雨乞い(あまごい)

河北新報 東北のニュース/天気予報は「雨」 雨乞い中止 伊達みらい農協より一部引用:

天気予報は「雨」 雨乞い中止 伊達みらい農協

伊達みらい農協(福島県伊達市)は7日に同市で行う予定だった雨乞いの儀式を中止した。当日の天気予報が雨で、実施の必要性が薄れたことを理由の一つに挙げている。

儀式は市内の神社で開く予定だったが、出席予定の役員が急用で参加できなくなり、開催見送りを検討した。役員抜きで予定通り行うことも考えたが、同市のこの日の天気予報が雨で、「実施するまでもない」と中止を決定した。

1958年6月30日付朝日新聞(朝刊)より:

水キキンに備えて
バケツの売行き上々 フロ屋につけ込む“雨ごい屋”

渋谷,目黒には“雨ごい屋”が現われた。「某月某日,福島県下で大雨が降ったが,これは私が祈とうしたからだ」と前口上をならべ「ところで三日中にきっと降らせるから金をよこせ」とフロ屋,クリーニング屋などの門口でせびる商売。警察では「頭の変な男のサギだろう」といっている。

1926年7月18日付東京朝日(朝刊)より:

雨ごひの舟顛覆 六名行方不明
大洞湖で祈願最中 突如暴風が襲来

(記事は省略)

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

“梅雨入りしたと見られる”発表

本日,関東甲信地方が梅雨入りしたと見られるとの発表がありました。

梅雨の時期に関する関東甲信地方気象情報 第1号
平成25年5月29日11時00分 気象庁発表
(見出し)
 関東甲信地方は梅雨入りしたと見られます。
(本文)
 関東甲信地方では、湿った気流の影響で曇りや雨となっています。向こう
一週間も、前線や湿った気流の影響で曇りや雨の日が多い見込みです。
 このため、関東甲信地方は5月29日ごろに梅雨入りしたと見られます。
(参考事項)
 平年の梅雨入り 6月8日ごろ
 昨年の梅雨入り 6月9日ごろ
(注意事項)
・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程度の「移り変
わり」の期間があります。
・梅雨の時期に関する気象情報は、現在までの天候経過と1週間先までの見
通しをもとに発表する情報です。後日、春から夏にかけての実際の天候経過
を考慮した検討を行い、その結果、本情報で発表した期日が変更となる場合
があります。

私が調べたところでは,関東甲信地方の梅雨入り(したと見られる)発表がもっとも早かったのは2011年の05/27,ついで1963年の05/28,3番目が今日です。つまり史上3番目に早い梅雨入り(したと見られる)発表です。ただしすべての1次資料にあたったわけではありません。発表日を調べるのは部外者にはたいへんです。

ちなみに,梅雨入りの確定日がもっとも早かったのは1963年の05/06ですが,発表日と確定日を比べてもあまり意味はありません。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

