ラーメタル大接近から10年…

ラーメタルが地球に大接近してから今日でちょうど10年ですね(1999年09月09日00時09分09秒)。その後ラーメタルはどうなったのでしょうか?

諸説あるようですが,私の知る限りでは

  • 地球と同じ軌道を回っている(「新竹取物語1000年女王」(テレビ版)より)
  • 暗黒太陽の特殊な引力によって太陽系の外にはじき飛ばされて行方知れず(「1000年女王」(劇場版)より)
  • 今もなお冥王星の外の軌道を回っている(「銀河鉄道999」(テレビ版)より)

現状はどれなんでしょう?

そういえば,「新竹取物語1000年女王」の主題歌は「コスモスドリーム」。ヘンテコな歌でした。サンキョウセッツと間違われたオークス馬はコスモドリーム

今日はハイセイコーの日

みどりの日です。
春の土用明けです。
復日です。
神吉日です。
大明日です。
天恩日です。
モンシロチョウの初見日(網走)です。
サクラの開花日(岩見沢)です。
カラマツの発芽日(釧路)です。
ウメの開花日(室蘭)です。
モンシロチョウの初見日(浦河)です。
ウグイスの初鳴日(八戸)です。
スイセンの開花日(八戸)です。
シロツメクサの開花日(仙台)です。
リンゴの開花日(仙台)です。
ノダフジの開花日(輪島)です。
ヤマツツジの開花日(新潟)です。
ノダフジの開花日(新潟)です。
クマバチの初見日(新潟)です。
ノダフジの開花日(高田)です。
ヤマツツジの開花日(福井)です。
リンゴの開花日(高山)です。
ハルゼミの初鳴日(松江)です。
アオダイショウの初見日(浜田)です。
キアゲハの初見日(下関)です。
ハルゼミの初鳴日(洲本)です。
ハルゼミの初鳴日(奈良)です。
釧路 終氷です。
盛岡 終霜です。
終氷最晩 小名浜(1957)です。
最晩霜 輪島(1991)です。
終氷最晩 輪島(1957)です。
最晩霜 富山(1957)です。
最晩霜 銚子(1934)です。
東海地方梅雨入り最早(’63)です。
ハイセイコーの日です。
競艇の日です。

----------- 誕生日 -----------
今月の花は サンザシ,スズラン です。
今日の誕生花は いちご、花ことばは『尊重と愛情』です。

======== きょうの歴史 ========
1780/05/04 第1回英国ダービー
2000/05/04 05:03,前日根暗ヒッキーネオ麦茶こと谷口誠一(17)に乗っ取られ山陽自動車道小谷SAで停車中の西鉄定期高速バス「わかくす号」に広島県警の警官隊が強行突入。犯人のネオ麦茶こと谷口誠一(17)を無事逮捕
2000/05/04 “怪物”のニックネームで親しまれた競走馬ハイセイコーが明和牧場で死亡。(旧)30歳2か月

ほかにもありますが大幅に削りました。

当時,ハイセイコーシンザンの長寿記録を破るのでは……といわれていましたが,実はハイセイコーより4歳上のリキエイカンがひそかに存命中でした。

なお,ハイセイコーの産駒でハイセイコーが勝てなかった日本ダービー天皇賞を制したカツラノハイセイコが,33歳のいまも存命中のようです。

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若い娘どうしの抱き合い心中

1925年5月5日付の読売新聞から:

若い娘どうしの抱き合い心中

一人の襟に明大のマーク 多摩川え《ママ》浮び上る

1925年5月4日の午前,高井戸村字久我山663先の多摩川で,女性2人の心中と思われる変死体が見つかりました。

何れも十七八歳の美人が抱き合ひ心中を遂げてゐた死後一週間を経過し・・・・

“死後一週間”もたっているのに,どうして“美人”だと……?

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女湯の四人,裸でケンカ (1958年)

昔の新聞を見ていると,ときどき面白い記事を見つけることができます。

1958年2月16日付朝日新聞夕刊より――:

女湯の四人,裸でケンカ

 銭湯で入浴中の女客が足をふまれたことからケンカとなり,流し場でハダカのまま四人が入り乱れてケンカをし,三人が傷害現行犯で上野署に捕まった。

 十六日午前一時すぎ東京都台東区上野三橋町一五,三橋湯(K.Y.さん経営)の流し場で,客の同区上野町二ノ一九パチンコ屋店員K.M.さん(二三)の足を同区下谷町二ノ五飲食店「おらが春」の女給Y.A.さん(二三)がふんだ,ふまぬが事の始まり。

