ホワイトクリスマスの大停電

1980年12月24日,仙台では,大停電が起こって街中の灯が消え,雪明かりだけという,これこそホントのホワイトクリスマスという夜を迎えました。

23日に四国沖に発生した低気圧が急速に発達しながら南岸を通過したため24日にかけて東北地方は南部を中心に暴風雨雪になり,仙台では23日に降りはじめた雨が24日未明から雪に変わり,18時に積雪25cmを記録しました。

イブの日は,この雪のため,交通機関はマヒ状態。σ(^^;)は何を血迷ったのか午前中にパスで中心街に出かけていったのですが,帰りはバスが坂を上れないという理由で途中で折り返し運転になってしまい,そこから先は雪中行軍になりました。どこからともなくあの映画のあの曲が聞こえてきたような……。

そうです,「天は我々を見放した……」

詳しくは,チャララーン,チャラララーン,チャラチャー,チャーラララーン | 能天気Express〜新世界版〜をご覧下さい。

さて,この日の雪はかなり湿った雪で,その湿雪が送電線に付着,そこに強風が吹きつけました。送電線はふつうの状態では強風の中でもあまり振動しません。そのように設計されているからです。ところが,雪が付着して形状が変わると話は変わり,ギャロッピング(galloping)とよばれる振動を起こすことがあります。

ギャロッピングはフラッター(flutter)とよばれる自励振動の一種で,いったん振動がはじまるとその振動によってまわりの空気の流れが振動を助長するようにはたらきます。その結果,風さえ吹いていれば振動は続き,風が強くなると急激に振動が激しくなります。この振動は風の強弱の変化(風の息)とは関係なく,定常な空気の流れの中でも起こります。十数m/sを超える風が吹くとき, 1〜10秒程度の周期で振幅が10mにも達する上下方向のギャロッピングが起こることがあります。

このようにしてあちこちで送電線が切れたり鉄塔がぐにゃりと折れ曲がったりしたものですからさあたいへん。東北電力仙台営業所管内の全戸数の70%以上という大停電が起こりました。停電はヒドいところでは27日まで続きました。

σ(^^;)は雪中行軍で帰宅しただけでとくに被害らしい被害は受けていませんし(そういえば,シャーベット状の雪のかたまりが落ちてきて傘が1本ダメになりましたが),停電も翌日には回復しましたから,雪明かりだけのロマンチックな夜の記憶だけが残っています。

なお,仙台では同月14日にも30cmの積雪を観測しているのですが,こちらはまったく記憶にありません。

ところで,仙台の年末といえば「光のページェント」。ですが光のページェントがはじまったのは1986年ですから,イブの大停電当時はもちろんまだありませんでした。

光のページェントがはじまってから仙台がホワイトクリスマスを迎えたことが1度だけあります。1992年のことです。

ところが,河北新報からは雪の中の光のページェントに関する記事は見つかりませんでした。見つかった記事はといえば……。

イブの仙台 交通大混乱 寒波襲来 (25日朝刊)
脱スパイク先進地 心構えはまだまだ (25日夕刊)

スパイクタイヤが禁止されたのは1991年4月で,今ではとっくの昔に死語になっています。

ちなみに,このときの雪は南岸低気圧の通過に伴うものではなく,強い寒気の吹き出しによるものでした。

箱根駅伝と雪

今年も残すところ10日あまり。

お正月のテレビ番組といえば,駅伝にサッカーにラグビーと相場は決まっています。

何を隠そうσ(^^)は箱根駅伝の古くからのファンでして,中学生のころからラジオで聞いていました。谷口浩美の6区の区間新の激走は,今でも耳に残っています。

ラジオ時代は知る人ぞ知るといった感じのイベントだった箱根駅伝も,テレビ中継がはじまってからというもの,みるみる国民的行事となってしまいました。テレビで箱根駅伝が見られるようになったのはうれしい反面,あの日テレ品質のなんともタイミングの悪い,はっきりいえばヘタクソな中継(とくにカメラ切り替えや中継車からの呼びかけのタイミングがヒドい)でイライラすることも多いです。そういうこともあるので,σ(^^)はNHKのラジオ中継を聞きながら補助的にテレビを見ています。

さて,箱根駅伝はスタートからゴールまで2日にわたり合わせて10時間以上かかるレースで,しかもコースが都心,海岸,山とバラエティに飛んでいますから,自然の影響,とくに気象条件が大きな影響を及ぼすレースです。とくに雪に見舞われた大会についていくつか調べてみました。