九州南部・九州北部・四国・中国地方,梅雨入り発表

タイトルのとおりです。

あくまで梅雨入りしたと見られると発表があっただけです。ホントに梅雨にはいったかどうかが“確定”するのは9月になってからです。

参考資料

梅雨の時期に関する九州南部・奄美地方気象情報 第2号
平成25年5月27日11時00分 鹿児島地方気象台発表
(見出し)
 九州南部は梅雨入りしたと見られます。
(本文)
 九州南部は、5月27日ごろに梅雨入りしたと見られます。
 九州南部では、南からの湿った気流の影響で曇りや雨の降っている所が多
くなっています。
 向こう一週間は、前線や湿った気流の影響で曇りや雨となる見込みです。
  このため、九州南部は5月27日ごろに梅雨入りしたと見られます。
(参考事項)
 平年の梅雨入り
  九州南部 5月31日ごろ
 昨年の梅雨入り
  九州南部 5月30日ごろ
(注意事項)・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程
度の「移り変わり」の期間があります。・梅雨の時期に関する気象情報は、
現在までの天候経過と1週間先までの見通しをもとに発表する情報です。後
日、春から夏にかけての実際の天候経過を考慮した検討を行い、その結果、
本情報で発表した期日が変更となる場合があります。
梅雨の時期に関する九州北部地方(山口県を含む)気象情報 第1号
平成25年5月27日11時00分 福岡管区気象台発表
(見出し)
 九州北部地方(山口県を含む)は梅雨入りしたと見られます。
(本文)
 九州北部地方(山口県を含む)は、気圧の谷や南からの湿った気流の影響
で、概ね曇りとなっています。向こう一週間も、前線や湿った気流の影響で
曇りや雨の日が多くなる見込みです。
 このため、九州北部地方(山口県を含む)は、5月27日ごろに梅雨入り
したと見られます。
(参考事項)
 平年の梅雨入り
  九州北部地方 6月5日ごろ
 昨年の梅雨入り
  九州北部地方 5月30日ごろ
(注意事項)
・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程度の「移り変
わり」の期間があります。
・梅雨の時期に関する気象情報は、現在までの天候経過と1週間先までの見
通しをもとに発表する情報です。後日、春から夏にかけての実際の天候経過
を考慮した検討を行い、その結果、本情報で発表した期日が変更となる場合
があります。
梅雨の時期に関する四国地方気象情報 第1号
平成25年5月27日11時00分 高松地方気象台発表
(見出し)
 四国地方は梅雨入りしたと見られます。
(本文)
 四国地方では、気圧の谷や南からの湿った空気の影響で雲が広がっていま
す。向こう1週間は、気圧の谷や前線の影響で曇りや雨の日が多いでしょう
。
 このため、四国地方は、5月27日ごろに梅雨入りしたと見られます。
(参考事項)
 平年の梅雨入り 6月5日ごろ
 昨年の梅雨入り 6月2日ごろ
(注意事項)
・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程度の「移り変
わり」の期間があります。
・梅雨の時期に関する気象情報は、現在までの天候経過と1週間先までの見
通しをもとに発表する情報です。後日、春から夏にかけての実際の天候経過
を考慮した検討を行い、その結果、本情報で発表した期日が変更となる場合
があります。
梅雨の時期に関する中国地方気象情報 第1号
平成25年5月27日11時00分 広島地方気象台発表
(見出し)
 中国地方は梅雨入りしたと見られます。
(本文)
 中国地方では、気圧の谷の影響で雲が広がっています。向こう1週間も低
気圧や前線の影響で曇りや雨の日が多くなる見込みです。
 このため、中国地方は、5月27日ごろに梅雨入りしたと見られます。
(参考事項)
 平年の梅雨入り 6月7日ごろ
 昨年の梅雨入り 6月8日ごろ
(注意事項)
・梅雨は季節現象であり、その入り明けは、平均的に5日間程度の「移り変
わり」の期間があります。
・梅雨の時期に関する気象情報は、現在までの天候経過と1週間先までの見
通しをもとに発表する情報です。後日、春から夏にかけての実際の天候経過
を考慮した検討を行い、その結果、本情報で発表した期日が変更となる場合
があります。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ

日本ダービーと雨

台風と日本ダービーについては前々回取り上げましたが(日本ダービーと台風 – NotenkiExpress 2013),今回は台風以外の雨と日本ダービーについて取り上げます。