 Y.A.さんと一緒に来ていた同僚のY.M.さん(二三)M.T.さん(二○)の二人もY.A.さんに加勢してハダカのままK.M.さんの髪を引っぱり身体を引っかく大乱闘となった。

 驚いた他の客はみんな逃げ上がって見物,フロ屋は一一〇番へ急報したが,かけつけたパトカーのお巡りさんも相手がハダカの女とあっては手の下しようもなく,やや落ち着いたところでY.A.さんら三人を傷害の現行犯で検挙した。K.M.さんは全治三週間の負傷だった。

50年以上前の事件とはいえ,個人名はイニシャルに直しました。

毎日と読売にもほとんど同じ記事が載っています。

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今日のできごと3件

今日は次のようなできごとが起こった日です。

1902/01/23 神成大尉率いる陸軍第八師団青森歩兵第五連隊210名が八甲田山の雪中行軍に出発。途中,小峠付近に達したとき(11時半ごろ),天候が急変する

1910/01/23 七里ヶ浜沖で,逗子開成中のボートが転覆。生徒12人全員死亡

1963/01/23 雪の中,上り急行「越路」が新潟駅を出発

それぞれすでに記事がありリンクを張りましたのでそちらをご覧下さい。明らかに書き直したほうがいいところもあるので,来年には書き直したいと思います。

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愛と希望と勇気の日

きょうは愛と希望と勇気の日らしいです。

由来は次のできごとです。

1959/01/14 第3次南極観測隊昭和基地に1年間放置されていたカラフト犬のタロとジロが生きていたことを確認

犬が2頭生存していることはすぐに確認できたみたいですが,あまりの変わりようにどの犬かはしばらくわからなかったようです。第一報では別の名前が報じられています。

あまりの変わりようというのはやせ細っていたということではなく,まったくの逆で,丸々と太っていたとのことです。基地に置いてきた食糧にはまったく手をつけておらず,おそらくペンギンなどを捕獲していたのでは……と想像されていますが,何を食べていたのか本当のところはいまだによくわからないそうです。

タロとジロ以外の13頭は死亡,または行方不明ということになっています。

第1次越冬隊で犬の担当だった北村泰一氏の『南極越冬隊タロジロの真実』によると,第4次越冬中に行方不明になった福島隊員の遺体を第9次越冬隊が発見した直後,基地の近くから白い犬の遺体が発見されたそうです。行方不明になった犬のうち色が白かったのはシロとリーダー犬リキだけで,北村氏はリキではないかと書いています。

リキは映画「南極物語」では最後まで残った4頭のうちの1頭で,シャチの襲撃からタロとジロを守った傷がもとで力尽きたことになっています。もとの飼い主だった姉妹の姉を荻野目慶子が演じていました。当時はまだかわいい(笑)

ちなみに,4頭のうちのもう1頭は“風連のクマ”で,一匹狼のクマは確かタロとジロを基地近くまで“送り届けた”あと,いずこともなく去っていきました。

なお,置き去りにしたことについて今も昔も批判がありますが,事態が急を要しており,連れ帰るにも薬殺するにも時間的余裕がなかったようです。

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日記にしるされた恐怖の文字

1952年1月13日付朝日新聞社会面に

女学生,誘かいさる?

日記にしるされた恐怖の文字

という気になる見出しがあります。

1952年1月12日,三鷹市の会社役員宅から,長女のK塩女子学院中等科2年の智佳子さん(15=仮名)が誘拐されたらしいと警察に届け出がありました。

智佳子さんは同日父兄会があるので学校が休みだからといつわりピアノを習いに行くと午前九時ごろ,小型化粧箱をもって家を出たもので,正月七日,八日両日の日記には「きょうもあの男につけられた」と書かれ,母芙美子さん(46)がこれに気づいて注意したところ,十日の日記には「自分が云ったことを他人に話すと殺すぞ」といわれたと恐怖の文字がつづられており,日ごろ明るい智佳子さんもこゝ数日すっかりふさぎ込んでいたという。

恐怖のストーカーの特徴は「四十歳ぐらいの人相の悪い,強い大阪弁」の男とのことです。

果たしてこの事件の顛末はどうなったでしょうか。それはいずれ……。(ヒント:思いもつかない意外な結末です)

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ある火災の都市伝説

AD1932/12/16 日本橋の白木屋百貨店で初の高層ビル火災。死者14人,重軽傷者130人

この火災に関して,次のような伝説があります。

このときまで日本の女性は“下着”を着ける習慣がなかったために女子従業員が高所から飛び降りることができずに焼死したものが多かったという

広く信じられているようですが,ちょっと調べてみると,Wikipediaなどにもあるとおりデタラメであることがわかります。

伝説のもとは,12月23日付東京朝日新聞に掲載されている白木屋の山田専務の談話――:

女店員が折角ツナ或はトヒを傳はつて降りて來ても,五階,四階と降りて來て,二,三階のところまでくると下には見物人が澤山雲集して上を見上げて騷いでゐる,若い女の亊とて裾の亂れてゐるのが氣になつて,片手でロープにすがりながら片手で裾をおさへたりするために,手がゆるんで墜落をしてしまつたといふやうな悲慘亊があります。

記事の見出しには「裾の亂れを氣にして むざむざ死んだ女店員」とありますが,σ(^^;)が新聞を調べた限りでは,ロープから手を離して転落死した人はひとりもいません。

注目しなければならないのは,白木屋のおエラいさんの談話だということ。おそらく,火災をタネにして洋服と下着で大々的に儲けようとする白木屋の魂胆に迎合したヨイショ記事なのでしょう。

伝説の決め手となったとされる「婦人よ,ズロースを忘るな」という見出しの12月23日付の都新聞の次の記事にしても,事実上の白木屋の広告に違いありません。

猛火に追われた女逹が咄嗟の塲合にロープ又は帶を繋ぎ合せて,降下運動を試みた瞬間,ズロースを穿いてゐぬために,下から煽られる風に裾が捲れ「アツ」といふて身づくろひする途端兩手がお留守となつて,命綱ともいふべきものを放し,慘死したことも聞きました,……

『中央区史』にはこの火災について,なぜか約5ページにわたって詳細に記述されています。「明治四十三年の水災」や「大正六年の風水災」よりも多いページ数です。伝統的な“下着説”に基づいています。

ところで,この火災とは関係ありませんが,与謝野晶子の『晶子詩篇全集』にある「女は掠奪者」という詩に白木屋が登場します。青空文庫 Aozora Bunkoにあるテキストデータを使わせていただきました)

大百貨店の売出《うりだ》しは
どの女の心をも誘惑《そそ》る、
祭よりも祝《いはひ》よりも誘惑《そそ》る。
一生涯、異性に心引かれぬ女はある、
子を生まうとしない女はある、
芝居を、音楽を、
茶を、小説を、歌を好まぬ女はある。
凡《おほよ》そ何処《どこ》にあらう、
三越《みつこし》と白木屋《しろきや》の売出《うりだ》しと聞いて、
胸を跳《をど》らさない女が、
俄《には》かに誇大妄想家とならない女が。……

与謝野晶子って,バーゲンおばさんだったんだあ……(笑)

なお,直接関係ありませんが,与謝野晶子と台風との関わりについては能天気Express~新世界版~  与謝野晶子と「颱風」をご覧下さい。

ついでに,白木屋では他に次のような事件が起こっています。

白木屋の屋上から 飛降り自殺を遂ぐ
廣告塔上でタオルで目隠して 失戀の關西青年か
―1929年10月27日付東京朝日―

白木屋から幼女転落
七五三の祝着を買ひに来て
―1929年11月15日付東京朝日―

破鏡の女 飛降りて“殺人”
白木屋屋上から 宝くじ売り場の上に落ち
―1954年9月14日付朝日―

~(N)2007.12.16~

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月夜の赤穂浪士の討ち入り

まず,クイズから。

襲撃・暗殺などが雪の降る中で行なわれた事件を次のア~エからすべて選び,記号で答えなさい。

ア 蘇我入鹿の暗殺

イ 赤穂浪士の討ち入り

ウ 桜田門外の変

エ 二・二六事件

解説しよう(今は亡き富山敬さんの声で(笑))。ちなみに,今放送されている「ヤッターマン」は全然面白くありません。

さて,まずアですが,事実とすれば事件が起こったのは皇極四年六月十二日,ユリウス暦では645年7月10日ですので,まあ, ふつうに考えれば雪は降っていなかったでしょう。『日本書紀』にはこの日大雨が降ったという記述があります。

イは本題なので後まわしにして,ウの大老井伊直弼暗殺は雪の降る中で行なわれました。雪が降っていたため, お供の者が雪水がしみるのを防ぐために刀に柄袋をつけていて,刀をなかなか抜くことができなかったことが, 白昼堂々と大老が討ち取られた原因のひとつとされています。

エの二・二六事件は,2月23日に積もった雪は残っていましたが,この日雪が降りはじめたのは襲撃があらかた終わってから後のことです。 前夜からの大雪の中,反乱軍が兵営を出発して首相官邸などを次々と襲撃した……というのは真っ赤なウソです。