2003年 第79回大会

復路がスタートからゴールまで断続的に雪が舞う中でのレースになりました。

気温も上がらず,6区のスタート前が-3℃,小田原中継所では1.9℃(08:50),平塚中継所2.0℃(10:00),戸塚中継所1.1℃(10:50),鶴見中継所0.7℃(12:00)でした。

1985年 第61回大会

往路優勝の早大と2位順天堂大との差は4分22秒でした。

復路のスタート前,箱根は一面の銀世界。しかも雪が降り続いていました。この雪を味方にしたのが早大の6区の赤堀で,区間3位の好走。レース後「雪景色でかえってリラックスできた」と語っています。

一方,雪に出鼻をくじかれたのが順天堂大。6区のスピードランナー羽柴は区間賞こそ獲得したものの,下りはじめたばかりの6km付近での転倒が響き,差を21秒詰めただけでした。

早大は往路の貯金を守り抜いた形で,2位順天堂大に4分28秒の差をつけて2連覇を達成しました。

ちなみに,NHKのラジオ中継でおなじみの金哲彦さんは,この大会で5区の区間新をマークしています。

1978年 第54回大会

3日の関東地方は夜半からの雪が本降りになり,三が日としては観測史上初の大雪となりました。

この雪の影響で火薬が湿ってしまったのか,復路のスタート合図のピストルが鳴らない珍事が発生。被害者は往路優勝の順天堂大を2分57秒差で追う2位日体大の坂本。しかし,このアクシデントにも動揺せず,区間賞の走りで差を1分6秒詰め,逆転V2の足がかりを築きます。

さらなる珍事が7区で発生しました。日大の7区のランナーがスタート前点呼の08時30分になっても現われなかったのです。新幹線の遅れによるものでした。あわや棄権と思われましたが,東京から小田原中継所までタクシーを飛ばして駆けつけ,なんとかことなきを得ました。ウオーミングアップなしでスタートし,区間2位の好走を見せました。

ちなみに,この選手は日大の前監督でした。

1952年 第28回大会

現在では2,3日に定着している箱根駅伝ですが,かつては時期が違っていたこともあります。この年は6,7日に行なわれました。

6日の箱根は前夜からの雪が20cm積もり,小涌谷から先はチェーンを巻いた車でないと走行できない状態で,小田原中継所では関係各車がチェーンをさがしたり巻いたりとおおわらわの状態。ところが,1台のトラックがスリップして横向きになって道路をふさいでしまったため,伴走オートバイ,役員車をはじめ車両という車両は小涌園前ですべてストップ,そこから先は選手のみが走るという異例のレースになりました。

2004年 第80回大会(おまけ)

安東能明『強奪 箱根駅伝』では,2004年の箱根路に雪が降ることになっていましたが,降りませんでした。女子マネージャーの拉致監禁事件も起こらなかったし(笑)

〜(M)2005/12/20〜

1084mbのシベリア高気圧

1965年12月16日,気象庁の地上天気図上で,バイカル湖の南西に1084mbの高気圧が解析されました。これは1947年12月16日に解析された1085mbに次ぐものです。

その一方で,日本海北部を進んだ低気圧がサハリン付近で982mbまで発達したため,東西の気圧差は100mbに達しました。それと同時に上空約5000m(500mb等圧面)に-45℃以下の寒気がはいってきたため,日本各地は強い季節風と寒気にスッポリおおわれる形になりました。

札幌で-10℃まで下がって猛吹雪になったのをはじめ,青森,秋田,仙台などでも吹雪になり,-9.2℃の最低気温を記録した青森では最大瞬間風速が36m/sに達しました。

関東地方でも,南総の館山で34年ぶりの積雪を観測,辻堂-茅ヶ崎間の東海道本線の線路に寒さのためのひび割れが起こりました。

開通2年目の東海道新幹線は,岐阜羽島-米原間の積雪のために16日13時ごろから徐行運転となり,18時半ごろには米原駅構内でポイントが雪に埋もれたために一時運転を見合わせました。そして17日01時過ぎにはラッセル車を出動させましたが,降る雪に追いつかず,17日には新幹線の6割が運休する事態になりました。さらに18日も車両点検のために大幅な間引き運転となりました。