1969年の泥んこダービーの話

雨と日本ダービーといえばなんといっても1969年でしょう。

1969年の5月は,

  • 17日……メイストーム,東京で瞬間風速20.4m/s
  • 19~20日……“新緑寒波”,日光0.1℃,長野4℃,舞鶴5℃,岡山6℃

などなど,“天候異変”が続いていました。5月というより,この年は1月からおかしいといえばおかしかったのですが,詳細は省きます。

そして24日,気象庁から低気圧に関する情報が発表されました。

海山は大荒れ,ダービーは重馬場 「低気圧情報」出る

「二十五日は海,山は大荒れ,ダービーは重馬場」――と気象庁は二十四日午前十一時十分,日曜行楽や競馬ファンには気になる低気圧情報を発表した。黄海にある低気圧(九八八ミリバール)が二十四日午後から発達しながら南岸沿いに進む見込み。西日本はすでに風雨が強まっている。
低気圧が進むにつれ,東海から関東地方も風雨が強まり,二十五日いっぱい山は大荒れ,海は大シケ。関東地方平野部も二十四日夜半から二十五日午前中は雨になり雨量は二,三〇ミリに達する見込み。
このため,同庁は二十五日の登山は見合わせるよう警告,海上でも十五メートル以上の風が吹くので厳重注意を呼びかけている。
(24日付毎日夕刊)

ダービー当日の東京競馬場は,この低気圧と前線の影響で前夜から雨が降り続き,レース直前には小降りになったものの田植えのあとの田んぼのような不良馬場。1968年以降はカラー映像が残っていますが,私が見た限りその中で最も悪い馬場と思われる馬場です。

そんな泥んこ馬場にもかかわらず,スタートして2F目のハロンタイムが10.5秒ですから,かなり激しい位置取り争いがあったことが想像できます。それに巻き込まれる形で,1番人気のタカツバキが落馬するというアクシデントが発生しました。1番人気といっても,道悪得意ということで祭り上げられた感のある1番人気です。2番人気はやはり道悪得意のギャロップでした。

このタカツバキの落馬については,タカツバキのような抽選馬がダービーを勝ってしまっては馬産システムが崩壊するから落馬するであろう,と“予言”していた人がいたという有名な謀略説があります。

ゴール前でも珍事が発生。ダイシンボルガードの石田厩務員がレースの最中にもかかわらず思わず馬場に飛び出して「オレの馬だ!!」と叫びながら走っている姿がニュース映像として残っています(フジテレビの中継映像には写っていない。ついでにいえばタカツバキの落馬も写っていません。さすがフジテレビ)。あんな泥んこ馬場を走ったのでは,この厩務員さんはかなり泥だらけになったことでしょう。

ちなみに,1968年12月に近くで起こった3億円事件の記憶も新しく,売上金56億円などの現金輸送は厳戒態勢で行なわれそうです。

創設当初の話

日本ダービーは創設された当初から雨と無縁ではありませんでした。

1932年4月23日に目黒競馬場で行なわれた第1回の日本ダービー(当時の正式名は東京優駿大競走)は,天候―雨,馬場状態―不良でレースがスタートしました。
これについては東の風 雨(1932年) – NotenkiExpress 2013をご覧ください。
第2回は曇/稍不良,第3回は晴/不良,第4回は雨/不良,第5回は曇/稍不良と続き,第6回になってやっと良馬場で行なわれました。

最近の話

次の表に1951年以降の10年ごとの馬場状態の出現数をまとめてみました。

稍重 不良
1951-1960 5 1 2 2
1961-1970 7 1 0 2
1971-1980 9 1 0 0
1981-1990 9 0 1 0
1991-2000 8 2 0 0
2001-2012 7 1 2 2

これを見ると21世紀になって“雨馬場”の出現率が増えていることがわかります。とくに過去5年に限ると2009年,2011年と2回も不良馬場で行なわれています。これは傾向というより,たまたまそうなんでしょう。

今年は今のところ良馬場で行なわれそうです。

※この記事は泥んこダービー | 能天気Express Hyperを大幅に書き直したものです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村 競馬ブログへ

日本ダービーと台風

5月に台風が上陸することはあまりないし,日本ダービーは最近では5月の最終日曜日(または6月の第1日曜日)に定着していることもあり,日本ダービーが台風の直撃を受けたことはありません。

直撃ではないにせよ史上もっとも台風の影響を受けたと思われるのが1965年5月30日のダービーです。

ダービーの直前の5月27日,潮岬の南方海上にある定点観測点付近を通って北東に65~85km/hの速い速度で進んできた台風6号が12時ごろ東京湾をかすめて館山市付近に上陸しました。5月の台風上陸は1914年5月30日以来51年ぶりのことでした。

