赤い雪(1925年)

「気象要覧(1925年1月)」より――:

一月二十九日ヨリ三十日ニ至ル旋風 二十九日朝沖繩島附近ニ發生シタル低氣壓アリ。次第ニ發逹シツゝ東北東ニ進ミ,三十日八丈島ノ南ヲ經テソノ東方洋上ニ去リタリ。當時支那大陸ニ於テハ高氣壓發展シ爲ニ本邦全部ニ亙リ風雨マタハ風雪ヲ起シ,三十一日ニ至リ天候恢復セリ。コノ風雨雪ノ爲東海道以西九州方面マデ電信電話ノ被害少カラズ。

東京における1月30日の最深積雪は27cm。歴代8位の記録で,1月では歴代3位の記録です。

31日付東京朝日夕刊より――:

賑やかな雪の都
降るは降るはもう一尺餘
關東地方や飛騨の高山には珍らしい赤色の雪

盲滅法の圓太郎
初めての大雪に遭つて悲鳴をあげる運轉手

引用文にあるように,この日,東北地方南部から近畿地方北部にかけて“赤い雪”が降りました。

各地に灰や色のある雪
噴火か黄砂飛来の為か

さまざまの迷信に不安の人々

記事から要約すると,色のついた降雪は次のような状況でした。

  • 福島……福島県一帯に30日08時ごろから灰混じりの降雪
  • 米沢……30日07時ごろから降灰
  • 大町(信濃大町)……29日夜より30日朝,三寸あまりの雪が積もったが一面にうす赤色
  • 長岡……29日夜から30日朝,積雪の上に赤い灰
  • 高田……30日払暁から黄色の雪
  • 山形……30日未明,粉雪に混じって少量の降灰
  • 仙台……30日小雪を混えて灰が降る,とくに白石大河原付近で
  • 舞鶴……30日02時ごろから淡紅色の雪

藤原ハカセによると,

井伊掃部頭が桜田門外で暗殺された時にも赤い雪が降つたと云つて江戸人が騒いださうだ

再び「気象要覧(1925年1月)」より――:

一月三十日ノ降灰 今月三十日各所ニ紅雪ノ降ルアリ,調査ノ結果ニヨレバ降灰區域ハ別附圖ノ如ク本州中部地方ノミニ限ラレ,滿鮮方面ニモ黄砂ノ現象無カリシ由ニシテ且本臺ニテ顕微鏡試驗ヲ行ヒタル結果ヨリ見ルモ恐ラク,火山ノ噴煙ニヨル降灰ナル可シ。

観測史上最強(?!)の台湾坊主(1970年)

気象庁では顕著な災害を起こした自然現象については固有の名称をつけることになっており,2009年1月現在,22の気象現象について名称がつけられています。その中で唯一の温帯低気圧が「昭和45年1月低気圧」です。

1970年1月29日午後沖縄西方海上に発生した1010mbの低気圧は発達しながら60km/hで北東に進み,30日15時には足摺岬付近で996mbとなり,紀伊半島に上陸,31日03時には静岡付近で976mbに発達しました。その後,進路を変えて関東北部から東北地方を60km/hで通り岩手県から太平洋に抜けました。

この低気圧が引き起こした暴風雨雪による被害はほぼ全国に及び,死者・不明25人,住家全壊45棟,同半壊126棟,同破損736棟,同流失9棟,床上浸水925棟,床下浸水3497棟,船舶流出・沈没293隻などとなっています。

被害が大きかった原因は,低気圧が強かったこともさることながら,気象庁の予報ハズレ,警報の出し遅れでした。31日付読売新聞夕刊より。“日本語でおk”って感じの記事です(笑)

 台湾坊主があばれて各地に被害が続出した。なぜ予報がおくれたのか。

 「東京サバクにおしめり」「雨量は五,六ミリ」というのが,三十日昼ごろの気象庁の予報だっが一夜あけてみたら,東京地方の雨量は五十八ミリ。平年の一月分(四十八ミリ)を一日で軽くオーバー。