この年の5月末の台風6号による大雨で雨に対する弱さを露呈した東海道新幹線は,雪に対する弱さも晒す結果になりましたが,当時は雪と車両故障との因果関係がまだわかっていなかったのでした。

名古屋では18年ぶりとなる積雪21cmを観測,この影響で18日の中京競馬は中止になりました。雪による開催の中止は日本中央競馬会発足以来はじめてのことです。

このように12月としては記録的な大寒波襲来となりましたが,比較的短期間で終息しました。

~(N)2006.12.16~

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1084mbのシベリア高気圧

1965年12月16日,気象庁の地上天気図上で,バイカル湖の南西に1084mbの高気圧が解析されました。これは1947年12月16日に解析された1085mbに次ぐものです。

その一方で,日本海北部を進んだ低気圧がサハリン付近で982mbまで発達したため,東西の気圧差は100mbに達しました。それと同時に上空約5000m(500mb等圧面)に-45℃以下の寒気がはいってきたため,日本各地は強い季節風と寒気にスッポリおおわれる形になりました。

札幌で-10℃まで下がって猛吹雪になったのをはじめ,青森,秋田,仙台などでも吹雪になり,-9.2℃の最低気温を記録した青森では最大瞬間風速が36m/sに達しました。

関東地方でも,南総の館山で34年ぶりの積雪を観測,辻堂−茅ヶ崎間の東海道本線の線路に寒さのためのひび割れが起こりました。

開通2年目の東海道新幹線は,岐阜羽島−米原間の積雪のために16日13時ごろから徐行運転となり,18時半ごろには米原駅構内でポイントが雪に埋もれたために一時運転を見合わせました。そして17日01時過ぎにはラッセル車を出動させましたが,降る雪に追いつかず,17日には新幹線の6割が運休する事態になりました。さらに18日も車両点検のために大幅な間引き運転となりました。

この年の5月末の台風6号による大雨で雨に対する弱さを露呈した東海道新幹線は,雪に対する弱さも晒す結果になりましたが,当時は雪と車両故障との因果関係がまだわかっていなかったのでした。

名古屋では18年ぶりとなる積雪21cmを観測,この影響で18日の中京競馬は中止になりました。雪による開催の中止は日本中央競馬会発足以来はじめてのことです。

このように12月としては記録的な大寒波襲来となりましたが,比較的短期間で終息しました。

〜(N)2006.12.16〜

師走台風

12日15時にマリアナ諸島台風22号が発生しました。

気象庁のベストトラックデータによると,1951年以降,12月に発生した台風はこれで71個目,遅いほうから数えて38位タイの発生になります。

発生の遅いベスト10は次のようになっています。(左から年・号数,名前,発生日時,消滅日時,最盛期の中心気圧。日時はUTCです)[*1]

0023 SOULIK    00123000   01010418     955hPa
5227 HESTER    52122800   53010512     950hPa
0126 VAMEI     01122700   01122718    1006hPa
7521           75122612   75122800     996hPa
6635 PAMELA    66122600   66123100     965hPa
9523 DAN       95122600   95123106     985hPa
9328 NELL      93122500   93122812     975hPa
5423           54122406   54122612     990hPa
8831 VAL       88122400   88122506     992hPa
5923 HARRIET   59122400   60010212     930hPa

1950年以前では,1950年12月29日21時に発生したFranがあります。

なお,1951年以降,12月に日本に上陸した台風はありません。台風の遅い上陸については下記を参照してください。

[*1]気象庁のベストトラックデータから自家製のスクリプトを使って出力したものです。正しいという保証はありません。

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師走台風

12日15時にマリアナ諸島台風22号が発生しました。

気象庁のベストトラックデータによると,1951年以降,12月に発生した台風はこれで71個目,遅いほうから数えて38位タイの発生になります。

発生の遅いベスト10は次のようになっています。(左から年・号数,名前,発生日時,消滅日時,最盛期の中心気圧。日時はUTCです)*1

0023 SOULIK    00123000   01010418     955hPa
5227 HESTER    52122800   53010512     950hPa
0126 VAMEI     01122700   01122718    1006hPa
7521           75122612   75122800     996hPa
6635 PAMELA    66122600   66123100     965hPa
9523 DAN       95122600   95123106     985hPa
9328 NELL      93122500   93122812     975hPa
5423           54122406   54122612     990hPa
8831 VAL       88122400   88122506     992hPa
5923 HARRIET   59122400   60010212     930hPa