196506

この台風と梅雨前線の影響で,東北地方南部から九州にかけて大雨となり,新幹線が全線不通となって雨に弱いことを暴露したほか,かなりの被害が出ました。

この日東京競馬場で行なわれたダービーの追い切りも強風雨の中,泥んこ馬場での追い切りとなりました。

台風警報下の“ダービー調教”なんていうのは前代未聞,今後も恐らくないだろう。二十七日の午前五時半から行なわれた東京競馬場での追い切りは,田植えのできそうな泥んこのダートコースで,全くの“責め馬?”だった。
(1965.05.28日刊スポーツ)

レースももちろん,ビデオで見る限りものすごい不良馬場。もっとも,質のよくないモノクロフィルムのせいで実際よりも悪く見えているかもしれません。

単騎で逃げるキーストンの1頭だけ白いままの帽子が印象的です。前半1000m通過64.0秒の“タメ逃げ”でしたが,最後の200mに14.3秒かかっています。ダイコーターが詰め寄ったというよりは,終いバタバタになってしまったのでしょう。

最近では,まず2003年があげられます。

5月31日05時ごろ台風4号愛媛県宇和島市付近に上陸しました。上記の1965年の台風6号以来38年ぶりとなる5月の台風上陸です。

200304

翌6月1日にダービーが行なわれましたが,この台風から変わった低気圧と前線の影響による雨のため,馬場状態は重でした。府中のアメダスでは31~1日にかけて83mmの降水量が観測されています。

4角で各馬外をまわる中,エイシンチャンプと逃げたエースインザレースが最内をついたシーンをおぼえている人も多いでしょう。

勝ったのはネオユニヴァース,鞍上はミルコ・デムーロでした。

2011年は,四国に向かって北上していた台風2号がダービー当日の15時に温帯低気圧に変わりました。

201102

西日本~東日本はちょうど梅雨入りしたばかりで,西日本を中心に大雨になりました。

東京競馬場でも26日(木)から断続的に雨が降りはじめ,府中のアメダスでは28日(土)に17.5mm,ダービー当日の29日(日)には91.0mmの降水量が観測されました。

ダービーの馬場状態は2009年以来となる不良。2冠を達成したオルフェーヴルの勝ちタイムは2.30.5でした。

あれから2年,今年の日本ダービーは台風の影響を受けずに行なわれそうです。

なお,今年の台風の発生状況については当ブログの台風の発生間隔 – NotenkiExpress 2013をご覧ください。

※この記事はダービーと台風 | 能天気Express Hyperを少し書き直したものです。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村 競馬ブログへ

ダービーはなぜ5月下旬か[再]

1956年の日本ダービーは6月3日に行なわれました。

この年は5月下旬から早くも前線が日本の南海上に貼りつき,九州南部では5月1日,九州北部では5月21日,中国では5月29日,近畿では5月24日に梅雨にはいりました。

ダービー前日の2日は雨。この雨のため東京六大学野球早慶戦が順延になりました。

ダービー当日,東京の天気予報は「くもり一時晴」。しかし予報は大ハズレ,朝から雨が降りはじめました。昼ごろからは降ったりやんだりになりましたが,早慶戦は2日続けての順延になりました。

ちょうど6月1日に中華人民共和国中共)が気象管制を解き,暗号を使わずに平文で気象放送を送りはじめました。天気予報がもっと当たるようになる……という期待をもったニュースの直後の大ハズレでした。

ついでですが,日本もアメリカも太平洋戦争中は気象電報を暗号を使って送信していました。しかし末期になると,アメリカは航空機による観測データを暗号化しないで送るようになりました。完全に制空権を掌握していたため,航空機の位置を知られてもまったく危険がなかったからです。