 ところが,気象庁が「これはおかしい」と,低気圧の異常な発達に気づいたのは三十日の夕方になってから。午後三時に,四国付近にあった“旋風”の目は九九六ミリバールで,ぐんぐん発達する勢い。ここで,午後四時,東京地方に初めて「風雨波浪注意報」が出た。やがて三十一日午前三時二十五分に「大雨強風波浪注意報」に切り替えられたが“赤信号”の「暴風雨波浪警報」が出たのは朝の五時十分という遅れ方。小名浜港で「空光丸」が遭難したあと。

 低気圧は二つの目を持ち太平洋岸と日本海側とを併進し,東京地方が九七四ミリバールという最低気圧となったのは午前七時過ぎだが,低気圧の前面に回り込んだ南風による被害は明け方がピーク。警報はすべて後手,後手と回ったわけだ。

 しかし,三十日午後八時には富士山頂の測候所では五十メートルの強風を記録したあと,風速計がふっとんでしまった。大荒れの“前兆”はあったのだ。

「まさか夜中にコースがずれ,発達するとは考えなかった」と予報官たちはいうが,そうした動きをつかむのが役目のはず。

ついでに,31日の夕刊から見出しをいくつか拾ってみましょう。例外なく“台湾坊主”が使われています。

“台湾坊主”各地で大暴れ

大雨・強風・ヒョウ・落雷 不意打ち“台風”

各地で火事や浸水騒ぎ

(朝日)

抜打ち“冬台風” 強烈パンチ

絶叫,大波に消える 空光丸巡視船も手が出せず

東京で二百戸浸水

八重洲通りにはポッカリ大穴

(毎日)

“いたずら台湾坊主”大荒れ

豪雨・強風・バカ陽気

(読売)

このようにすっかり定着していた“台湾坊主”ですが,前にも書いたように,1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,新聞でも使われなくなりました。

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観測史上最強(?!)の台湾坊主(1970年)

気象庁では顕著な災害を起こした自然現象については固有の名称をつけることになっており,2009年1月現在,22の気象現象について名称がつけられています。その中で唯一の温帯低気圧が「昭和45年1月低気圧」です。

1970年1月29日午後沖縄西方海上に発生した1010mbの低気圧は発達しながら60km/hで北東に進み,30日15時には足摺岬付近で996mbとなり,紀伊半島に上陸,31日03時には静岡付近で976mbに発達しました。その後,進路を変えて関東北部から東北地方を60km/hで通り岩手県から太平洋に抜けました。

この低気圧が引き起こした暴風雨雪による被害はほぼ全国に及び,死者・不明25人,住家全壊45棟,同半壊126棟,同破損736棟,同流失9棟,床上浸水925棟,床下浸水3497棟,船舶流出・沈没293隻などとなっています。

被害が大きかった原因は,低気圧が強かったこともさることながら,気象庁の予報ハズレ,警報の出し遅れでした。31日付読売新聞夕刊より。“日本語でおk”って感じの記事です(笑)

 台湾坊主があばれて各地に被害が続出した。なぜ予報がおくれたのか。
 「東京サバクにおしめり」「雨量は五,六ミリ」というのが,三十日昼ごろの気象庁の予報だっが一夜あけてみたら,東京地方の雨量は五十八ミリ。平年の一月分(四十八ミリ)を一日で軽くオーバー。
 ところが,気象庁が「これはおかしい」と,低気圧の異常な発達に気づいたのは三十日の夕方になってから。午後三時に,四国付近にあった“旋風”の目は九九六ミリバールで,ぐんぐん発達する勢い。ここで,午後四時,東京地方に初めて「風雨波浪注意報」が出た。やがて三十一日午前三時二十五分に「大雨強風波浪注意報」に切り替えられたが“赤信号”の「暴風雨波浪警報」が出たのは朝の五時十分という遅れ方。小名浜港で「空光丸」が遭難したあと。
 低気圧は二つの目を持ち太平洋岸と日本海側とを併進し,東京地方が九七四ミリバールという最低気圧となったのは午前七時過ぎだが,低気圧の前面に回り込んだ南風による被害は明け方がピーク。警報はすべて後手,後手と回ったわけだ。
 しかし,三十日午後八時には富士山頂の測候所では五十メートルの強風を記録したあと,風速計がふっとんでしまった。大荒れの“前兆”はあったのだ。
「まさか夜中にコースがずれ,発達するとは考えなかった」と予報官たちはいうが,そうした動きをつかむのが役目のはず。

