 275N, 1278E,  60
WP, 03, 1956042418,   , BEST,   0, 289N, 1290E,  45
WP, 03, 1956042500,   , BEST,   0, 306N, 1304E,  30

非情にも(?!)大隅半島の突端,佐多岬のわずか手前,北緯30.6度, 東経130.4度で中心付近の最大風速が30ノットに,つまりただの熱帯低気圧に衰えています。

東の風 雨(1932年)

「東の風 雨」といっても,1941年12月8日の朝に本来なら放送されるはずだった暗号放送ではありません(この件については文末を参照ください)。1932年4月24日,第1回東京優駿大競走(今の日本ダービー)の日の東京地方の天気予報です。正確には「東よりの風 雨」でした。

レース当日は前日からの雨が降り続いていました。いわゆる北高型の気圧配置になっていて,ぐずついた天気が続いていたようです。中央気象台で前日23日に0.7mm,当日24日に19.4mmの降水が観測されています。

馬場状態は不良(今とは基準が違うようですが),残されている記録映画からもなんとなくドロドロの馬場の雰囲気が伝わってきます。翌日の東京日日新聞によると,

生憎の雨で最悪のコンジションであつたため好記録を得られなかつたのは遺憾であつたが十九頭もの優駿が一團となつてもみ合つた壯觀は全く本邦においてはじめてみるものであつた

多少(かなり?)ヨイショ感のただよう記事ですが(笑)

東京優駿(大)競走はその後もしばらくはなぜか天気に恵まれず(馬場の水はけも悪かったと思われる),良馬場ではじめて行なわれたのは牝馬のヒサトモが勝った第6回でした。

目黒競馬場の跡地はいまでは住宅地になっており,むかしの面影はほとんどなく,一部に当時のコース跡と思われる道路があるほかはバス停「元競馬場前」と記念碑,トウルヌソルの銅像がその歴史をとどめているくらいです。

目黒競馬場の探訪記(?)はこちらをどうぞ。近いうちにまた行きたいと思います。

“東の風 雨”について

よく知られているように,実際に放送されたのは「西の風 晴れ」でしたが,これは対英関係が危険になったときの暗号で,対米関係危険化の暗号は本来は「東の風 雨」でした。

福島競馬がまたまた雪のために中止

JRAニュース【緊急】本日の福島競馬は中止となりました(4月21日(日))より:

いちおうテキストも貼りつけておきます。

本日(4月21日(日))の福島競馬は、積雪の影響により開催を中止いたします。
これに伴い、WIN5も中止となりました。なお、今後の予定につきましては、決定次第お知らせいたします。また、福島競馬の勝馬投票券は、競馬場・ウインズの払戻窓口で返還いたします。返還の有効期限は60日間となっておりますので、ご注意ください。

3年前の4月17日に福島競馬が降雪のために中止になったことについては この時期に福島競馬が降雪のため中止(2010年) – NotenkiExpress 2013 で取り上げましたが,それ以来の雪による中止です。

4月の雪による開催中止はこのときがJRA史上はじめてだったので,4月に雪で中止になったのはJRAでは福島だけということになります。来年の開催を決めるにあたって問題になるんじゃないんですかねえ……?

JRAが発足する前は1908年4月11日の目黒競馬が雪で中止になったことがあります。

なお,今日10時現在,福島の積雪は3cm。最晩積雪更新です。

練馬のアメダス

去年の12月に石神井公園に移動した練馬のアメダスについては,前のブログに上げましたが,こっちのブログにも上げておきます。
実はPicasaのテストを兼ねていたりします。

全体はこんな感じ:

風向風速計:

武蔵大学にあったころの練馬アメダスでは風速5m/sといえば暴風でしたが(笑),ここに移転してからは今のところまともな風速を記録しています。

風向風速計以外を拡大するとこんな感じ:

ちなみに,写真の手前側は閑静な住宅地です。

この時期に福島競馬が降雪のため中止(2010年)

JRAお知らせ【緊急】本日の福島競馬開催は中止となりました(リンク切れ)より一部引用:

本日(17日)の福島競馬は、降雪の影響により、安全な競馬の施行に支障があると判断されるため、開催を中止いたします。 なお、代替競馬は、4月19日(月)に出馬投票をやり直さずに、開催いたします。

この日の福島(地方気象台)の最深積雪は6cm。福島の4月の平均雪日数は1.7日なので,4月の雪はとくに珍しくありませんが,中旬以降の積雪となると話は別で,1969年4月17日の7cmが最深です。
ちなみに,この日は東京で最晩積雪を記録しています。