ブリンカーをつけていないため話がズレましたが,こうして東京競馬場は2日続けて雨に見舞われ,ダービーは重馬場で迎えることになりました。人気を見てみると,NHK盃を勝ったキタノオーが1番人気,皐月賞馬ヘキラクが2番人気,ハクチカラが3番人気,オークスからの連闘で臨んだフエアマンナが4番人気でした。本来ならキタノオーが人気をかぶってもおかしくはなかったのですが,外ワクと道悪がきらわれたようです。

スタート直後,内からハクチカラ,タメトモ,ミナトリユウが飛び出し,外からはヘキラク,キタノオーが先団にとりつこうと内側に切れ込んできました。そしてこの2頭に押圧される形となったエンメイが転倒,これに躓いたトサタケヒロも転倒しました。トサタケヒロは人馬とも無事でしたが,エンメイは左肩胛骨を骨折して予後不良,鞍上の阿部正太郎騎手も再起不能の重傷を負いました。

これがダービー史上最大といわれる事故です。ちなみに,阿部正太郎騎手は騎手としては再起できませんでしたが,のちに調教師となり,加賀武見騎手を育てることになります。

これだけの事故にもかかわらず,スンナリと通過順どおりに確定,しかしキタノオーの勝尾騎手,ヘキラクの蛯名騎手には過怠金が課せられるという不可解な決定に納得しなかった人も多かったようです。また,馬主が吉川英治氏ということもあってか,当時の競馬にしては大きく伝えられました。このため,競馬史上はじめて事故調査のための審議会が開かれました。しかし,事故のようすがハッキリ写っているはずの新聞社のニュースフィルムが証拠として検討されないなど,はじめから結論ありきで,予想どおり原因不明の事故というウヤムヤ決着でした。吉川英治氏が馬主をやめたのは,事故そのもののショックというよりはこの不透明さにイヤ気がさしたからではないでしょうか。

その後,事故防止対策のひとつとして,ダービーの開催日を梅雨がはじまる前の5月末にという提案があり,これによってダービーの5月下旬開催が定着したといわれています。

しかし,この年の関東甲信地方の梅雨入りは6月9日で,エンメイの事故は梅雨にはいる前に起こっていたんですけどねえ……。

それはともかく,ダービーが5月下旬に行なわれる理由としてはこの説明が定着しています。

しかし,これは話の半分に過ぎません。

東京優駿(大)競走の施行日を見てみると,第1回の1932年から1937年までは4月に行なわれていて,従来の目黒競馬は4月に行なわれていたのでこれは当然の流れでしょう。しかし1938年に5月29日に行なわれてからはほぼ5月下旬~6月上旬に定着しています。なぜこの時期が選ばれたのでしょう?

おそらくモデルとしたイギリスのダービーの日程を参考にしたのだろうと推測はできますが,あくまで推測の域を出ません。1930~1940年代はいちばん嫌いな時期なので,調べる気になりません。どなたか,かわりにどうぞ。

にほんブログ村 環境ブログ 天気・気象学へ
にほんブログ村

にほんブログ村 競馬ブログへ
にほんブログ村

長篠の合戦[再]

桶狭間の合戦から15年後,天正三年五月二十一日(グレゴリオ暦で1575年7月9日),徳川家康と連合して設楽原で武田勝頼を破った戦いです。

名だたる武者から組織された武田の騎馬軍団を織田の名無しさん足軽鉄砲隊が三段撃ちという新戦法で壊滅させた戦術革命ともいえる画期的な戦い……と最近までいわれてきた戦いです。実際には,武田の“騎馬軍団”も織田鉄砲隊の“三段撃ち”もなかったし,まして“戦術革命”をもたらしたといえるような戦いではありませんでした。

ちょっと馬の歴史を調べればわかるように,当時の日本の馬はかなり小さく,平均すると120~140cm程度の体高で,現在ではポニーとよばれる大きさでした。有名なところでは,宇治川の先陣争いで名を馳せた佐々木四郎高綱の生喰《いけずき》は145cm,源義経が乗ったと伝えられる青海波《せいがいは》は142cmでかなり大柄な部類ですが,それでも160~165cm程度である現在のサラブレッドとは比べるのもかわいそうなくらいです。しかも体重は220~260kg程度で,今のサラブレッドのせいぜい半分です。さらに,当時まだ蹄鉄は使われていませんでした。