1950年以前では,1950年12月29日21時に発生したFranがあります。

なお,1951年以降,12月に日本に上陸した台風はありません。台風の遅い上陸については下記を参照してください。

*1:気象庁のベストトラックデータから自家製のスクリプトを使って出力したものです。正しいという保証はありません。

月夜の赤穂浪士の討ち入り

まず,クイズから。

襲撃・暗殺などが雪の降る中で行なわれた事件を次のア〜エからすべて選び,記号で答えなさい。

ア 蘇我入鹿の暗殺
イ 赤穂浪士の討ち入り
ウ 桜田門外の変
エ 二・二六事件

解説しよう(今は亡き富山敬さんの声で(笑))。ちなみに,今放送されている「ヤッターマン」は全然面白くありません。

さて,まずアですが,事実とすれば事件が起こったのは皇極四年六月十二日,ユリウス暦では645年7月10日ですので,まあ, ふつうに考えれば雪は降っていなかったでしょう。『日本書紀』にはこの日大雨が降ったという記述があります。

イは本題なので後まわしにして,ウの大老井伊直弼暗殺は雪の降る中で行なわれました。雪が降っていたため, お供の者が雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったことが, 白昼堂々と大老が討ち取られた原因のひとつとされています。

エの二・二六事件は,2月23日に積もった雪は残っていましたが,この日雪が降りはじめたのは襲撃があらかた終わってから後のことです。 前夜からの大雪の中,反乱軍が兵営を出発して首相官邸などを次々と襲撃した……というのは真っ赤なウソです。

というわけで,正解はウということになります。正解しても,賞品は何もありませんのであしからず(笑)

やっと本題にはいります。

赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは,元禄十五年十二月十五日の寅の上刻とされています。 今の暦では1703年1月31日の午前4時ごろになりますから,1年でもっとも寒い時期のしかももっとも寒い時間帯ということになります。

このときは晴れていて,したがってもちろん雪は降っておらず,赤穂浪士の47人は小望月の月明かりの中, 本所松坂町の吉良邸に向かったのでした。前日に降った雪がざらめ状に凍って,歩きやすかったとのことです。

かりに今日あたりのお天気番組で

歴史上有名なのは,1702(元禄15)年12月14日から15日の朝にかけて,江戸の町に降った大雪だ。赤穂浪士の討ち入りの日で,新暦では1月31日に当たる。

のようなことを話している人がいたら,ウソつくのもいいかげんさらせ( ゜Д゜)ゴルァ!!と厳重に抗議をしましょう(笑) ちなみに,これは某お天気キャスターのサイトにあった文章を音声を変えて引用したものです。

今はなき三波春夫さんの名調子に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」があります。σ(^^;)の知る限り,誇張はありますが,山鹿流の陣太鼓以外はその夜の状況が正確に描かれています。さすが名調子です。比べては三波春夫さんに失礼ですが,不勉強なお天気キャスターとは全然違います。

積もっていた雪の影響も少しはあったようで,討ち入りの初っぱな,門を乗り越えるときに,原惣右衛門と神埼与五郎が屋根の上に残っていた雪ですべって転落し,足をねんざしたそうです。ドラマなんかではこの場面は再現されませんね。でも,原惣右衛門ってご老体では……?

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わりました。ドラマなどでは,捕らえれて引き出された吉良上野介大石内蔵助が 「吉良殿でございまするか」などと人定尋問するのが定番になっていますが, 実際には内蔵助の前に引き出されたときはすでに息がなかったようです。

1703年1月31日の東京の天文データは次のようになっています。

===================
天文薄明開始 05:16
市民薄明開始 06:17
日の出    06:42
正中     11:55
日の入    17:08
月の入    05:18
===================

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わったということは,このデータを見るかぎり,やはり討ち入りは長くても2時間程度だったようです。

今では吉良上野介がいい殿さまで,浅野内匠頭はバカ殿だったと,評価が逆転した感もあります。もっとも,いい殿さまといっても,道路特定財源だったかなんだったかをいっぱい分捕ってくる税金ドロボ〜である“現在のいい殿さま”と五十歩百歩だったのかもしれませんけれど。