というわけで,正解はウということになります。正解しても,賞品は何もありませんのであしからず(笑)

やっと本題にはいります。

赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったのは,元禄十五年十二月十五日の寅の上刻とされています。 今の暦では1703年1月31日の午前4時ごろになりますから,1年でもっとも寒い時期のしかももっとも寒い時間帯ということになります。

このときは晴れていて,したがってもちろん雪は降っておらず,赤穂浪士の47人は小望月の月明かりの中, 本所松坂町の吉良邸に向かったのでした。前日に降った雪がざらめ状に凍って,歩きやすかったとのことです。

かりに今日あたりのお天気番組で

歴史上有名なのは,1702(元禄15)年12月14日から15日の朝にかけて,江戸の町に降った大雪だ。赤穂浪士の討ち入りの日で,新暦では1月31日に当たる。

のようなことを話している人がいたら,ウソつくのもいいかげんさらせ( ゜Д゜)ゴルァ!!と厳重に抗議をしましょう(笑) ちなみに,これは某お天気キャスターのサイトにあった文章を音声を変えて引用したものです。

今はなき三波春夫さんの名調子に「元禄名槍譜 俵星玄蕃」があります。σ(^^;)の知る限り,誇張はありますが,山鹿流の陣太鼓以外はその夜の状況が正確に描かれています。さすが名調子です。比べては三波春夫さんに失礼ですが,不勉強なお天気キャスターとは全然違います。

積もっていた雪の影響も少しはあったようで,討ち入りの初っぱな,門を乗り越えるときに,原惣右衛門と神埼与五郎が屋根の上に残っていた雪ですべって転落し,足をねんざしたそうです。ドラマなんかではこの場面は再現されませんね。でも,原惣右衛門ってご老体では……?

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わりました。ドラマなどでは,捕らえれて引き出された吉良上野介大石内蔵助が 「吉良殿でございまするか」などと人定尋問するのが定番になっていますが, 実際には内蔵助の前に引き出されたときはすでに息がなかったようです。

1703年1月31日の東京の天文データは次のようになっています。

===================
天文薄明開始 05:16
市民薄明開始 06:17
日の出    06:42
正中     11:55
日の入    17:08
月の入    05:18
===================

討ち入りは夜が白みはじめる前には終わったということは,このデータを見るかぎり,やはり討ち入りは長くても2時間程度だったようです。

今では吉良上野介がいい殿さまで,浅野内匠頭はバカ殿だったと,評価が逆転した感もあります。もっとも,いい殿さまといっても,道路特定財源だったかなんだったかをいっぱい分捕ってくる税金ドロボ~である“現在のいい殿さま”と五十歩百歩だったのかもしれませんけれど。

(N)2006/12/14

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後楽園で予想屋とテキ屋が大乱闘

1959年12月1日10時40分ごろ,後楽園競輪場で予想屋の5人のグループにテキ屋一家の20数人が刃物を持って襲いかかりました。大乱闘となり,予想屋グループの1人が重傷,4人軽傷を負いました。

この騒ぎでテキ屋一家の5人が逮捕されました。

どうやら予想屋どうしのナワバリ争いだったもようです。

当時の後楽園競輪場はといえば,ゴロツキのたまり場だったようで,1960年1月13日付の読売新聞によると,後楽園競輪場の場内には予想屋300人,コーチ屋100人,ノミ屋多数,場外にカイキ屋(あやしげな機械を使って予想を立てる)4組,新聞立ち売り100人,白タク多数,その他場内外にダッコ屋(風呂敷包みを抱いてのり巻きや大福を売る)50~60人などの“ダニ”がいたそうです。

刃物くらいならまだいいほうで,1955年2月26日付の読売新聞には

短銃持って競輪場へ 後楽園 鮮人一人逮捕

という記事があります。嫌チoンな人の喜びそうな記事ですが,残念ながら実際には“鮮人”ではなくただの暴力団の組員で(在日でもなかったもよう),警備員への報復だったようです。この警備員も別の組の組員だったというのですから,後楽園競輪場がどんなところだったかは想像に難くありません。

後楽園競輪場ばかりではなく,他の競輪場も似たようなものだったのかもしれません。中でも有名な鳴尾競輪暴動事件については能天気Express~新世界版~ ジェーン台風が招いた鳴尾競輪暴動事件をご覧ください。

ちなみに,その後楽園競輪場の跡地にできたのが,永久に不潔なチームの本拠地となっているあの屋根つき球場です。

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