このような“ポニー”が蹄鉄なしで重武装の武者を乗せたりしたら,そもそも戦場を駆け回れるかどうかわかりませんし,かりに戦場を駆け回れたとしても,すぐにバテてしまってとても“いくさ”にならなかったのは,火を見るより明らかです。しかも当時は去勢の習慣がなかったため(なぜか日本だけらしい),気性の激しい馬が多く,整然と隊伍を組んで命令一下突撃などできたのか,はなはだ疑問です。

戦国時代になると,馬に乗って戦場にやってきても,馬から降りて戦うことが多くなっていました。武田軍の中に馬に乗って織田陣に切り込もうした武者はもしかしていたかもしれませんが,とても“騎馬軍団”などといえる集団ではなかったはずです。

話が馬のほうにヨレてしまいましたが(ブリンカーをしたほうがいいかな(笑)),合戦の前日は一日中雨が降っていました。戦いの舞台となった設楽原は水田地帯で,この雨のため泥沼と化して足場がたいへん悪くなっていました。合戦の当日は朝から雨が上がりましたが,足場が悪いのには変わりなく,20kgにもおよぶ甲冑を着込んで,5kgほどもある鉄砲を撃ち,撃ったらその鉄砲をかついで最後方に下がって弾を込め……なんて三段撃ちを続けざまに2~3回もやったらすぐにバテてしまいます。かりにこんなことができたとすれば,それは名無しさん足軽の寄せ集めなどではなく,サイボーグのような超人的な精鋭部隊だったでしょう。別の意味で“戦術革命”だったに違いありません。

5月の“五月雨”[再]

五月晴れとなりは何をする人ぞ

話の順序として五月晴れから。

さつきばれを『スーパー大辞林』で引くと次のように載っています。

(1) 新暦五月頃のよく晴れた天気。
(2) 陰暦五月の,梅雨の晴れ間。梅雨晴れ。[季]夏。《男より女いそがし―/也有》

もともとは(2)の意味で,いつのころからか(1)の意味に変わったといわれています。

それがいつごろのことなのかはハッキリとはわかりませんが,倉嶋厚さんの『季節ほのぼの事典』によると,1961年発行の『広辞苑』に

[1] さみだれの晴れ間 [2] 転じて五月の空の晴れわたること

とあるそうなので,1960年代のはじめにはすでに一般化していたものと思われます。

私自身は俳句以外で『スーパー大辞林』の(2)の意味で使われた例を見たことがありません。お天気番組などの「今日は五月晴れの一日でした」というような表現に文句をいっている人も,(2)の意味で使われた例を実際に見たことがあっていっているのか,はなはだ疑問です。

ちなみに,今の時期に「さわやかな五月晴れ」というのは俳句的にいえば二重の間違いになっているようです。

まず“五月晴れ”は,俳句では今もって(2)の意味でしか使われない(らしい)から×。次に“さわやか”は本来,どういうわけか秋の季語なので×。まあ,私は俳句には何の興味もないのでどうでもいいですが。

五月雨をあつめて早し××川

意味を変えて生き残っている(再生した!?)“五月晴れ”に対し,ほとんど死語になっているのが五月雨《さみだれ》です。

旧暦は平均的に見れば今の暦よりも30日あまり遅いですから,旧暦の五月は今の暦の6月くらいに相当し,ちょうど梅雨の時期です。だから,五月雨《さみだれ》は梅雨どきの雨,あるいは梅雨そのものです。ただ,今は“さみだれ式××”という表現を除いてめったに使われなくなりました。

ついでですが,五月雨といえば,蕪村の

さみだれや大河を前に家二軒

には,俳句の好きでない私も圧倒される迫力を感じます。同じ蕪村の句でも

さみだれや名もなき川のおそろしき

は,だから何なの? と反応したくなります。

なお,五月雨で増水した川を五月川《さつきがわ》とよぶそうです。

5月の“五月雨”