(N)2006/12/14

2週続けて雪の日曜日

1987年12月,あの雪の日曜日から1週間後の13日の朝,目がさめたら,窓の外でカサカサという先週も聞いたような変な音が。 まさかと思って窓を開けて外を見たら,なんと雪でした。ここから先の記憶がないところをみると,たぶんまた寝たんだと思います(笑)

前週と同じように南岸の低気圧に北東から冷たい空気が流れ込み,東京都心で雨から雪に変わったのは09時30分ごろ,そして18時までに3cm積もりました。

例によって例のごとく,おきまりのすってんころりんねんころりんで滑って転ぶ人がまたまた続出,前週を上回る32人がケガをしました。また,翌14日の朝は冷え込んで路面が凍結したため,関東各地でスリップによる交通死亡事故が相次ぎました。

中山競馬は3レース以降が中止になり,2週続けて日曜日の開催が中止になりました。12月としてははじめてです。

延期されていたミホシンザンの引退式は雪の中で行なわれましたが,芝コースが閉鎖されていたためにダートコースでの最後の走りとなりました。

当時,12月の第2日曜に国立競技場で行なわれていたトヨタカップは,もちろん降りしきる雪のためにコンディションは最悪。勝ったFCポルトのイビッチ監督が「何千試合もしてきたが,こんな悪条件ははじめて」と語っています。これは雪のためばかりでなく,前週の “雪の早明戦”によって芝がかなり剥がされた影響もあったでしょう。

試合は延長の末,FCポルトCAペニャロールを2-1で破りました。

もともと評判の悪かった日本のグランドの評価がこの日のトヨタカップによって最悪になりました。トヨタのせいだということに注目しましょう(笑)

国立競技場の芝が見違えるようになったのは1991年からだったと思います。

田中正造氏直訴を企つ

昨日午前十一時十分開院式を終りて聖上還幸の御途次,前衆議院議員田中正造氏が畏れ多くも鹵簿を目懸けて直訴する所あらんとしたる椿事あり(1901年12月11日付時事新報)

田中正造前衆議院議員が足尾銅山による鉱毒と銅山から排出された土砂の渡良瀬川への投棄によって生じる洪水による農民の窮状を明治天皇に直訴しようとした,有名な直訴(未遂)事件です。

当日の天気について,東京朝日には次のようにあります。

昨日の開院式ハ政界の薄曇りなるにハ似もやらずして無上の好晴小春日和の麗かさにソヨとの風さへ無ければ……

40年前の寒い朝……

アルフィーの幻の名曲に「府中捕物控」があります。幻という割には比較的よく知られていたりするようです。

σ(^^;)はデビュー曲だとカン違いしていたのですが,どうも3曲目になるはずだった曲らしいです。でも,たしか前座に出てきたとき,今度この曲でデビューしますといっていたような……。そしてタイトルを「よくぞ逃げたよ3億円」と紹介していたような……。

1番は次のような感じです。(耳コピーです)

♪あなたのしたことは
ほんとに悪いことだけど
世間のみなさまに
顔向けできないことだけど
七年前の寒い朝
日本全国津々浦々
新聞広げておどろいて
胸がスカッと晴れたっけ
雨に轟くオートバイ
昭和の義賊 怪盗ルパン

よくぞここまで逃げ延びた
お疲れさまです 立派です
拍手で迎えてあげるから
みんなで分けようね
三,三,三,三,三 三億円

作詞・作曲:山本正之。ただし,上の歌詞は「うたまっぷ」などで公開されている歌詞とはかなり違います。

σ(^^;)は「♪雨に轟くオートバイ・・・」の部分が好きです。いかにも山本節といった感じで。

というわけで,今日はかの3億円事件が起こった日です。お天気屋の悪い習性で……というよりたんにσ(^^;)のビョーキかもしれませんが,歌詞に見逃せない部分を発見(笑)

まず,「雨に轟くオートバイ」の部分。事件当時,南岸低気圧が通過しており,データはありませんが,当時の報道を見ると現場では確かに雨が降っていました。したがって○《マル》。

次に,「七年前の寒い朝」の部分。事件当日の東京の最低気温は平年と比べてなんと11.4℃も高い14.0℃。この事件が朝刊に載っている次の日の最低気温も平年より11.1℃も高い13.4℃でした。したがって×《バツ》。

カラオケで歌うときは「×年前のヌクい朝」と歌うようにしましょう(笑) でも,カラオケにあるのかな?

※写真は3億円事件の現場付近のいま。

(M)2007/06/10改題