AD1896/06/15 「明治三陸地震津波」M8.5:震害はない.津波が北海道より牡鹿半島にいたる海岸に襲来し,死者は青森343,宮城3452,北海道6,岩手18158.家屋流失全半壊1万以上,船の被害約7千.波高は,吉浜24.4m,綾里38.2m,田老14.6mなど.津波はハワイやカリフォルニアに達した.Mは津波を考慮したもの(『理科年表』より)
旧暦の端午の節句の夜に起こった大津波です。
W杯サッカー日本開催さなかの2002年6月11日12時05分,気象庁から次のような台風情報が発表されました。
平成14年 台風第4号に関する情報 第60号 平成14年6月11日12時05分 気象庁予報部発表 (見出し) 台風第4号の中心は、11日12時前に、高知県東部(安芸市付近)に上陸 しました。 (本文) なし。
6月11日の京都新聞のサイトから――:
台風4号高知に上陸 W杯に水差さないで
台風4号は十一日正午前、高知県東部の安芸市付近に上陸した。今年の台風上陸は初めて。台風は勢力を弱めながら紀伊半島方面に進んでおり、午後に熱帯低気圧に変わる見通しだが、四国から東海にかけて大雨の恐れがあり、気象庁は警戒を呼び掛けている。
・・・(中略)・・・
▽台風接近に備え避難所確保
十一日夜、カメルーン-ドイツ戦が行われる静岡県に台風4号の接近が予想されることから、同県やW杯日本組織委員会(JAWOC)などは十一日、避難所の確保など準備を始めた。
同県は、新幹線が運転停止した場合、スタジアム近くの袋井市の三つの体育館に分散して避難させることを決め、同市に協力を要請した。
JAWOC静岡県支部は、強風に備えてスタジアム周辺に設営したテントや看板を撤去。試合終了前後にJRが不通になった場合は、復旧するまでの間、観客にスタジアム内にとどまってもらうことも検討している。
JAWOCは、強風で物が飛んだり、雷が激しくなったりした場合は、試合の中断もあり得るとしている。試合は同日午後八時半から始まり、午後十時半ごろ終了する見込み。
ところが,この台風について7月2日,W杯の終了を待っていたかのように(?),気象庁から次のような報道発表がありましたとさ。
台風第4号の上陸について気象庁は、台風第4号が本年6月11日に高知県東部(安芸市付近)に上陸したと
発表しました。しかし、その後の各種気象資料による詳細な解析の結果、この台風は
上陸前にすでに勢力が熱帯低気圧に弱まっていたことが判明しましたのでお知らせ
します。この結果、台風第4号は「日本本土への上陸台風」ではなくなりました。
去年の今日のできごと。
福島市内は8日夕、局地的に雷を伴う激しい雨が降り、同市荒井や町庭坂などで約1600世帯が一時停電するなどの影響が出た。大玉村でも落雷による断線で26世帯が停電した。
福島地方気象台によると、福島市内の16~17時の1時間当たりの降水量は19ミリ。上空に北から強い寒気が流れ込み、大気の状態が不安定になった。(毎日新聞2007年6月9日朝刊)
その他の今日のおもな事件:
タイトルは1966年6月8日付朝日新聞朝刊の見出しから。
1966年6月7日,夕方から夜にかけて関東一円で熱界雷が暴れまくりました。
東京都心では30分間に約40mmの激しい雨が降り,坂下にある日比谷交差点や神谷町交差点はみるみる水たまりになりました。また,地下鉄日比谷線の神谷町,霞ヶ関,日比谷,築地の各駅に濁流が流れ込み,同線は約1時間20分にわたって全線がストップしました。
後楽園球場(東京ドームではありません。念のため(笑))では東映フライヤーズ-東京オリオンズの試合が行なわれていましたが,7回表東京の攻撃中に落雷のために停電し,試合中断。その後大粒の雹と激しい雨が降り出してグラウンドは水びたしになり,試合は結局サスペンデッドとなりました。
なお,熱界雷とは
「日射で大気が十分に不安定化した日の午後に寒冷前線がやってきて雷雨が発生する」ような,熱雷と界雷の要素が複合している場合,日本では,これを熱界雷という。(大野久雄『雷雨とメソ気象』(東京堂出版))
と説明されています。
その他の今日の事件:
1978年6月4日,高島中央小学校の校舎から,小学5年の村田里美さんがテストで0点をとったことを苦にして飛び降り自殺しました。 (島田荘司『展望塔の殺人』)
AD1953/06/04 中央気象台,台風の名前を英語圏外国人女性名から発生順位番号に変更
敗戦後それまではカスリーン,アイオン,キティ,ジェーン,ルースなどの名前の台風が新聞紙上を賑わせていましたが(ただし,カタカナは統一されていたわけではないので,キャスリーン,キッティなどと表わされることもあった),これ以降,“台風××号”一色に染まることになります。
同時に,それまで“弱い熱帯低気圧”,“熱帯性低気圧”,“台風”の3段階だった熱帯低気圧のクラス分けが,“弱い熱帯低気圧”と“台風”の2段階に変更されました。
ちなみに,現在では“弱い熱帯低気圧”は“熱帯低気圧”に変更になり,たんに熱帯低気圧というとき,一般的な熱帯低気圧のことなのか,以前の“弱い熱帯低気圧”のことなのか,まぎらわしくなっています。σ(^^)などは以前の“弱い熱帯低気圧”を“ただの熱帯低気圧”とか“ノーブランドの熱帯低気圧”とかいっています。σ(^^)など公人でもなんでもないので,何とよぼうとσ(^^)の勝手ですが(笑)
さて,番号台風の第1号となったのは1953年の2号でした。1号でなかったのは,1号は2月にすでに発生していたからです。
この台風で,死・不明53,負傷53,家屋全壊98,同半壊103,流失98,浸水27850などの被害が出ました。
ここで上の見出しの「台風第二号」に注目。気象庁では現在でも例えば「台風第5号に関する情報」のように“台風第××号”と必ず“第”をつけていますが,マスコミではNHKを筆頭に“第”をつけていません。でも,1953年当時はこのように少なくとも新聞では“第”をつけていたのです。次第に“第”をつけなくなり,この年の9月には台風××号が定着するようになります。理由はわかりません。
女性名は日本国内では使われなくなりましたが,米国では使われ続けていて,気象庁も海外に台風情報を発信するときはこの女性名も記載していました。
ところが,台風とは比べものにならない異次元(ヤプールか(笑))の恐ろしさを持つ女性団体の圧力で,1979年の台風3号から男女名が交互に使われるようになりました。その後,2000年からはわけのわからないアジア名が使われるようになって現在に至っています。