沖縄や奄美地方では5月の梅雨は当たり前です。しかしそれより北では,もっとも早い九州南部でも梅雨入りの平年日は5月31日ごろですから,梅雨といえばふつうは6~7月です。5月に梅雨のような状態になったときは通常梅雨のはしりあるいははしり梅雨とよばれます。

ところが,5月がほとんどまるまる梅雨にはいってしまった年があります。

1963年の5月は,4日に移動性高気圧が三陸沖に去って東シナ海に前線を伴った低気圧が現われてから,早くも“はしり梅雨もよう”になりました。10日には気象庁

例年より約十日早く“はしり梅雨”にはいった。とくに,下旬から六月はじめにかけては全国的に曇雨天が多く,しかも,低温が予報される

という向こう1か月の予報を発表しています(新聞からの孫引き)。

その後も前線が日本付近に貼りつき,気象庁は28日,“梅雨入り”を発表しました。ただ,当時の発表は今とは違っていたようで,新聞には取り上げられていません。今だったら必要以上に大騒ぎするでしょうね。号外が出るほどのバカ騒ぎにはならないでしょうけれど。

梅雨入りの時期はのちに修正され,東海が4日,関東甲信が6日,中国が8日,九州南部が28日,北陸が29日,九州北部が30日,四国と近畿は特定できない――となりました。梅雨入りの日が特定できなかったのはこの年だけです。また,沖縄の梅雨入りが6月になったのも東北(南部)より遅かったのもこの年だけです。

これだけ早いとどこまでがはしり梅雨でどこからがホンモノの梅雨なのか区別できません。もともと自然現象に明確な境界などあろうはずはなく,はしり梅雨とホンモノの梅雨の区別もあくまで便宜的,人為的なものです。

ちなみに,この年の梅雨の時期の新聞には気違い梅雨前線という,今ではまずお目にかかれない表現が出てきます。

台風の発生間隔

今年の台風は1号が1月3日,2号が2月22日と早めに発生しました。
ところが,2号の発生からすでに82日が経過しているというのに,その後音沙汰がありません。

この82日という空白は短いのか長いのか――気象庁のベストトラックデータを使って遊んでみました。

次は2号と3号の発生間隔の長いほうから10位までです。左から発生間隔(日),2号の発生日時(JST),3号の発生日時(JST)です。

141.625  1992/02/03 21時  1992/06/24 12時
133.750  1985/01/07 15時  1985/05/21 09時
80.000  1957/01/22 09時  1957/04/12 09時
77.000  2002/02/28 21時  2002/05/16 21時
68.000  1987/04/11 15時  1987/06/18 15時
60.500  1978/04/19 03時  1978/06/18 15時
53.250  1961/03/25 09時  1961/05/17 15時
47.500  2007/05/18 03時  2007/07/04 15時
45.500  2009/05/03 21時  2009/06/18 09時
45.250  2000/05/19 09時  2000/07/03 15時

これを見ると,今年の82日というのはすでに第3位にランクインしていることがわかります。ただ,2位へのランクアップはかなり難しいかもしれません。

ちなみに,1954年は台風2号が存在しないため,はじめから除外してあります。1号と3号の発生間隔は68.000日なので,本来であれば上位にはいってきているはずでした。