福島競馬の雪による中止は史上初,4月になってからのJRAの雪による中止も史上初でした。

JRAが発足する前に遡ると,1908年4月11日の目黒競馬が雪で中止になったことがあります。

4月中旬の福島競馬の雪による中止にはそこそこ驚きましたが,まさか翌年,東京電力がばらまいた放射性物質によってまるまる中止になるとはねぇ……。

爆弾低気圧ともーれつア太郎

爆弾低気圧というのは簡単にいえば“1時間に1hPa以上中心気圧が下がる低気圧”ですが,通常は緯度による効果を考えて

緯度をφ度とするとき,中心気圧が24時間に 24×sinφ/sin60°hPa 以上下がる低気圧を爆弾低気圧とよぶ。

とすることが多いです。1978年ごろから使われはじめたbombの訳語です。

国内で爆弾低気圧が使われはじめたのは,今はなき「気象」の1990年5月号に掲載された小倉義光先生の「冬の海上の「爆弾」低気圧」という解説文が最初だとしている人が多いようですが(例えば,爆弾低気圧 – チーム森田の“天気で斬る!” – Yahoo!ブログ http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/61953564.html),その7年も前,1983年12月23日付朝日新聞に掲載された倉嶋厚氏のエッセイ「お天気衛星」のタイトルが「爆弾低気圧」でした。

ところで,今年の1月から爆弾低気圧の使用をやめ,猛烈低気圧という妙なことばを使うようになった新聞があります(爆弾低気圧は“禁止語”ですか。 : COME ON ギモン:社会 : Biz活 : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE読売新聞http://www.yomiuri.co.jp/job/biz/qanational/20130219-OYT8T00672.htm)。

猛烈はとくに新しいことばではなく,気象庁用語ですでに使われています。

  • 猛烈な台風……中心付近の最大風速が54m/s(105㏏)以上の台風
  • 猛烈な雨……80mm/h以上の雨

  • 猛烈な風……風速がおよそ30m/s以上,または最大瞬間風速が50m/s以上の風

いってみれば最高ランクへの賛辞(?)みたいなものです。

ところが,私は猛烈ということばを聞くと

こらえて生きるも 男なら
売られた喧嘩を 買うのも男~♪

という歌を思い出すんですよねえ。そうです,もーれつア太郎

他には一世を風靡したモーレツ社員なんて,いまではバカの代名詞です。

そういうわけで猛烈=モーレツということばにはギャグ的な印象がぬぐいきれません。猛烈な台風,猛烈な雨,猛烈な風,それに加えて猛烈低気圧……,なんかなあという感じがします。

ついでに,Y新聞が爆弾低気圧を使わないとダダをこねたのは,もしかすると初出が朝日新聞だったからじゃないんですかねぇ……。

桜花賞と爆弾低気圧


発達する低気圧に関する全般気象情報 第1号
平成25年4月4日15時00分 気象庁予報部発表
(見出し)
6日から7日にかけて低気圧が急速に発達しながら日本海を北東に進む見込
みです。西日本から北日本にかけての広い範囲で大荒れとなるおそれがあり
ます。暴風や高波、短時間の激しい雨、雷や突風などに警戒してください。
(本文)
 低気圧が発達しながら対馬海峡を通って6日夜には日本海西部に進む見込
みです。7日にかけてさらに発達しながら日本海を北東に進むため、西日本
から北日本にかけての広い範囲で大荒れとなるおそれがあります。
 6日は西日本から東日本にかけて南寄りの風が次第に強まり、7日には北
日本でも南寄りの風が強まる見込みです。暴風となる所があるほか、広い範
囲で非常に強い風が吹くおそれがあります。暴風や高波に警戒するとともに
、交通機関に影響が出るおそれもありますので、十分注意してください。
 さらに、南から暖かく湿った空気が流れこんでくるため、大気の状態が非
常に不安定となり、雷を伴った短時間の激しい雨や突風などのおそれもあり
ます。
 また、気温が上がり、雨も降ることから、積雪の多い地方では雪解けが進
む見込みで、洪水や土砂災害、雪崩などにも注意してください。
 今後、地元気象台の発表する警報・注意報や気象情報に留意してください
。
 次の「発達する低気圧に関する全般気象情報」は、5日11時頃に発表す
る予定です。

06日09時の予想天気図:

2013-04-04_1517

07日09時の予想天気図:

2013-04-04_1517

中心気圧が24時間で996hPaから972hPaに下がると予想されています。立派な爆弾低気圧です。

ちなみに,この緯度では中心気圧が16hPa/24h程度下がれば爆弾低気圧になります。

先ほど枠順が決まった桜花賞,果たしてどうなるのでしょうね?

桜花賞と日本海低気圧

今度の日曜日(4月7日)は阪神競馬場桜花賞が行なわれますが,6日から7日にかけて強そうな日本海低気圧がやってくるもようです。というわけでやや波乱含みのお天気になるかもしれません。

とりあえず,7日21時の予想(地上)天気図をかき集めてみました。サイズはバラバラです。

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  • ECMWF
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  • GFS
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  • UNiSYS
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