ついでに,31日の夕刊から見出しをいくつか拾ってみましょう。例外なく“台湾坊主”が使われています。

“台湾坊主”各地で大暴れ
大雨・強風・ヒョウ・落雷 不意打ち“台風”
各地で火事や浸水騒ぎ
(朝日)

抜打ち“冬台風” 強烈パンチ
絶叫,大波に消える 空光丸巡視船も手が出せず

東京で二百戸浸水
八重洲通りにはポッカリ大穴
(毎日)

“いたずら台湾坊主”大荒れ
豪雨・強風・バカ陽気
(読売)

このようにすっかり定着していた“台湾坊主”ですが,前にも書いたように,1975年3月に気象庁が「台湾低気圧」にいいかえるように部内に指示したことがきっかけで,新聞でも使われなくなりました。

サンデーショックに低気圧

今ごろになって気づきましたが,今年はサンデーショックなんですね。

といっても耳慣れないことばかもしれません。サンデーショックとは2月1日が日曜日になることです。σ(^^;)が受験屋をやっていたころはこんな便利なことばはありませんでした。

2月1日は東京・神奈川の私立中学校の入試がはじまる日なのですが,この日が日曜日だとプロテスタント系のミッションスクールが2日以降に試験日を移動します。有名どころでは,女子学院,立教女学院フェリス女学院東洋英和女学院ってところが大挙して2日に移動します。

優秀な女の子にとっては女子御三家2校ダブル合格って名誉も起こる(1人だけ知っています)一方で,例年の合否予測データがほとんど役に立たない……という現象が起こるわけです。

それに加えて,今年は1月31日から2月1日にかけて低気圧が関東の南~東海上を発達しながら進む見込みです。幸い(?),南からの暖気を呼び込むので今のところ雪の可能性は少ないですが,風雨が強くなったとき風に弱いあの路線とかあの路線とかは大丈夫ですかねえ……。

まだ先なので変わる可能性も高いです。まあ,いずれにしてもσ(^^;)にとっては他人事ですから……(笑)

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サンデーショックに低気圧

今ごろになって気づきましたが,今年はサンデーショックなんですね。

といっても耳慣れないことばかもしれません。サンデーショックとは2月1日が日曜日になることです。σ(^^;)が受験屋をやっていたころはこんな便利なことばはありませんでした。

2月1日は東京・神奈川の私立中学校の入試がはじまる日なのですが,この日が日曜日だとプロテスタント系のミッションスクールが2日以降に試験日を移動します。有名どころでは,女子学院,立教女学院フェリス女学院東洋英和女学院ってところが大挙して2日に移動します。

優秀な女の子にとっては女子御三家2校ダブル合格って名誉も起こる(1人だけ知っています)一方で,例年の合否予測データがほとんど役に立たない……という現象が起こるわけです。

それに加えて,今年は1月31日から2月1日にかけて低気圧が関東の南〜東海上を発達しながら進む見込みです。幸い(?),南からの暖気を呼び込むので今のところ雪の可能性は少ないですが,風雨が強くなったとき風に弱いあの路線とかあの路線とかは大丈夫ですかねえ……。

まだ先なので変わる可能性も高いです。まあ,いずれにしてもσ(^^;)にとっては他人事ですから……(笑)