それでは,2号と3号だけではなくすべての台風の発生間隔はどうなっているか――というわけで,長いほうから20位までを挙げておきます。

213.750  1997/12/07 21時  28号    1998/07/09 15時  01号
200.500  1972/12/13 15時  31号    1973/07/02 03時  01号
199.250  1982/12/08 09時  25号    1983/06/25 15時  01号
194.750  2010/10/25 03時  14号    2011/05/07 21時  01号
186.500  1975/01/22 15時  01号    1975/07/28 03時  02号
181.500  1951/12/11 15時  21号    1952/06/10 03時  01号
176.250  1983/12/16 09時  23号    1984/06/09 15時  01号
174.750  1999/11/14 15時  22号    2000/05/07 09時  01号
174.250  2005/11/16 15時  23号    2006/05/09 21時  01号
147.250  1963/12/20 09時  24号    1964/05/15 15時  01号
146.500  2007/11/21 03時  24号    2008/04/15 15時  01号
145.250  1972/01/06 09時  01号    1972/05/30 15時  02号
145.000  1965/11/14 15時  32号    1966/04/08 15時  01号
143.250  1988/01/08 09時  01号    1988/05/30 15時  02号
141.625  1992/02/03 21時  02号    1992/06/24 12時  03号
141.000  2008/12/13 03時  22号    2009/05/03 03時  01号
139.500  1962/12/08 15時  30号    1963/04/27 03時  01号
135.500  2003/11/21 21時  21号    2004/04/05 09時  01号
134.750  1998/12/10 03時  16号    1999/04/23 21時  01号
133.750  1985/01/07 15時  02号    1985/05/21 09時  03号

“年越し”が多いですが,1号-2号間,2号-3号間も上位にきている年があります。

雷雨の中の日本ダービー(1967年)

1967年5月14日は朝から絶好の“ダービー日和”でした。ところが,発走時刻の10分ほど前,一天にわかにかき曇り,電光が走り,雷鳴とともに激しい雨が降り出しました。日射で空気が暖められたところに寒冷前線が南下してきたことによるもので,いわゆる“熱界雷” です。

“波乱”を予告するかのように,スタート13分前に大粒の雨が降った。しっかりと馬券を手に立ち見席でかたずをのんでいたファンは“天候のいたずら”にハンカチや新聞紙を頭にスタンドへ逃げる。スタンドは一瞬“静”から“動”にかわった。ところが場所を“確保”するためにカサをさして動かないファンもポツポツ。
雨が強くなってくると,だんだんと小さくなり懸命に雨をふせいでいた。すさまじい執念!
(5月15日付サンケイスポーツ)

ダービーは雷雨の中でのスタートとなりました。最初の1ハロンこそ13.0秒でしたが,2ハロン目はなんと10.0秒。ただ, 当時のハロンタイムは数字どおりには信用しないほうがいいようです。アラジンが先頭でバックストレッチにはいりますが,そこから先, 馬の識別ができません。私の場合は質の悪いビデオ画面で見ているせいもありますが,フジテレビで実況していた鳥居アナも激しい雨のためにほとんど視界が利かなかったそうです。

リユウズキはちょっとわかりませんが……

人気馬のポジションを正確に伝えていた鳥居アナにしては珍しい実況だと思います。

激しい雨をついて馬群が向こう正面から3コーナーへと進んだところでマイクがかなり大きな雷鳴を拾っています。

4コーナーを回って先頭に立ったアサデンコウに,ヤマニンカツプが外から, シバフジが内から並びかけて激しい叩き合いが300mほど続きましたが,アサデンコウが凌ぎきりました。

アサデンコウはレース中に左前肢第一指骨を骨折しており,しばらくして馬運車で運ばれていった――ともいわれていますが, 次の日の新聞に口取り写真が載っています。これはどういうわけなんでしょう?

なお,このときの雷雨によって千葉県と福島県で5人死亡,重傷6人,また埼玉,栃木,群馬などでは雹の被害がありました。5月15日付読売新聞より:

熱界雷大あばれ
四人感電死,降ヒョウ被害
十四日午後“五月の雷”が関東・東北をあばれまわり,千葉,福島両県で計四人が落雷のために死んだ。初夏の日ざしで気温が上がったところへ,北から冷たい空気がもぐりこんで起こした熱界雷というあばれん坊。

今の新聞とは表現がかなり違います。

その後(それ以前も?),ダービーが雷雨の中で行なわれたことはありません。

ついでに,この日の天気図を載せておきます(日本時間21時)。

  • 地上天気図

  • 500mb天気図

  • 850mb天気図