東京で-8.6℃(1927年)

1927年1月24日,東京で-8.6℃を観測しました。東京における歴代3位の最低気温です。(東京の歴代の低温記録については東京の最低気温 | 能天気Express~新世界版~をご覧ください

25日付東京朝日新聞夕刊には――

何もかも凍りついて泣かされた朝の支度

枕許のコツプの水まで凍つて 絶頂のけさの寒気

一方,日本海側の地方では,20日ごろから北陸地方を中心に大雪が降り続いていました。

立徃生列車救ひ出しに死力を盡くす六千名

北陸線の雪ますます猛烈に 排雪車も活動にぶる

しかし,史上空前の昭和2年豪雪はまだはじまったばかりです。

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東京で-8.6℃(1927年)

1927年1月24日,東京で-8.6℃を観測しました。東京における歴代3位の最低気温です。(東京の歴代の低温記録については東京の最低気温 | 能天気Express〜新世界版〜をご覧ください

25日付東京朝日新聞夕刊には――

何もかも凍りついて泣かされた朝の支度
枕許のコツプの水まで凍つて 絶頂のけさの寒気

一方,日本海側の地方では,20日ごろから北陸地方を中心に大雪が降り続いていました。

立徃生列車救ひ出しに死力を盡くす六千名
北陸線の雪ますます猛烈に 排雪車も活動にぶる

しかし,史上空前の昭和2年豪雪はまだはじまったばかりです。

東京で積雪22cm(1984年)

1984年1月19日,本州の南海上を低気圧が発達しながら通過,このため九州から関東地方にかけて大雪となりました。

大分では1月の最深積雪となる14cmを記録しました。東京の22cmは1969年以来15年ぶり,1月としては第5位の記録です。

この影響で首都高,中央・東名の各高速道路は全面閉鎖,東海道・山陽新幹線のダイヤも大きく乱れました。また,雪による転倒者が続出しました。σ(^^;)はこのとき,いい歳したオトナが雪で滑って転ぶのをはじめて見ました。

この年の冬は首都圏でとにかく雪が降りまくり,東京の冬季の降雪日数は29日に達しました。

中でも1月31日の3度目の雪,2月17~18日の5度目の雪は受験にも大きな影響を及ぼしました。このことについては雪と入試(2) | 能天気Express~新世界版~をご覧下さい。

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122年前の大雪

気象庁のサイトから東京における1月の最深積雪のベスト10をあげると,次のようになります。

1887/01/18    31cm
1954/01/25    30
1925/01/30    27
1923/01/25    23
1984/01/19    22
1978/01/03    21
1897/01/14    19
1998/01/15    16
2006/01/21     9
1971/01/05     9

というわけで,122年前の今日,東京で1月の最深積雪が観測されました。この記録は通年でも第5位の記録です。

この日は明け方から雪が降りはじめたようで,読売新聞に「細かくして灰の如き降り方ゆゑ……」とあるので,今の東京ではまずお目にかかれないパウダースノーに近い雪だったと思われます。

往来は雪かき人以外人影が消え,鉄道馬車は朝1便だけ運転しただけで運休になりました。

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122年前の大雪

気象庁のサイトから東京における1月の最深積雪のベスト10をあげると,次のようになります。

1887/01/18    31cm
1954/01/25    30
1925/01/30    27
1923/01/25    23
1984/01/19    22
1978/01/03    21
1897/01/14    19
1998/01/15    16
2006/01/21     9
1971/01/05     9

というわけで,122年前の今日,東京で1月の最深積雪が観測されました。この記録は通年でも第5位の記録です。

この日は明け方から雪が降りはじめたようで,読売新聞に「細かくして灰の如き降り方ゆゑ……」とあるので,今の東京ではまずお目にかかれないパウダースノーに近い雪だったと思われます。

往来は雪かき人以外人影が消え,鉄道馬車は朝1便だけ運転しただけで運休になりました。